【115】守大助さんからのメッセージ
◆無実を訴える切実な声、どんどん拡散してください
わずかながら暑さもやわらいできました。エアコンのない千葉刑務所で過ごす毎日、一体どんな心境でしょうか。
守大助さんから、8月のメッセージが届きました。大助さんから弁護団に手紙を出し、それを弁護団が全国の支援者にFAXしたものです。大助さんは外部に出せる手紙が「毎月5通」と決められています。たくさんの人にメッセージを送りたい場合、こうするしかないのです。
もちろん刑務所ではメールやSNSで情報発信する自由なんかありません。今でも冤罪支援の世界では、昔ながらの手紙とFAXが欠かせないツールなんです。
そんな厳しい制約の中で届けられた大助さんの切実な声を少しでも広げようと、当ブログではメッセージが届くたび紹介しています。なのでフェイスブックでのシェアや、ツイッターでの拡散は大歓迎です! よろしくお願いいたします!
◆以下大助さんのメッセージ、本文です
残暑お見舞い申し上げます。
立秋とは名のみの厳しい暑さが続いておりますが、お変わりなくお過ごしですか。
全国の皆さんお元気ですか。
暑い中、街頭宣伝、署名活動、学習会、そして最高裁への要請をして下さり、本当に有り難うございます。全国集会には多くの方に参加していただき、とても嬉しく心強くなっています。必ず真実が照らされると信じ、私は負けずに! 無実を訴え闘っていますので、安心して下さい。
大崎事件では、弁護側の法医学鑑定を最高裁は“遺体を直接検分していないので、信用できない”として再審開始を取り消しました。本件では患者さんの診断を主治医が診察し!!当時の状態を観て診察しているのに、検察側証人による推測による証言が信用できるとされています。大崎と本件の判断、余りにも矛盾すぎます。東北大学関係者で固められた、診断もしていない、推測の証言が信用できるという判断が、公正でしょうか。
私は絶対にやっていません。筋弛緩剤を混入していません。患者さんを苦しめたり、殺めたりしていません。私は無実です。
第一次特別抗告審で「再審開始・釈放」を勝ち取るため!全国の皆さんのお力をお貸し下さい。助けて下さい。両親が元気でいる内に、帰りたいです。
2019年8月 無実の守大助
◆「大崎事件」の“遺体を直接検分していない”とは?
メッセージの中で、6月25日に最高裁で再審開始決定が取り消された「大崎事件」について言及しています。このことについては以前書きましたので、下記を参照ください。
【111】「大崎事件」再審取消の裏にある許せないハナシ - Free大助!ノーモア冤罪!
【112】「大崎事件」最高裁決定に対する各団体の声明 - Free大助!ノーモア冤罪!
改めて説明すると「大崎事件」の再審弁護団は、原口アヤ子さんの無実を示す新しい証拠として「吉田鑑定」と呼ばれる法医学鑑定を提出しました。これは被害者の死因は他殺でなく事故による可能性が高いとしたもの。鹿児島地裁、福岡高裁はともに「吉田鑑定」を評価し、再審開始を決定しました。
ところが最高裁は “鑑定人の吉田謙一・東京医科大学教授は遺体を直接検分していないから信用できない” として、再審開始を取り消してしまったのです。大崎事件の発生は1979年。40年も前の事件の遺体をどうやって見ろというのでしょうか? こんな理屈がまかり通ったら、そもそも再審制度など成り立たなくなってしまいます。
さらにスゴい事実があります。事件当時に “遺体を直接検分した” のは、城哲男さんという法医学教授でした。城教授は遺体の傷が他殺によるものとし、この鑑定が柱となって原口アヤ子さんは有罪にされました。
ところが後になって城教授は鑑定資料を再検討し、他殺とした結論を撤回。その経緯はこちらの記事に詳しく書かれています。
裁判所の「正義」とは?~「大崎事件」最高裁決定の異常(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース
客観性と科学性にもとづいて自らの誤りを修正した城教授には、本当に頭が下がります。最高裁はこうした事実を完全に無視して、再審開始決定を取り消したのです。
◆「北陵クリニック」では “直接診察した” 主治医を無視
大助さんの「北陵クリニック事件」では、患者さんの主治医は “急変の原因は抗生物質の副作用によるもの” と明言。つまり “直接診察した” 医師が、筋弛緩剤が使われた犯行の可能性をハッキリ否定したのです。
一方で検察側の証人(=大助さんを有罪にするために)に立ったのは、東北大学名誉教授の橋本保彦氏(故人)。橋本氏は患者さんを診たことは一度もなく、憶測だけで “急変は筋弛緩剤によるものだと思う” と証言しました。橋本氏の専門は麻酔学で、筋弛緩剤はそれほど詳しくなかったといいます。
主治医と橋本氏、どちらの言い分が信用性が高いかは言うまでもありませんよね…。ところが2004年、仙台地裁は橋本氏の証言を採用して大助さんを有罪に。仙台高裁、最高裁もこれを追認します。
一方では “直接検分してないからダメ” で、他方では “直接診てなくてもOK”。裁判所には原理原則も明確な基準もないようです。最初から有罪という結論ありきで、その場しのぎでテキトーな判断を下しているとしか思えません。大助さんの憤り、本当にその通りだと思います。
これが日本の司法の実態です。裁判所は公正で厳格などというのは幻想にすぎません。大助さんの身に起きたことは、いつ誰の身に起きてもおかしくありません。こんなバカな状況、何としても変えましょう!!
【114】8月15日に思ったこと、守大助さん全国集会
◆ちょっと長い前置き〜8月15日に思ったこと
ブログの更新、1ヵ月以上放置してしまいました。仕事と違って〆切がなくて、ギャラも発生しないブログを続けるのは本当に大変なことです。でもやっぱり、続けなければなりませんね。冤罪のこと、日本の司法のこと、そして守大助さんのこと、伝えなないワケには行きませんから。
ヤフーのリアルタイムやツイッターで “守大助” と検索すると、表示されるほとんどがこのブログです。私が情報発信せずに誰がやる!という気概を持って(おこがましいですが)これからも続けますので、よろしくお願いいたします。
8月15日、先の戦争で命を落とした方々を追悼する式典や報道がいろいろとなされました。でも一部のメディアを除くと “加害者としての日本” という視点が欠けているように感じられます。日本に侵略されたアジアの人たちこそ、本当の被害者です。
もちろん日本の人だって被害者です。南方で病死や餓死した兵隊さん、敵艦に突入して行った特攻隊員、空襲で亡くなった多くの人々など…。でも、あえて反発を承知で言えば “自業自得” だと思います。
国際連盟脱退(1933年)から日中戦争(1937年)、日米開戦(1941年)に至る一連の流れを、当時の国内世論は熱狂的に支持したといいます。 これに少しでも異を唱えた人には “非国民” の烙印を押して、迫害したといいます。それを扇動したのは、いわゆる“善良な市民“と呼ばれる人々だったといいます。つまり国家権力の暴走を後押ししたのは、他ならぬ日本国民だったのです。 だからやはり “自業自得” だと思ってしまうのです。
これって冤罪を巡る状況と、すごく似ていると思います。
- 先の戦争=日本がアジアで行っている蛮行を知らず、ウソの報道に熱狂して戦争に突き進んでいった人々
- 冤罪=警察、検察、裁判所が行っている蛮行を知らず、捜査当局がリークした報道を鵜呑みにして“犯人を死刑にしろ!”と狂乱する人々
先の戦争から学ぶべきは、相手が国家権力だろうとオカしいと思ったことにはシッカリと声をあげよう!ということだと思います。バカな過ちを繰り返すか繰り返さないかは、主権者である私たち次第です。
◆7月26日、守大助さんの支援者が全国から集まりました
7月26日には、支援者有志で『守大助さんの最高裁勝利をめざす7.26全国集会』(@衆議院第二議員会館)を開催しました。札幌から高知まで全国から80名近い支援者が集まり、ご両親と阿部泰雄・弁護団長も参加しました。
この日、ご両親が最高裁に提出した上申書を紹介します(一部文章を編集・短縮しています)。
父・守勝男さん
これでも息子の無実を信じていけないのでしょうか? 本件は原因不明だった1人の患者の急変を(のちにミトコンドリア病と判明)警察が事件と疑い、血清から筋弛緩剤が検出されたとされる大阪府警科捜研の鑑定書を証拠として有罪とされたものです。ところがその鑑定書が後付けされたもので、全く信用出来ません。それは日付で明らかです。
平成13年1月6日 息子を逮捕し自白を強要逮捕
平成13年1月19日 鑑定書作成
この経過が捜査書類で全く明らかにされておりません。それが出来ないのは、筋弛緩剤が検出されないのに逮捕した可能性が濃厚だからです。
母・守祐子さん
罪のない人を救済する最後の場所が最高裁ではないでしょうか。19年間無実で自由を奪われ続けている息子は血を吐く想いで闘っているのです。林景一裁判長の就任時の「先入観にとらわれず証拠に基づいて判断する、公正な裁判をする」という言葉を信じて闘っているのです。どうか息子の最後の砦をかなえて下さい。
先般の大崎事件の第3次再審請求で最高裁は、確定判決に疑問を投げ掛けた法医学鑑定を「遺体を直接検分していないので証明力はない」として、再審請求を棄却しました。
北陵クリニック事件では、直接患者さんを診察した主治医の声に耳を傾けず、患者さんを診ていない東北大学名誉教授の「筋弛緩剤によるものだと思う」という証言で有罪にしました。
裁判所はどちらでも良いのですか、余りにも矛盾過ぎるのではないでしょうか。再審開始を早急にお願いいたします。
お父様と同様に阿部泰雄弁護団長は、警察は勝手な思い込みで大助さんを逮捕し、後付けで鑑定をデッチ上げたと指摘。その鑑定書もデタラメ極まりないもので、必ず勝てる!と強調しました。
では “勝てる” をどうリアルな “勝つ” に結びつけるか? まったく常識が通用しないのが最高裁。普通に闘っていては、なかなか展望が見出せません。
また大助さんの実家がある宮城県大崎市の支援者によると、地元ではいまだに “守大助が犯人だろう、なぜ支援活動なんかするんだ” と言いがかりを付けられることがあるといいます。怒りを感じると同時に、大助さんが無実であることをもっと広げなければならないと痛感しました。
再審開始を求める最高裁への署名は、この1年で累計3万2000筆を超えました。「守る会」と呼ばれる大助さんの支援組織は全国に46あります。さまざまな冤罪事件の中で、これだけの数があるのは極めて異例なことです。まさに力を結集させる時です。
集会の締めくくりには “全国の支援運動の力を合わせ、無実の者を無罪に!という世論を広げ、最高裁を包囲しよう”というアピールを採択し、参加者一同決意を新たにしました。
私としてもこれまでの常識にとらわられず、できること、思いついたことは片っ端からチャレンジしていきます。そして日本の司法が本当に絶望的な状況になっていること、引き続き声を上げて伝え続けていきます。
集会で報告を行う、阿部泰雄・弁護団長。
【113】7月23日(火)「大崎事件・緊急抗議集会」に参加を!!
◆最高裁抗議行動に参加してきました
今回も「大崎事件」について書きます。
6月10日(水曜日)の昼休み、最高裁前で行われた抗議行動に参加してきました。20人以上が集まり、マイクを片手に今回の再審取消に怒りの声を上げました。
また、今回の決定にかかわった5人の裁判官、3人の調査官の名前も入った横断幕も新調しました(下写真)。
抗議行動なんかやって意味があるの?という方もいらっしゃるかもしれません。しかしオカしなことに対しては、ハッキリと「No!」の声を上げなければなりません。同様に、最近はデモに参加する人たちを貶めるような意見も聴かれますが、トンデモナイことです。私たちが声を上げなくて、誰が声を上げるのでしょうか?
私たちが沈黙してしまったら、それこそ終わりです。
◆「最高裁決定に抗議する7.23集会」開催します!!
そして急きょ、下記の日程で抗議集会が決定しました。
会場の「文京区民センター」の住所およびアクセスは下記の通りです。
- 文京区本郷4-15-14
- 都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分
- 東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分
- 東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分
- JR水道橋駅東口徒歩15分
- 都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2分
すぐ近くに「文京シビックセンター」という施設もあります。こちらではありませんので、ご注意ください。
1人でも多くの方にご参加いただくことが、日本のアホバカ司法を変える一歩になります。平日の夕方ですが、ぜひお越しください。
【112】「大崎事件」最高裁決定に対する各団体の声明
◆4団体が一斉に抗議声明
前回に続いて「大崎事件」について書きます。
今回は最高裁の決定を受けて、4つの団体が発表した声明を見ていきます。冤罪事件の最高裁決定で、これだけの団体が一斉に抗議の声を上げるのは珍しいことだと思います。それだけ今回の決定が異常だったということでしょう。
ではどこがどう異常なのか? 各団体の声明の一部を抜粋して、読み解いてみます。
※あくまでも法律の専門家でないシロウトの解釈です。
●1.日本弁護士連合会(日弁連)
最高裁判所第一小法廷は、検察官の特別抗告には理由がないとしたにもかかわらず、請求を棄却するという前例のない本決定を行ったのである。
本決定は、原々審及び原審が丁寧な事実認定を行って再審開始を認めたにもかかわらず、書面審理のみで結論を覆したものであり、無辜の救済の理念や「疑わしい時は被告人の利益に」と明言した白鳥・財田川決定を骨抜きにするものと言わざるを得ない。少なくとも、最高裁判所第一小法廷は、検察官の特別抗告に理由がないとしたのであるから、再審開始決定を確定させた上で、事実認定の審理については再審公判の裁判所に委ねるべきであった。
〈私から一言〉
最高裁は、検察の特別抗告を受け入れて再審を取り消したワケではありません。むしろその逆で “抗告理由に当たらない” と退けています。そうなったら普通は、再審開始…となるハズ。実際に「松橋事件」と「湖東記念病院事件」ではこのフレーズで検察の言いがかりを一蹴し、再審開始となりました。
“事実認定の審理については〜” というフレーズについて、少し解説を。基本的に “冤罪かどうか” といった事実調べは地裁・高裁で行い、最高裁は以下の2つを審理するとされています。
- 1.憲法解釈の誤りがあるか
- 2.法律に定められた重大な訴訟手続の違反事由があるか
ところが最高裁は、原々審(鹿児島地裁)、原審(福岡高裁宮崎支部)が丁寧に調べて “これは冤罪の可能性大だ!” と出した再審開始決定を、薄っぺらな書面審理だけで取り消しました。
その内容はというと、再審開始の柱になった法医学鑑定(吉田鑑定)を重箱の隅をツツくような屁理屈で批判しただけ…。“憲法解釈” や “重大な訴訟手続の違反” は関係ありません 。
だから日弁連は “再審開始決定を確定させた上で、事実認定の審理については再審公判の裁判所に委ねるべきであった。” と言っているのです。まったくその通りです。
〈全文はこちら〉
日本弁護士連合会:「大崎事件」第三次再審請求棄却決定に対する会長声明
●2.日本国民救援会
警察などによって強要された「自白」が、いかに多くの冤罪を生んできたか。今回、最高裁は、吉田 鑑定を否定したうえで、共犯者とされた男性 3 人とその家族の「自白・供述」が、相互に支え合い、信 用できるとした。しかし4人の「自白・供述」は何度も変遷し、凶器とされるタオルさえ特定されず、 客観的証拠の裏付けも乏しいものである。多くの冤罪事件で、警察などの取調べによって、相互に矛盾 なく都合よく、供述が誘導されて調書が作られ、共犯者とされる「引き込み供述」の危険性に、なぜ最 高裁は目をつむるのか。
〈私から一言〉
最高裁は「吉田鑑定」を不当におとしめた以外にもうひとつ、余計なコトをやらかしました。それが共犯者とされた3人の自白を “信用できる” と、認定したこと。
警察の苛烈な取調べによる自白は、冤罪の温床として事あるごとに指摘されてきました。しかし裁判所はその実態をスルーし “自白は具体的かつ詳細で信用できる” などというアホな理屈をこねて、冤罪を量産してきました。
この声明は、数多くの冤罪支援に取り組んできた「国民救援会」らしい指摘だと思います。最高裁の裁判官も一度警察の取調べを受けてみろ!!と、声を大にして言いたいです。
〈全文はこちら〉
日本国民救援会 ※トップページよりPDFファイルをご覧になれます。
●3.えん罪救済センター(イノセンスプロジェクト・ジャパン)
高裁決定から本決定にいたるまでに1年余りが経過していたが、最高裁は弁護人の意見を聞く機会を設けたことすら一度もなかった。法律審たる最高裁が高裁に差し戻すこともなく、書面審理のみで請求人に有利な判断を自ら取り消すということには、手続保障の観点から重大な問題がある。
〈中略〉
再審制度は、誤って有罪を言い渡されてしまった無辜の救済のためにある。1975年の白鳥決定は「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が再審請求段階にも適用されると判示した。本決定は白鳥決定の精神とは相容れない。本決定のような判断が許されるならば、日本の刑事司法にはもはや実効的に機能する事後的なえん罪救済のシステムが存在しないということにもなりかねない。
〈私から一言〉
この約1年半の間、鴨志田祐美・事務局長をはじめ「大崎事件」の弁護団は鹿児島から度々足を運び、最高裁に一刻も早い再審開始決定を要請してきました。しかし最高裁の対応は常に素っ気ないモノでした。
〈その時の様子はこちら〉
【103】沈黙の最高裁〜「大崎事件」弁護団激励行動に参加して〜 - Free大助!ノーモア冤罪!
そして最高裁は本当に “弁護人の意見を聞く機会を設けたことすら一度もなく” まるで不意打ちのように無実を訴える切実な声を退けました。忙しくて聞いてるヒマなんてない…とでも言いたいのでしょうか。だったら何のための最高裁なのか? そもそもの存在理由が問われます。
“疑わしきは被告人の利益に” については、簡単ですが以前も書きました。
【36】無実の人は無罪に!〜疑わしきは被告人の利益って?〜 - Free大助!ノーモア冤罪!
最高裁は刑事裁判の大原則を自ら破りました。今回の決定をもって “日本の司法は死んだ” と言われる理由はここにあります。本当に “司法の自殺行為” です。
海外の冤罪事情に精通した「えん罪救済センター」の目からしても、日本の司法の異常さは突出していることでしょう。
〈全文はこちら〉
2019年7月 1日「大崎事件」最高裁決定に対する抗議声明 - えん罪救済センター
●4.再審法改正をめざす市民の会
検察の特別抗告申立てから1年3ヶ月にもわたり、病床で再審を待ちわびる原口さんの願いに冷たい沈黙で答えてきた最高裁は、そのあげくに一片の決定書で彼女の人生で最後の切実な願いを踏みにじった。裁判に対する素朴な信頼を真っ向から裏切り、司法そのものへの不信感を醸成しているのは、最高裁自身といわざるを得ない。
これが、下級審に対し、再審を必要以上にためらわせる抑圧となることが危惧される。また検察に対しても「理由があろうとなかろうと抗告を繰り返せば最高裁が助け舟を出してくる」との誤ったメッセージを与えかねない。そのとき、危機に瀕するのが「無辜のすみやかな救済」という再審の根幹の理念にほかならない。
〈私から一言〉
この声明のポイントは、赤字にしたヵ所に尽きると思います。裁判所はただでさえ、再審に対して消極的です。その原因として、以下のような理由があげられます。
- 再審開始決定を出すのは、先輩裁判官が確定させた有罪を覆すので勇気がいる
- 再審開始決定を出しても裁判官として出世にプラスにならい
まさにこうした逆境をはねのけた、勇気と良心を持った裁判官によって再審開始決定は出されるワケです。
それを今回みたいに最高裁が踏みにじったら、下級審(地裁、高裁)の裁判官はどう思うでしょうか? “やっぱり再審なんかやってもしょうがない。や〜めた” というコトになりかねません。
〈全文はこちら〉
◆まとめ〜“おい、小池!”こんな裁判官、ご退場ねがいます〜
日本の刑事裁判史上、再審は長らく “開かずの門” と言われてきました。でも2010年代に入ると「足利事件」「布川事件」「東電女子社員殺人事件」「東住吉事件」「松橋事件」と、かつてないペースで再審無罪が続いています。
数々の冤罪を量産してきた日本の司法は、ようやく良い方向に動き出そうとしているのです。今回の最高裁の「大崎事件」に対する仕打ちは、こうした動きを止めようとする蛮行に他なりません。
このアホバカ決定をした裁判官は以下の5人。責任を問い、辞めさせる運動も必要だと思います。
裁判官・小池裕さんの写真と「裁判官としての心構え」も最高裁HPより拝借の上、紹介しておきます。
蛇足ながら…むかし徳島県警の指名手配ポスターで “おい、小池!” というのがあったのを思い出しました。こっちの小池さんにも、同じ言葉をかけたいと思います。
【111】「大崎事件」再審取消の裏にある許せないハナシ
◆今度こそ本当に、日本の司法は死んだ…
やはり今回は “あのコト” について書かざるを得ません。何かというと6月25日、最高裁が「大崎事件」の再審開始決定を取り消したコトです。
これまでも裁判所がオカしな決定を出すごとに “日本の司法は死んだ” というフレーズが繰り返されてきました。もう何回死んでいるんだ…とツッコミを入れたくなりますが、今回の最高裁決定はとくに醜悪。
今度こそ本当に、日本の司法は昇天…でなく地獄の底に落ちてしまいました。
地方裁判所、高等裁判所は丁寧な審理をして “冤罪の可能性大!” との心証を持ちました。そして原口アヤ子さんが高齢なことも考慮して、これまででは考えられないスピードで再審開始を決定しました。
それを最高裁は “これらを取り消さなければ著しく正義に反する” とまで述べて、無実を訴える声を門前払いしました。しかも審理に関わった5人の裁判官全員一致で…。1人も反対意見を出さなかったのは、かなりの異常事態です。
すでに決定文は、最高裁のHPに公開されています。
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=88759
今回の最高裁の決定に対しては「日弁連」「日本国民救援会」などが一斉に講義声明を出し、新聞各紙も社説で批判しています。そのひとつ「再審法改正をめざす市民の会」の抗議声明のリンクを張っておきます。
https://retrial-law.wixsite.com/mysite/blank
判決ののヒドさについてはこれらの声明などで述べられているので、今回は裏で暗躍した検察の蛮行・愚行について書いてみます。
◆取消決定の前日に上京していた鴨志田弁護団事務局長
「大崎事件」の再審開始が取り消されたまさに前日の6月24日。鴨志田祐美・弁護団事務局長が、最高裁に一刻も早い再審開始を要請すべく鹿児島から上京しました。
要請終了後の報告会では主に再審を妨害する検察についてのお話を聴きましたが、その内容があまりにも衝撃的。当ブログではこれまでも再三にわたって検察を批判してきましたが、ここまでムゴいコトをするのか!と改めて憤りを覚えました。鴨志田弁護士のお話から、とくに衝撃を受けた部分を紹介します。写真の下に続きます…。
(文章は録音をもとに作成・編集していますので、文責は当方にあります)
報告会での鴨志田祐美弁護士。
◆まさか「元号」までまたぐことになるとは
地裁・高裁が全速力でつないだ再審開始のバトンは最高裁の手にある。しかし「松橋(まつばせ)事件」の再審が確定し大崎もそろそろ…と思っていたが、最高裁は沈黙を続けている。まさか年をまたぎ、元号までまたぐことになるとは予想していなかった。
◆最高検察庁の「意見書」
そろそろ再審開始決定が出るか…と期待していた矢先の今年1月17日、最高検が突然「意見書」を提出してきた。その中身は、「吉田鑑定」(※)の信用性を問うものだったが、科学的・医学的根拠を無視したヒドいものだった。しかも意見書が書かれた日付は昨年の8月8日だった。
※吉田鑑定=被害者の死因は絞殺によるものでなく、事故死であるとする鑑定。福岡高裁宮崎支部が新証拠として認め、再審開始決定の柱になった。
◆なぜこのタイミングで「意見書」が?
昨年8月の意見書が何故1月になって出されたのか? この意見書を出したカワハラという検事(後述)は翌1月18日に法務省に異動になった。あまりにもヒドい意見書だったので出せず躊躇していたが、後から検察内で“なぜあの時、何もしなかったのか”と非難されるのを避けるために、異動前日になって慌てて出したのではないか?
「松橋事件」の特別抗告も棄却され、検察として“これ以上メンツを潰されるわけには行かない”という想いもあったのだろう。
◆コピペの文書で特別抗告を乱発する検察
「大崎事件」「湖東記念病院事件」「松橋事件」。検察が同時期に最高裁に3回もの「特別抗告」を行ったのは、前例のない異常事態。3事件の抗告文書を取り寄せて調べたところ、個々の事件に関する記述以外は大部分が同じ文書の使い回しだった。検察はコピーペーストした文書で、“脊髄反射的” に特別抗告を繰り返している。
◆“公益” でなく “庁益” の代表として再審を妨害
検察官の抗告=「再審妨害」のヒドさは、まだ社会に知られていない。本来検察は “公益の代表者” であるべきなのに “庁益の代表者” として検察庁のメンツを守ることしか考えていないのか。
これを止めさせるには法改正しかない。具体的には「刑事訴訟法」から、検察官の抗告を認めている「第450条」を削除するだけで良い。法改正のためには、検察がいかにヒドいことをやっているのかを多くの人に知ってもらい、世論を盛り上げることが大切だ。
以上です。
お話に出てきた「湖東記念病院事件」「松橋事件」については、こちらに書きました。
【104】やったぞ!!湖東記念病院事件、再審開始 - Free大助!ノーモア冤罪!
【105】「松橋事件」再審無罪、あまりにも遅すぎた春… - Free大助!ノーモア冤罪!
「大崎事件」の概要と、前回の最高裁要請の様子はこちら。
【103】沈黙の最高裁〜「大崎事件」弁護団激励行動に参加して〜 - Free大助!ノーモア冤罪!
さて、意見書を出した「カワハラ」なる検事ですが、検索してみると「川原隆司」という最高検の検事が、1月18日付で「法務省大臣官房長」に、とありました。
この「大臣官房長」という役職、それなりの出世コースのようです。過去には特捜検事としてロッキード事件を担当した掘田力(つとむ)さん(現在は弁護士)などもいました。今後、川原隆司さんがどうなっていくのか、注目です!!
検察の蛮行がなかなか世の中に知られないのは、マスメディアの責任も大きいと思います。どんなに再審妨害を行っても「検察の抗告により…」とサラッとしか報道されず、その中身がいかに許せないモノであるかまでは掘り下げられません。
たとえば「袴田事件」で最高検は、袴田巖さんを “再収監しろ=死刑台に連れ戻せ” という意見書を平然と出しています。これが検察という連中の正体…。“司法試験をパスした、正義を守るエリート集団” などと、間違っても思ってはいけません。
メディアにも働きかけて、冤罪撲滅をもっと大きなムーブメントにするために「守大助さん東京の会」も頑張ります!!
◆仮に再審が決まっても嬉しくない
最後に鴨志田弁護士は “近いうちに、原口アヤ子さんの再審開始が確定すると信じている。しかしそうなっても嬉しくない。この失われた40年をどうしてくれるのか…という憤りの方が強い” と締めくくりました。その翌日に、まさかの取消決定。
アヤ子さんが最初に再審請求(第一次)したのは1995年で、2002年に鹿児島地裁で再審開始決定を勝ち取っています。本来はそこで終わり、平穏な暮らしに戻れていたハズ。しかし検察が抗告を繰り返したため、現在まで闘いを余儀なくされています。
弁護団が最高裁に提出した「上申書」には、再審請求を行った60代から90代になった現在までのアヤ子さんの写真も添付されました。1人の人間のかけがえのない時間を、検察と最高裁は一体何だと思っているのか…。
最初に再審請求を申し立てた頃の原口アヤ子さんは早口の鹿児島弁が印象的な、元気一杯な女性だったそう。現在は施設で寝たきりになりながらも、無実を訴え続けている。写真は『テレメンタリー2019/再審漂流 証拠隠しとやまぬ抗告』(テレビ朝日)よりキャプチャー。
【110】明るく楽しい冤罪支援〜布川事件に学ぶ〜
〈前回から続く〉
「布川事件」の闘いは、大きく2つに分けられます。
- ①事件発生(1067年)〜再審無罪(2011年)
- ②桜井昌司さんの国家賠償請求(2012年〜現在)
今回は主に①について書いてみます。
また「布川事件」の再審無罪が確定したのは、ちょうど私が冤罪の支援活動に関わり始めた頃。私自身は直接運動に参加していないので、これから書くことは支援者の皆さんから聞いた話や、本などの資料をもとにしています。
◆粘り強く証拠を開示させた弁護団
桜井昌司さんと杉山卓男さんを有罪にした根拠は、主に2つ。
- 取り調べでの2人の自白(物的な証拠はナシ)。
- 事件現場で2人を見たという、警察の誘導で作られたとしか思えない目撃証言。
かなり弱い根拠で有罪にされてしまったわけですが、逆に有罪を一発逆転で覆せるウルトラC(表現が古いか…)がないのも事実。 “真犯人が判明した” とか “DNA鑑定が誤っていた” といった劇的な展開を望めない中、2人の無実を証明したのは弁護団による粘り強い証拠開示でした。
まず弁護団は、すでに開示されている取調べ調書などを徹底的に読んだといいます。そして「○月○日と○月×日の調書があるのだから、×月×日の調書もあるハズだ」「この調書で語られている、こんな証拠があるハズだ」といった具合に推理を働かせ、まだ見ぬ証拠を1つひとつ開示させていきました。
パズルの小さなピースを1つずつ埋めていくような、気の遠くなるような作業だったことでしょう。こうした血のにじむような取り組みの結果、取調べ時の録音テープに編集された跡が見付かるなど、2人を無理やり犯人にデッチ上げて行った捜査の全体像が明らかになりました。
目撃証言は、近所の男性がバイクで現場を通りかかった際に2人を見たというもの。“夜の暗闇の中、時速約30kmで走るバイクから道端にいる人間を識別できるのか?” 素朴な疑問を抱いた弁護団は再現実験も行い、そんなコトは到底不可能なことを証明しました。
現場の被害者宅からは2人の指紋も出ていませんが、裁判所は “指紋がないからと言って、犯人でないとは言えない ”という意味不明な理屈で有罪にしました。そんなバカな!?と思われるかもしれませんが、冤罪事件ではよくあるパターンです。
“それならば本当に指紋が出ないことがあるのか?”弁護団は支援者と協力して現場を再現したセットを作り、桜井さんが自白通りの方法で侵入したところ、おびただしい数の指紋が残りました。本当に涙ぐましいというか…非常識な裁判所を説得するには、このぐらいやらないとダメなのです。
◆検事より怖かった!? 弁護団長
弁護団長を務めた柴田五郎さん(1936年〜2017年)とは、亡くなる数年前に何回かお会いしました。もの静かで穏やかな方という印象でしたが、再審無罪を勝ち取るまでは本当に鬼のよう…というより鬼そのものだったそう。それだけ真剣だったのでしょう。
柴田さんが「布川事件」の弁護士になったのは1971年。そこから再審無罪を勝ち取る2011年まで実に40年。“自分も無期懲役になったつもりで2人に付き合う”と覚悟を決めたといいます。
はじめて拘置所で2人に面会した柴田弁護士は “無罪が欲しかったら支援を訴える手紙を書け!!” と、詰め寄ったそう。本当に “詰めた” という表現がピッタリで、桜井さんも “検察官より怖かった” と振り返ります。
柴田五郎弁護士(前列左から3人目)。『布川事件の44年が問いかけるもの』より。
◆真摯に無実を訴え続けた杉山さん
柴田弁護士に気圧されて…でなく言われたことを真摯に守り、桜井さんと杉山さんは1万通におよぶ手紙を書き続けます。そのうちの1通、杉山さんが作家の佐野洋(さのよう1928〜2013年)さんに充てた手紙(1974年)の一部を紹介します。
拝啓 突然の便りにて失礼致します。
私は、布川事件という強盗殺人事件の犯人として、桜井昌司という男と、二人共犯として、警察検察にデッチあげられましたが、ただ今、無実を主張してたたかっているものでございます。
(中略)
私はこれまで、裁判というものを神聖なものと信じてきました。それゆえに期待を裏切られたショックは大です。
日本の法律には『疑わしきはばっせず』という大原則がありますが、一体、いまの日本で、その原則通り判決している裁判官がどれほどいることでしょう。
(中略)
佐野先生もお忙しい毎日とは存じますが、こんな不正なことが許されないよう、私たちのためにお力添えをいただき、最高裁をして真実に目を向けさせるよう、また広く国民に訴え、裁判所に公正な判決をさせるために、ぜひともお力添えをいただきたいのです。
逮捕当時の杉山さんは地元で名の知れたワル、今でいうヤンキーでした。それが原因で「布川事件」の容疑者として警察に目を付けられたわけですが、手紙の文面からはそんな過去が信じられないような真面目な人柄が伝わってきます。塀の中で必死に自分と向き合ったのでしょう。
再審無罪を勝ち取った6年後の2017年、杉山さんは亡くなりました。まだまだやりたいこともあったに違いありません。本当に無念だったことでしょう。
杉山さんの手紙全文、桜井さんの獄中詩、そして事件の経過を詳細に綴った佐野洋さんの『檻の中の詩』。
◆“冤罪仲間”のために駆け回る桜井昌司さん
桜井昌司さんも、捕まる前は相当ヤンチャをしていたそうです。でも千葉刑務所に収監されてからは“いつか必ずいいコトがある、今できることを一生懸命やろう”と真面目に刑務作業に取り組み、詩を書いたり音楽の勉強に励んだといいます。その努力は塀の外に出てから実を結び「歌手」としてCDまで出しています。
現在の桜井さんは、全国の刑務所を飛び回って無実を訴える人を励ましたり、法務委員会で国会議員を相手に冤罪の撲滅を訴えたり、まさに八面六臂の活躍をしています。守大助さんの支援者集会や裁判所要請でも、たびたび顔を合わせます。
桜井さんはよく “冤罪仲間の誰々が” という表現を使います。私はこの“冤罪仲間”という言葉が大好きです。同じ苦しみを味わっている人に対する想いや温かみが、ヒシヒシと伝わってくるんです。
ここ数年で、冤罪というジャンルが社会の注目を集めるようになりました。いろいろな皆さんが頑張ってきた成果でしょうが、その中でも桜井さんが果たしている役割は決して小さくないと思います。本当に頭が下がります。
◆『救援会』の存在意義
人権団体『日本国民救援会』が「布川事件」を支援し始めたのは1972年。そこから有志による支援組織「守る会」が立ち上がり、支援の環が広がっていきました。守大助さんの「北陵クリニック事件」と、同じパターンですね。
『救援会』は何を根拠に冤罪の支援を決めるのか、きいたことがあります。
- ①本当に冤罪であるか、裁判資料などをもとに検証。
- ②当事者、弁護団、支援者の3者が団結して運動を作れるかを重視。
「布川事件」は①は当然として②で大きな成功を収めたモデルケースです。
前回のブログで書いた通り、桜井さんと杉山さんは1978年に有罪・無期懲役が確定して千葉刑務所に収監。1996に2人揃って仮釈放となりました。無実を訴えていると“反省していないからダメ”となかなか出してもらえない中で仮釈放を勝ち取れたのは、運動の成果。そもそも2人が同じ千葉刑務所に入れたのも、奇跡的なことです。
『救援会』は、
- “2人は再審請求をするつもりでいて、東京で弁護団を結成する。”
- “面会や打ち合せがしやすいよう、東京に近い刑務所にして欲しい。”
など要望を出しながら法務省当局と交渉したといいます。
冤罪の支援というと署名を集めることだけと思っていましたが、実はやるべきことはいろいろあるのです。
◆どんな裁判官、どんなマスコミも味方に付けよう
「守る会」も毎月欠かさずニュースレターを出して裁判の進捗状況を伝えたり、事件現場を訪れて事件の知識を深めたり、弁護団と協力して再現実験を行ったり、活発に活動を展開しました。
支援者どうしの結束は固く、「守る会」の雰囲気はとても明るかったそうです。どうやったら再審無罪を勝ち取れるか真剣に議論を交わす一方で、温泉や飲み会で和気あいあいな雰囲気も大切にしたといいます。杉山さんからは “オレをダシに楽しみやがって” と冗談まじりで憎まれ口を叩かれたそうですが、これはとても大切なポイントだと思います。
冤罪は本当に深刻で苦しいもの。支援活動だって真剣に取り組まなければなりません。だからと言って暗い顔ばかりしていても、人は集まって来ないし、支援の環は広がらないでしょう。 “明るく楽しく” 活動することは、まったく不謹慎ではないのです。
またこれは桜井さんからきいたことですが “どんな裁判官、どんなマスコミも味方にしよう” も運動の合言葉にしたそうです。バカな判決を下す裁判所や、警察・検察がリークするデタラメを報じるメディアは本当に許せません。だからと言って批判ばかりしていても、物事は進みません。
そんなポジティブさを大いに見習って、守大助さんの再審無罪に向けて引き続き頑張りたいと思います。大助さん本人も、辛気くさい活動なんか望んでいないでしょう。
当事者、弁護団、支援者の団結を象徴するような1枚の写真。前列中央が桜井昌司さん、その左の背の高い男性が杉山卓男さん、杉山さんの左には柴田五郎弁護士。『布川事件再審無罪5周年報告〜布川事件の44年が問いかけるもの』表紙より。
【109】「布川事件」国賠勝利に想うこと
◆警察&検察の愚行・蛮行を認めた裁判所
もう2週間前になりますが、5月27日(月)に「布川事件(ふかわじけん)」桜井昌司さんの国家賠償訴訟の判決が、東京地裁でありました。
桜井さんは冤罪を作り上げた上に何の反省もしない警察・検察の責任を問うべく、2012年12月に国賠を起こしました。それから約6年半、裁判所は桜井さんの訴えを認め、茨城県と国に約7600万円の損害賠償の支払を命じました。
判決は以下の3つを「違法」と断罪しました。
- 1.取り調べで刑事が「お前のお母さんが早く自白して欲しいと言っているぞ」(本当は言っていない)など、ウソをついて自白させた。
- 2.法廷で刑事が、実際はある取調べの録音テープが「ない」とウソをついた。
- 3.検察が無実の証拠(目撃者の捜査報告書など)を開示しなかった。
予想通りと言うか…先週末に茨城県と国は判決を不服として控訴してきました。こうなるのは桜井さんも想定内だったようで “徹底的に闘い、完全勝利を目指す!” と早くも臨戦態勢です。
「茨城県」は茨城県警、「国」は検察と言い換えられます。残念ながら現行の国賠制度では、警察官・検察官の責任を直接追求することはできません。
公務員の活動を萎縮させないための配慮らしいのですが、桜井さんは “冤罪を作り上げた当事者を処罰する仕組みが必要だ” と、事あるごとに主張しています。
本当にその通りだと思います。
どんな不当な捜査や起訴を行って無実の人を陥れても、その責任は自治体や国が肩代わりしてくれる…。自分で自分の尻拭いをする制度にしなければ、本当に冤罪はなくならないでしょう。
何はともあれ、裁判所が警察・検察の愚行・蛮行を正面から認めたという意味で、今回の判決は画期的だと思います。これまでの多くの冤罪事件では、こうした主張が認められることはほとんどありませんでしたから。
守大助さんのケースに当てはめてみるると…。
- 1.取り調べで刑事が「お前が筋弛緩剤を投与した証拠がある!お前が否認するなら、(婚約者の)同僚看護士を逮捕する!」とウソをついて自白させた。
- 2.法廷で刑事が「違法な取り調べはしていない。守大助が自ら進んで自白した」とウソをついた。
- 3.検察が無実の証拠(ねつ造された可能性の高い鑑定データ、筋弛緩剤の空容器など)を開示していない。
どうでしょうか? 今回の判決に照らし合わせれば、3つとも完全に「アウト!」なことは明白。大助さんの再審は今すぐにでも開始されるべきでしょう。
〈取調べの様子についてはこちらの過去記事を参照〉
【85】守大助さんの父・勝男さんの訴え - Free大助!ノーモア冤罪!
【86】これが取り調べだ!(怒) - Free大助!ノーモア冤罪!
◆「布川事件」52年の闘い
布川事件とはどんな事件だったのか?改めて振り返ってみます。
- 1967年8月 茨城県北相馬郡利根町布川で、62歳の大工の男性が殺される。
- 1967年10月 桜井昌司さん(20歳)、杉山卓男さん(21歳)が相次いで逮捕。
- ※桜井さんは「ズボンを盗んだ」、杉山さんは「暴力事件を起こした」という別件逮捕。
- ※「借金を申し込んだが断られたので、カッとなって二人で共謀して殺した」が動機とされる。
- 1970年10月 第一審(水戸地裁土浦支部):無期懲役
- 1973年12月 第二審(東京高裁):無期懲役
- 1978年7月 第三審(最高裁):上告棄却・無期懲役が確定
- ※桜井さん、杉山さんともに千葉刑務所(守大助さんと同じ刑務所)に収監
- 1983年12月 第一次再審請求
- 1987年3月 再審請求棄却
- 1996年11月 桜井さん(49歳)、杉山さん(50歳)、相次いで仮釈放
- 2001年12月 第二次再審請求
- 2005年9月 再審開始決定
- 2011年5月 再審無罪
- 2012年12月 桜井さん、国賠を起こす
- 2015年7月 杉山さん死去
- 2019年5月 東京地裁、茨城県と国に賠償を命じる
- 2019年6月 茨城県と国が控訴
私事になりますが、私は1968年8月生まれです。なので事件発生と2人の逮捕は生まれる約1年前。そして私が幼稚園・小中高・大学を卒業して28歳の時に、2人は塀の外に出てきたことになります。
本当に想像を絶する時の長さです…。
まさに浦島太郎のような仮釈放直後の2人の姿や、再審を勝ち取るまでの闘いは、こちらのドキュメント映画でご覧いただけます。
仮釈放から再審開始決定まで、10年以上にわたって2人を追ってカメラを回し続けた、超力作映画です。
◆「布川事件」何が闘いを勝利に導いたのか?
よく冤罪支援仲間からは「布川に学ぼう」という声を聴きます。守大助さんの支援者の中にも、布川事件の支援経験者がたくさんいます。
確かに上の年表を見返してみると、無実を訴えながらも仮釈放を勝ち取り(無実を主張していると“反省していないからダメ”と、なかなか出してもらえない)、再審無罪を勝ち取り、そして今回の国賠勝利と、ここまで多く勝っている冤罪事件は珍しいかもしれません。
勝利の秘訣は何だったのでしょうか?
“それは当事者(桜井さん、杉山さん)、弁護団、支援者の3者が団結して頑張ったから” と、皆さん口を揃えて答えます。
では3者はどのように闘ったのか? 掘り下げてみたいと思います。
(次回に続く)
判決後の記者会見で、勝利を報告する桜井昌司さん(右から2人め)。(写真:「日本国民救援会」HPより)