【109】「布川事件」国賠勝利に想うこと
◆警察&検察の愚行・蛮行を認めた裁判所
もう2週間前になりますが、5月27日(月)に「布川事件(ふかわじけん)」桜井昌司さんの国家賠償訴訟の判決が、東京地裁でありました。
桜井さんは冤罪を作り上げた上に何の反省もしない警察・検察の責任を問うべく、2012年12月に国賠を起こしました。それから約6年半、裁判所は桜井さんの訴えを認め、茨城県と国に約7600万円の損害賠償の支払を命じました。
判決は以下の3つを「違法」と断罪しました。
- 1.取り調べで刑事が「お前のお母さんが早く自白して欲しいと言っているぞ」(本当は言っていない)など、ウソをついて自白させた。
- 2.法廷で刑事が、実際はある取調べの録音テープが「ない」とウソをついた。
- 3.検察が無実の証拠(目撃者の捜査報告書など)を開示しなかった。
予想通りと言うか…先週末に茨城県と国は判決を不服として控訴してきました。こうなるのは桜井さんも想定内だったようで “徹底的に闘い、完全勝利を目指す!” と早くも臨戦態勢です。
「茨城県」は茨城県警、「国」は検察と言い換えられます。残念ながら現行の国賠制度では、警察官・検察官の責任を直接追求することはできません。
公務員の活動を萎縮させないための配慮らしいのですが、桜井さんは “冤罪を作り上げた当事者を処罰する仕組みが必要だ” と、事あるごとに主張しています。
本当にその通りだと思います。
どんな不当な捜査や起訴を行って無実の人を陥れても、その責任は自治体や国が肩代わりしてくれる…。自分で自分の尻拭いをする制度にしなければ、本当に冤罪はなくならないでしょう。
何はともあれ、裁判所が警察・検察の愚行・蛮行を正面から認めたという意味で、今回の判決は画期的だと思います。これまでの多くの冤罪事件では、こうした主張が認められることはほとんどありませんでしたから。
守大助さんのケースに当てはめてみるると…。
- 1.取り調べで刑事が「お前が筋弛緩剤を投与した証拠がある!お前が否認するなら、(婚約者の)同僚看護士を逮捕する!」とウソをついて自白させた。
- 2.法廷で刑事が「違法な取り調べはしていない。守大助が自ら進んで自白した」とウソをついた。
- 3.検察が無実の証拠(ねつ造された可能性の高い鑑定データ、筋弛緩剤の空容器など)を開示していない。
どうでしょうか? 今回の判決に照らし合わせれば、3つとも完全に「アウト!」なことは明白。大助さんの再審は今すぐにでも開始されるべきでしょう。
〈取調べの様子についてはこちらの過去記事を参照〉
【85】守大助さんの父・勝男さんの訴え - Free大助!ノーモア冤罪!
【86】これが取り調べだ!(怒) - Free大助!ノーモア冤罪!
◆「布川事件」52年の闘い
布川事件とはどんな事件だったのか?改めて振り返ってみます。
- 1967年8月 茨城県北相馬郡利根町布川で、62歳の大工の男性が殺される。
- 1967年10月 桜井昌司さん(20歳)、杉山卓男さん(21歳)が相次いで逮捕。
- ※桜井さんは「ズボンを盗んだ」、杉山さんは「暴力事件を起こした」という別件逮捕。
- ※「借金を申し込んだが断られたので、カッとなって二人で共謀して殺した」が動機とされる。
- 1970年10月 第一審(水戸地裁土浦支部):無期懲役
- 1973年12月 第二審(東京高裁):無期懲役
- 1978年7月 第三審(最高裁):上告棄却・無期懲役が確定
- ※桜井さん、杉山さんともに千葉刑務所(守大助さんと同じ刑務所)に収監
- 1983年12月 第一次再審請求
- 1987年3月 再審請求棄却
- 1996年11月 桜井さん(49歳)、杉山さん(50歳)、相次いで仮釈放
- 2001年12月 第二次再審請求
- 2005年9月 再審開始決定
- 2011年5月 再審無罪
- 2012年12月 桜井さん、国賠を起こす
- 2015年7月 杉山さん死去
- 2019年5月 東京地裁、茨城県と国に賠償を命じる
- 2019年6月 茨城県と国が控訴
私事になりますが、私は1968年8月生まれです。なので事件発生と2人の逮捕は生まれる約1年前。そして私が幼稚園・小中高・大学を卒業して28歳の時に、2人は塀の外に出てきたことになります。
本当に想像を絶する時の長さです…。
まさに浦島太郎のような仮釈放直後の2人の姿や、再審を勝ち取るまでの闘いは、こちらのドキュメント映画でご覧いただけます。
仮釈放から再審開始決定まで、10年以上にわたって2人を追ってカメラを回し続けた、超力作映画です。
◆「布川事件」何が闘いを勝利に導いたのか?
よく冤罪支援仲間からは「布川に学ぼう」という声を聴きます。守大助さんの支援者の中にも、布川事件の支援経験者がたくさんいます。
確かに上の年表を見返してみると、無実を訴えながらも仮釈放を勝ち取り(無実を主張していると“反省していないからダメ”と、なかなか出してもらえない)、再審無罪を勝ち取り、そして今回の国賠勝利と、ここまで多く勝っている冤罪事件は珍しいかもしれません。
勝利の秘訣は何だったのでしょうか?
“それは当事者(桜井さん、杉山さん)、弁護団、支援者の3者が団結して頑張ったから” と、皆さん口を揃えて答えます。
では3者はどのように闘ったのか? 掘り下げてみたいと思います。
(次回に続く)
判決後の記者会見で、勝利を報告する桜井昌司さん(右から2人め)。(写真:「日本国民救援会」HPより)