Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【173】冤罪支援の原動力は、愛しみ(かなしみ)と絆

◆冤罪仲間を想い、1人で街頭に立って署名

2月21日の「中日新聞」に、冤罪「湖東記念病院事件」西山美香さんの記事が出ました。

その記事の全文が、記者さんのFacebookにアップされています。

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(こちらの中日新聞公式サイトにもアップされていますが、全文読むには会員登録が必要です)

www.chunichi.co.jp

記事によると西山さんは1人街頭に立ち、同じ滋賀県で起きた冤罪「日野町事件」の署名を集めているといいます。本当にすごいと思います。並大抵の覚悟では、できないでしょう。

西山さんについては、当ブログでも何回かにわたって書いてきました。

【137】「湖東記念病院事件」無罪!!but…冤罪を作り上げた連中をこのまま逃がすな!! - Free大助!ノーモア冤罪!

西山さんは再審無罪が確定するまで、毎回のように最高裁への要請活動に参加していました。たった数分の要請のため、わざわざ滋賀県から東京まで足を運んでいたのです。

私も「北陵クリニック事件・守大助さん」の再審開始を訴えるべく(2019年11月に棄却されてしまいましたが…)最高裁に足を運び、よく西山さんと顔を合わせました。

西山さんは対応に出た最高裁の職員さんに対して「私はやっていない。一刻も早く再審を確定して欲しい」と、切実な気持ちを訴えていました。

そして自分の要請が終わった後、「私だけでなく、他の冤罪事件のことも考えてほしい。お願いします」、と必ず言い添えていました。自分のことだけで精一杯なはずなのに、他の冤罪仲間のことまで気遣う姿勢に、涙が出るほど感銘を受けました。

西山さん自身、滋賀県警の取り調べや、裁判で受けた苦しみが大きく、同じ苦しみを味わったであろう人たちのことを、とても他人事とは思えなかったのでしょう。

(取り調べについては、こちらに書きました)

【116】「湖東記念病院事件」検察“有罪立証断念”の狙いとは? - Free大助!ノーモア冤罪!

人間誰しも「忘れられない感情」があるといいます。冤罪犠牲者が背負う「悲しみ」は、まさにその典型でしょう。いくら無実を訴えても「オマエが犯人だろう!」と言われる悔しさと絶望感は、心の傷となってずっと刻まれるに違いありません。

しかもそれを国家権力にやられるわけですから、想像を絶する苦痛が伴うと思います。

しかしその反面、こんな真理もあるといいます。

・人は悲しみに反応して、絆を深める。

・悲しみは“愛しみ”とも書く。

これは最近、お世話になっているある先生から学んだことです。

この感情を、冤罪支援の先輩は「惻隠(そくいん)の情」と表現していました。

「惻隠の情」を辞書で調べると「哀れに思う気持ち。可哀想であると感じる気持ち」と、出てきます。ただし「哀れに思う」ことだけで終らず、その人が受けたであろう悲しみに感情を揺さぶられ、共感を持って寄り添い、「絆」を深めることに、本当の意味があるのだと思います。

まさに見返りを求めない「愛(あい)」にも似た感情。西山さんの取った行動も、これに近いものかもしれません。

また「布川事件」の桜井昌司さん、「東住吉事件」の青木惠子さんも自身の再審無罪が確定した後に「冤罪犠牲者の会」を立ち上げ、全国の刑務所や拘置所を回って無実を訴える人たちを励ましています。本当に頭が下がります。

(冤罪犠牲者の会HP)

enzai.org

 ◆私を冤罪支援に駆り立てる「忘れられない感情」

私自身が冤罪の支援活動に参加する理由については、こちらに書きました。

 社会問題は「自分ごと」。法律素人の私が冤罪の支援をする切実な理由

この記事では「冤罪は人ごとでなく自分ごと」を理由としましたが、まだまだ説明不足でした。実はもっと深い原体験が、小学生時代にありました。

 当時の私は皆よりも声変わりが早く、体の発育が早かったせいか、周囲から少し浮いていました。そのせいか、クラスメイトから「痴漢」と言われるようになりました。そして自分は何もしていないのに、“体育の前に女子の着替えを覗いてニタニタしていた”とか、いろいろと濡れ衣を着せられました。

私がこの時に味わった、やっていないことを“やった”と言われ、痴漢呼ばわりされる屈辱感は、今でも心の奥底に染み付いています。もう数十年前の出来事ですが、今でも当時の記憶が蘇って怒りが込み上げてきます。

なので痴漢冤罪をテーマにした映画『それでもボクはやってない』は、人には勧めますが私自身積極的に観るつもりはありません。観ると正常な精神状態を保っていられなくなります。

そしてこの「忘れられない感情」こそが、私を冤罪支援の道に駆り立てる原動力になっているのだと気づきました。

こんな私の些細な体験と、国家権力によって「犯人」の烙印を押される冤罪では全然レベルが違うでしょう。しかし心に深い傷を受けたことは変わりませんし、その傷に対する想像力を働かせれば、1%ぐらいは冤罪犠牲者の気持ちに寄り添えるのではないかと思っています。

「なんで冤罪支援なんかやるの?」という人に活動を理解してもらうにはどうするか? そのためには感情を揺さぶり「愛しみ」と「共感」の輪を広げるしかないかもしれません。

SDGs(持続可能な開発目標)」18番目のゴール「えん罪のない社会を実現しよう」。えっ、SDGsのゴールって17個だったよね?と思うかもしれません。その通り、私が勝手に作ったゴールです。これについては、改めて書きます。

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