Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【103】沈黙の最高裁〜「大崎事件」弁護団激励行動に参加して〜

■事件から40年、92歳になる原口アヤ子さんの命あるうちに再審無罪を!!

現在、最高裁判所最高裁)では「日本国民救援会」が支援する5つの冤罪事件が、無罪獲得を目指して闘っています。

  • 守大助さんの「北陵クリニック事件」(再審)
  • 原口アヤ子さんの「大崎事件」(再審)
  • 袴田巖さんの「袴田事件」(再審)
  • 西山美香さんの「湖東記念病院事件」(再審)
  • 勝又拓也さんの「今市事件」(通常審)

※救援会が関わっていない「飯塚事件」や「恵庭OL事件」なども含めると、さらに多くの冤罪事件が最高裁に係属している。

昨日(3月15日)は「大崎事件」の弁護団が一刻も早い再審開始を要請するため、鹿児島から上京。最高裁前には支援者が集まり、要請に入る弁護団を激励しました。冤罪を闘うには、当事者・弁護団・支援者のチームワークが重要なカギになります。弁護団を励ますことも、大切な活動なのです。

「大崎事件」はこれまで2度の再審請求が棄却され、3度目にしてようやく再審開始への展望が開けてきました。昨年3月、福岡高裁は異例の早さで再審開始を決定。しかし検察が特別抗告したため、審理が最高裁へ移って1年が経とうとしています。

まさにもう一歩…という状況の中、最高裁は検察の抗告を退けて速やかに再審開始決定を出すべきなのに、ひたすら沈黙を守り続けています。

今年で事件発生から40年、原口アヤ子さんは一貫して無実を訴え続けて間もなく92歳に。現在は体調を崩し、施設で命を削りながら再審無罪を待ち望んでいます。まさに時間との闘い。“命あるうちに” という想いを直接伝えるべく、弁護団が緊急要請書をたずさえ、鹿児島からやって来たのです。

 森雅美・弁護団長が要請に先立ち、最高裁前で原口アヤ子さんの一刻も早い再審開始を訴える。垂れ幕を持つのが集まった支援者。

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 ■“ひとりの人として”裁判官に向き合ってほしい

要請終了後の記者会見で、弁護団の鴨志田祐美・事務局長はこのように訴えました。

「裁判体としてでなく、裁判官1人ひとりに“人として”この事件に向き合ってほしい。そういう想いで要請書を提出しました」

そのため要請書の宛名は単に「最高裁判所第一小法廷」とするのでなく、5人の裁判官と1人の調査官の名前も添えたといいます。

 しかし鹿児島からはるばる足を運んだ弁護団に対する最高裁の対応は、そっけないものでした。受付で事務職員が事件番号を確認し、要請書を受け取っただけだったそうです。最高裁が何を考えているのかは、完全にブラックボックスのまま…。私もまったく同じことを感じており、以前書きました。

【83】最高裁は誰のために…? - Free大助!ノーモア冤罪!

こんな最高裁、何とかして変えなければなりません。それが民主主義国家に生きる私たちの責任ですから。

5人の裁判官と1人の調査官の名前が添えられた緊急要請書。A4サイズ1枚の簡潔な書面だが、この重要さを最高裁はどこまで理解するのか。

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記者会見での鴨志田祐美・弁護団事務局長。右は森雅美・弁護団長、左は映画監督の周防正行さん。周防さんは大崎事件を支援しており「もうこれ以上、裁判所に絶望させないでほしい」と語った。

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 ■そもそも「大崎事件」って?「北陵クリニック事件」との共通点

ここからは大崎事件の概要とこれまでの経過について、書いてみたいと思います。

よく東京ではJR山手線の「大崎」と間違えられますが、事件があったのは鹿児島・大隅半島の大崎町です。

1979年10月15日、住宅横の牛小屋から男性の遺体が発見されました。男性は亡くなる寸前、酒に酔ったまま自転車に乗って農道の側溝に転落。起き上がることができず、近隣の住人によって自宅に運ばれていました。

男性は自転車で転倒した際の打ち所が悪くて亡くなった可能性が高いのですが、捜査を行った志布志警察署はそうは受け取りませんでした。 男性の義姉の原口アヤ子さんが日頃から酒癖の悪い男性への恨みを募らせ、3人の親族に命じて殺害を実行した…というストーリーをデッチ上げて逮捕します。

守大助さんの「北陵クリニック事件」にソックリです。大助さんの事件も、病気や抗生物質による急変を “筋弛緩剤による連続殺人” と、宮城県警が思い込んだのがはじまりでした。単なる事故が捜査機関の思い込みによって事件にされてしまうのは、冤罪の典型的なパターンです。

知的障害のあった3人の親族は、強引な取調べに屈して警察が考えるストーリー通りに自白。アヤ子さんだけが一貫して無実を訴え続けます。この事件、アヤ子さんらが共謀して犯行を行ったことを示す証拠は、何一つありません。あるのは脅迫的な取調べで得られた、3人の自白だけ。

しかし裁判で懲役10年が確定し、アヤ子さんは麓刑務所(佐賀県)へ。刑務所では “罪を認めて反省の意思を示せば仮出所できる” という誘いもありました。しかしアヤ子さんは “あたいはやっちょらん!!” と、断固として拒否。10年の刑期を満期でつとめあげ、出所後に再審請求を行います。

■これまでに3度もの再審開始決定

〈第1次再審請求〉

  • 1995年4月 原口アヤ子さんが再審請求
  • 2002年3月 鹿児島地裁、再審開始決定→しかし検察が即時抗告(怒)
  • 2004年12月 福岡高裁宮崎支部、検察の即時抗告を受け再審開始決定を取消
  • 2006年1月 最高裁も取消を支持、再審開始ならず

〈第2次再審請求〉

〈第3次再審請求〉

  • 2015年7月 第3次再審請求
  • 2017年6月 鹿児島地裁、再審開始決定→しかし検察が即時抗告(怒)
  • 2018年3月 福岡高裁宮崎支部検察の即時抗告を退け再審開始決定
  • 2018年3月 しかし検察は特別抗告(怒)、審理は最高裁判所
  • 2019年3月 最高裁は沈黙を守ったまま

 第1次再審請求では、遺体の傷が自白で得られた殺害方法と矛盾するという法医学鑑定を提出。一度は再審開始決定が出たものの、検察の抗告によって取り消されてしまいます。

第2次再審請求では、検察が「ない」と隠していた初期捜査段階の証拠など200点以上が開示。3人の親族の自白が、強引な取調べによって得られたことが一層明らかに。しかし再審請求は棄却されます。

第3次再審請求では、検察が「未開示証拠はもう存在しない」と言い張っていた証拠の存在が判明。3人の親族の自白は強要されたウソであるという心理学鑑定も提出。地裁、高裁とも再審開始決定を出しますが、検察の抗告によって引き延ばされ、現在に至っています。

どうでしょうか?裁判所はこれまで、3回も再審開始決定を出しているのです。こんな事件、他にはなかなかありません。

本来であれば2002年3月の段階で、速やかに再審無罪が確定しているべきでした。そうなればアヤ子さんは、92歳になろうとする現在まで苦しまなかったハズ。このブログで何度も書いてきましたが、検察の抗告を許す現行の「刑事訴訟法」は今すぐ改正すべきです。

検察庁法」の第四条は検察官の役割について、このように規定しています。

第四条 検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所に法の正当な適用を請求し、且つ、裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述べ、又、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う。

大崎事件に限らず他の冤罪事件でもそうですが、検察が行っていることは “公益の代表者” を自ら放棄した蛮行に他なりません。この人たちのアタマの中には、“一度起訴して有罪にしたものを覆すなど許せない” という、自分たちのメンツを守ることしかないのでしょう。

■こんな司法、絶対に変えよう

大崎町、私は一度も行ったことがありませんが、鹿児島市内からバスとフェリーを乗り継いで3時間かかるそうです。東京まで飛行機で来るよりも、時間がかかるわけです。アヤ子さんはまだ元気だった第一次再審請求審の時、この遠い道のりを最高裁まで通って “あたいはやっちょらん” と訴えたといいます。

日本の警察、検察、裁判所は、一体何を守ろうとしているのでしょうか? こんな状況、何としても変えなければと思います。

 91歳の原口アヤ子さん。事件から40年、一貫して無実を訴え続けている。『NNNドキュメント』(2018年2月18日放送)より。

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