【86】これが取り調べだ!(怒)
〈前回から続く〉
■ある朝、家に刑事が
2001年1月6日の朝、守大助さんが彼女(同僚で婚約者の看護士)と暮らすアパートに、宮城県警の2人の刑事がやって来ました。
“A子ちゃんの急変について、北陵クリニックの職員に順番に話を聞いているので来て欲しい”
と言う刑事の言葉に、大助さんは何の不信感も抱かず、警察の車に乗って県警本部に向かいます(その後、泉警察署に移送)。
県警は父・勝男さんの職場でもあり、大助さんは警察に対して親近感を持っていました。むしろ捜査に協力しようという気持ちだったといいます。
しかし取調室に入ったとたんに刑事は、
“おまえがやったんだ”
“A子ちゃんの急変の原因を知っているのはお前だ”
“マスキュラックス(筋弛緩剤の商品名)だな” と、
大声で怒鳴りはじめます。
最初は何のことだかまったく分からなかった大助さんは、
自分がありもしない事件の犯人に間違われていることが次第にわかり、
“何もやっていない” と否認を続けますが、まったく聞き入れられません。
朝8時30分頃から始まった取り調べは夜8時過ぎまで続き、ついに大助さんは耐えられなくなりました。
そして刑事に誘導されるままに、A子さんの点滴にマスキュラックスを混入したというウソの自白をしてしまいます。
■お前が否認するなら彼女を逮捕する
大助さんが自白に追い込まれる決定打となったのが、
“お前じゃなければ(婚約者の)彼女を逮捕する” という脅し。
否認する被疑者に対して、家族などの大切な人をネタにして自白を迫るのは、取り調べの常套手段です。
大助さんは自白時の心情を、このように振り返っています。
「今になれば、どんな形であれ、認めてしまうことは恐ろしいことだと判断できますが、当時は怒鳴られ、話を聞いてもらえないことに耐えられなくなり、「楽になりたい」とばかり考え、そのあとどうなるか、なんて考えられなかった。その場、その時から「楽になりたい」の一心でした。」(ジャーナリスト・山口正紀さんに宛てた手紙より)
〈手紙の全文はこちらの本に収録〉
事件の全貌と冤罪のポイントを知る必読書。阿部泰雄弁護団長、警察の鑑定の誤りを指摘した化学分析の第一人者・志田保夫博士、A子さんの病状がミトコンドリア病メラスであることを明らかにした池田正行医師、“何故やってもいない犯行を自白するのか?”という、恐らく多くの人が抱いている疑問に明確に答える供述心理学鑑定の第一人者・浜田寿美男教授、そして守大助さん本人など“北陵クリニック事件のオールキャスト”による渾身の1冊です。
ヒドい取り調べを受けながらも、
大助さんは父の職場である宮城県警を信じていました。
“調べ直してくれれば自分の疑いは晴れるだろう” と思うと同時に、
“刑事さんがここまで言うのなら、もしかすると自分の処置にミスがあったのかもしれない” と感じたといいます。
A子さんの急変は2000年10月31日と、逮捕の3ヵ月近く前。そんな前の日の自分の一挙手一投足を、正確に覚えていられるでしょうか?
外部の情報が遮断された取調室という密室の中、朝から晩まで10時間以上にわたって刑事に責め立てられれば “ひょっとして俺は何かやったのかもしれない” と、ウソの自白をしてしまうのも無理はありません。
■“安らかに死刑を受けろ”
大助さんは1月9日に自白を撤回。A子さん以外の4人の急変患者についても逮捕・起訴が繰り返されますが、現在に至るまで “やっていない” と否認を貫いています。
転機になったのは、後に弁護団長となる阿部泰雄弁護士が接見したことでした。
阿部弁護士は大助さんと初対面した時の様子を、このように振り返ります。
「はじめて守君に会ったのは、逮捕から2日後の2001年1月8日。拘留されている泉警察署で接見しました。守君ほとんど眠れていない様子で、“自分がやりました”と言っていました。翌9日も接見して、“やったなら、どんなふうに筋弛緩剤を入れたんだ?”と質問をしても、守君はほとんど具体的に答えられませんでした。こうして会話を重ねるうちに “ああ、オレはやっぱりやっていないんだ…”と、マインドコントロールから覚めて、そこからは完全に否認に転じたんです」
否認に転じた大助さんへの取り調べは、さらに苛烈を極めました。
大助さんは拘留されている間の様子を克明に日記に残しており、出版もされました。
現在は古本でしか手に入りませんが、ぜひ1冊購入してください。
発行は逮捕された2001年。あまりにもムゴい取り調べの様子に、最後まで読むのはツライ…でもリアルな出来事を知っていただくためにも、多くの方に読んでいただきたいです。
本の中から、取り調べ時に受けたという暴言をいくつか抜粋して紹介します。
「ふざけるな!何が『やってません!黙秘します!!』だ。なめてるのか!」
「私が殺しましたという調書にサインしろ。やすらかに死刑を受けろ」
「警察というものは、ウソをついたり、駆け引きしたり、ずるいことは本当にしない。お前のお父さんの仕事なんだぞ!!」
「お前は人間以下のクズだ!!お前はここ(取調室)にいて守られているからいいが、家族、ユキ(婚約者・仮名)は大変なんだぞ!!わかってるのか!!」
「裁判でお前がやってないと言ってもこちらの方が正しいんだ。お前は有罪なんだ!」
「指紋とっただろ!マスキュラックス(筋弛緩剤)からすべて、出ているんだからな。こちらは証拠がたくさんあるから弁護士なんてビックリするぞ!もうウソつくな。人間以下。死ね」
「お前もふざけてるなら、父親もふざけてる。よく仕事に行ってるな。恥さらし親子だ」
「お前が(筋弛緩剤を)入れた所、みんな見ているんだ!」
「お前は本当に宮城県警と闘うのだな。弁護人の金だれが払ってるんだ!ふざけるな!」
警察だけでなく、大助さんを起訴した検察の取り調べもヒドいものでした。
「もうゲームはやめろ。オレ(検事)を信じろ。国家なんだ。お前を更生させてやる」
「殺人者」「人殺し」(2月10日、検事に1910回こう言われた)
「死刑なんだ!急に足場がなくなるんだ!オレ(検事)と裁判官が絶対死刑にしてやる」
以上、ごく一部を紹介しました。
刑事が言った、大助さんが筋弛緩剤を入れたのを見たという目撃証言はありません。
大助さんの指紋が付いた筋弛緩剤の容器も、裁判には提出されていません。
繰り返し書いてきましたが、県警が急変患者のカルテを押収したのは、逮捕から10日も後でした。基本的な裏付け捜査も行わず、証拠もない中、ひたすら言葉の暴力で自白させようとしていた様子が伺い知れます。
宮城県警も仙台地検も、もはや大助さんが無実かどうかなど、関係なかったのでしょう。逮捕・起訴した自分たちのメンツを守るために、とにかく犯人にデッチ上げる必要があったのでしょう。
“恐怖の点滴殺人魔” とマスメディアがセンセーショナルに煽っている裏で、警察・検察はこのような蛮行を重ねていたのです。
もっともヒドい取り調べを行った清水という刑事は法廷で “違法な取り調べはやっていない。守大助が自分から自白した” “涙を流して自分から正座して反省文を書いた”などとシラバックレタそうです。
この後、大助さんは拘置所に移され、4年6ヵ月にわたって接見禁止に置かれます。弁護士以外、家族にも友人にも会えない状態です。
日本の刑事司法は国連からも “中世レベル” と批判されましたが、これが現実です。
そんな絶望的な状況の中、大助さんを支えたのは弁護団でした。土日以外はほぼ1日も欠かさず、阿部弁護団長はじめ弁護士の誰かが、必ずはげましに来てくれたそうです。
“あの激励がなかったら、今日まで闘えていなかったかもしれない”と、昨年面会した時に大助さんは語っていました。
大阪の支援者が描いた一枚。大助さんは患者さんの人気も高く、愛されていたといいます。こんなほのぼのしたひとときを、再び大助さんに!