Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【135】「今市事件」④勝又拓哉さんに面会してきました

◆“やっていない”という真実が、再審に向けた最大の武器になる

3月19日(木曜日)、東京拘置所の勝又拓哉さんに面会してきました。無期懲役が確定した拓哉さんは、近いうちに刑務所に収監されます。どこの刑務所になるかはまだ明らかになっていませんが、いずれにせよ、東京で面会できる機会は残り少ないということで行ってきました。

面会室のアクリル板の向こう側に現れた拓哉さんは、逮捕前の写真より少しフックラした感じ。赤いシャツに赤いスエットといういでたちで、髪は長め。陽気なお兄さんという印象でした。

アクリル板ごしに顔を合わせるなり「どうぞ座ってください」と、こちらに椅子をすすめてから、自分も席につきました。

そして “自分は(犯行を)やっていないことが最大の武器になります。だから再審を一からやり直せるんです” と、力強く決意を語ってくれました。

最高裁の上告棄却決定が出た直後はかなり落ち込んだといいますが、今は元気な様子。一刻も早い再審に向けて気持ちを前向きに切り替えたことが、会話からヒシヒシと伝わってきました。

以下、拓哉さんから聴いたことを書いてみます。拘置所は刑務所と同じく、写真撮影や録音は禁止されています。なのでこれから書くことは、私がその場で取ったメモと記憶を元にしています。

◆170通以上の激励の手紙が届いた

最高裁で上告が棄却されてから、170通以上も激励の手紙が届いた。これまで支援してくれた人はもちろん、新聞やテレビで事件を知ったという、まったくはじめての人からの便りも多かった。中には大学生や高校生もいた。

大学生は前々から事件に関心を持ち、冤罪であると確信していたので、まさか最高裁が棄却すると思わなかったと…。

高校生からの手紙もあった。彼(彼女かもしれません…性別未確認)は、東京高裁の第二審から裁判の傍聴に来てくれていたという。やはりまさかの棄却に驚いていると、励ましてくれた」

◆「布川事件」桜井昌司さんの励まし

「冤罪「布川事件」で29年の獄中生活を送った、桜井昌司さんも合いに来てくれた。

“刑務所の暮らしは規則さえ守っていれば悪くはないから、大丈夫だ” とアドバイスをくれた。刑務所は映画で観るような怖い所ではないようなので、少し安心した」

布川事件」と桜井昌司さんについては、以前こちらに書きました。

daisuke0428.hatenablog.com

daisuke0428.hatenablog.com

桜井昌司さんも、ご自身のブログに面会のことを書いています。

blog.goo.ne.jp

◆180ページの判決文をひたすら読む毎日

「今は約180ページからなる東京高裁の判決文(2018年8月)を読み込んでいる。最高裁の棄却決定も東京高裁の判決を踏襲しているので、改めて判決のオカしな点を洗い出しておきたい。

あとは看守から『六法全書』を借りて、法律の勉強もしている。拘置所では30分間の運動が許されているが、その時間も惜しんでひたすら資料を読んでいる。刑務所に行くと勉強にどのぐらい時間が取れるのかわからないので、再審請求に向けて今のうちにできることをやっておきたい」

◆8年におよぶ捜査資料がまったく開示されていない

「被害者の遺体が発見された茨城県の山林には、行ったことがない。警察が現場検証をやる時に、はじめて連れていかれた。

乗っていた車を処分したのは証拠隠滅のためでなく、車検の時期が来たから。あのまま『カリーナED』(排気量2000cc)に乗り続けるとお金がかかるので、車検を機に1500ccの三菱車に買い替えただけのこと。

それにしても警察はなぜボクを犯人にしたのか? 事件発生から逮捕に至るまでの8年間の捜査資料がまったく開示されていない。これらの証拠を警察や検察から開示させることは、再審における重要な取り組みになるだろう」

 以上が、拓哉さんから聴いたお話です。

台湾出身の拓哉さんは、日本語が不自由と聴いていました。でも実際に合ってみると、多少イントネーションにたどたどしさがあるものの、流暢に日本語を話していました。“控訴審”、“上告審”、“証拠開示” といった裁判用語も、当たり前に使いこなしていました。一生懸命に勉強したのでしょう。

それにしても、8年間の捜査資料が開示されていないことに、改めて驚きと怒りを感じました。警察が行った捜査は、とにかく疑問点だらけ。それらの検証をせず、誘導で作り上げられたデタラメの「自白映像」や「手紙」だけで、拓哉さんは有罪・無期懲役にされてしまった…。

こんなことで無実の人間が刑務所に送られてしまうという事実に、愕然とします。拓哉さんの再審がいつになるかはわかりませんが、一刻も早く実現させるしかありません。

捜査や裁判の問題点については、こちらの3本を参照ください。

【131】「今市事件」①勝又拓哉さんが無実と言える理由 - Free大助!ノーモア冤罪!

【132】「今市事件」②有罪ありきの八百長裁判 - Free大助!ノーモア冤罪!

【133】「今市事件」③ それでも“勝又拓哉が怪しい” という誤解に答える - Free大助!ノーモア冤罪!

◆東京拘置所ってこんな所

東京拘置所についても、書いておきたいと思います。昨年はカルロス・ゴーンさんが拘留されるなどニュースではよく耳にしてきましたが、私にとってはじめての訪問となりました。

最寄駅は、東武スカイツリーラインの「小菅駅」。各駅停車で北千住から1駅で到着します。駅前には小さなスーパーが1軒、周囲には喫茶店もなく住宅地が広がっています。

その中でひときわ威容を誇っているのが、拘置所の建物です。

東武スカイツリーライン小菅駅」の高架線上のホームから見える、東京拘置所。建物の周囲と内部は撮影禁止なので、写真はこの1枚だけ。

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面会で入れるのは3人まで。これは刑務所と同じです。今回は「国民救援会」のスタッフ2名と一緒に入りました。しかしいつも訪ねる千葉刑務所と違って、2000年代になって建て替えられた建物は新しく近代的です。

コンクリート打ちっぱなしの受付で手続きを行い、オレンジ色の長椅子が並ぶ病院の待合室のようなロビーで待つこと約10分。やはり病院にあるようなディスプレイに面会番号(私たちは112番でした)が表示され、“10階にお上がりください” という音声案内が流れます。そして面会棟の入口で荷物を預け、ボディチェックを受けた後に、迷路のような廊下を歩いて面会室へ向かいます。

建物内は “チリ1つ落ちていない” という表現がピッタリのクリーンな印象。窓も大きめで外の光も差し込むので、暗い雰囲気はありません。

しかしここに死刑執行場があるのは、まぎれもない事実。 2014年、袴田巖さんはここから釈放されました。2018年にはオウム真理教幹部の死刑が執行されました。近代的な明るい建物に刑場があるというギャップに、かえって不気味な印象を受けました。

 

【134】痴漢冤罪と闘う先生のブログ

◆『冤罪被害者』のブログ〜最高裁で絶対に無罪を!!〜

このブログも、少しずつですが読者が増えています。冤罪というカタく暗いテーマですが、読んでくださる皆さんの存在は何よりの励みになります。ありがとうございます。

私の他にも、冤罪をテーマにした「はてなブログ」がありました。痴漢冤罪と闘っている当事者のブログです。

 

innocence-story2020.hatenablog.com

 

この事件、調べてみると報道が見つかりました。この男性は痴漢の犯人として、実名で報道されていました。

まず2018年の事件であることに、驚きと怒りを感じます。

痴漢冤罪が社会問題になったのは、2000年代のはじめ頃でした。2007年には周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』も公開され、いい加減な捜査や裁判が批判されました。警察も検察も裁判所も少しは反省し、もはや痴漢冤罪は過去の問題になったかと思っていました。

しかし現在も状況はそれほど変わっていないようです。

この事件、地裁、高裁と有罪になってしまい、現在は最後の望みをかけて最高裁で闘っています。

Change.orgで、無罪を勝ち取るためのウェブ署名も行っています。

まだ賛同目標の200名に、若干足りていないようです。

最高裁は不意打ちをかけるかのように、ある日突然、サッと棄却決定を出します。

本当に予断を辞さない状況です。ぜひ署名にご協力ください!!

www.change.org

【133】「今市事件」③ それでも“勝又拓哉が怪しい” という誤解に答える

◆そもそもなぜ、勝又拓哉さんが犯人に?

はじめて勝又拓哉さんが捜査線上に浮かんだのは、2005年12月の事件発生から間もない頃。拓哉さんの養父(後で説明します)が “一緒に住んでいたことのある息子に犯人像が似ている” などと、警察に情報提供したのが始まりでした。

しかし拓哉さんはDNA型が違うという理由で、捜査対象から外されます。被害者の遺体から、犯人のものと疑われるDNAが検出されいたのです。

ところが2009年になってこれが何と、栃木県警の捜査一課長のDNAだったことが明らかに。捜査一課長は現場で手袋も付けずに遺体を触って、自分のDNAを付着させてしまったのです。

犯人ものと思い込んでいたDNAが、実は捜査を指揮する刑事のものだった…。この大失態によって捜査は振り出しに戻り、一度は外された容疑者候補の中から、改めて拓哉さんの存在が浮かび上がります。

 ◆拓哉さんの生い立ち〜台湾で生まれて日本へ

勝又拓哉さんは台湾出身で現在37歳。お母さんは拓哉さんが幼い頃に離婚し、美容師の勉強をするため単身来日。日本で再婚し、栃木県今市市で暮らしはじめます。そして1994年頃、拓哉さんを日本に呼び寄せます。

来日した拓哉さんは3ヵ月だけ、地元の小学校に通います。ここは後に「今市事件」の被害者女児が通うことになる小学校でした。このことが “土地勘がある” として、拓哉さんが疑われる理由のひとつになりました。

しかし拓哉さんが今市市で暮らしたのは、小学生時代のたったの3ヵ月間。これを “土地勘がある” というのは、あまりにもコジつけな気がします。

そして3ヵ月後、拓哉さんは一旦台湾に帰されます。お母さんの再婚相手の養父が拓哉さんを嫌い、一緒に暮らせる状況ではなかったといいます。

その後ふたたび拓哉さんは日本に呼び寄せられますが、養父から距離を置いて宇都宮市のアパートに住み、市内の中学校に通います。

冒頭に書いた通り、拓哉さんのことを警察に知らせたのは養父でした。明らかな悪意を持った人物による情報提供は、信ぴょう性を割り引いて考える必要があるでしょう。後にお母さんも、この養父と離婚します。

拓哉さんは中学でいじめに遭い、不登校に。卒業後はいろいろな仕事を経て「今市事件」発生時は、お母さんの偽ブランド品の販売を手伝っていました。他にはインターネットでガンダムドラゴンボールのフィギュアを販売したり、株や為替の取引も行っていたといいます。

このことが “引きこもりの怪しいヤツ” という予断と偏見を警察に与えてしまったのは間違いありません。

◆“小児性愛者で刃物好き”もウソ

他にも逮捕当初、悪意に満ちた報道がいろいろとなされました。たとえば、拓哉さんが小児性愛者で猟奇的な趣味もあったというもの。

確かに拓哉さんの本棚にはホラー漫画がありました。実はこれらは、一緒に住んでいたお姉さん(ともに台湾から来日)が好きで買ってきたもの。『稲川淳二のすご〜く怖い話』『誰もが震え上がった凶悪犯罪』など、いずれもコンビニで見かける廉価版のものばかりです。また拓哉さんは『ドラゴンネスト』という、美少女キャラクターが登場するオンラインゲームも好きだったといいます。

この程度の事実で拓哉さんと犯行を結びつけるのは、おそろしく乱暴でナンセンスとしか言いようがありません。これではホラー映画を観に行った人は、全員が犯罪者にされかねません。

“拓哉さんのパソコンから被害者女児の映像が見付かった” というハナシも、まことしやかにささやかれています。この情報がどこからどのように広まったのか確認は取れていませんが、恐らくガセでしょう。もし本当なら、拓哉さんを犯人とする証拠として裁判に提出されているハズです。

拓哉さんの部屋から、ランドセルや特殊な形をしたナイフが押収されたというハナシもありました。これについては、お母さんが真相を語っています。『冤罪File』2016年3月号の記事から引用して紹介します。

「拓哉は弟や妹(再婚相手の養父との間にできた子ども)をよく車で送り迎えしていたんですが、一番下の妹はまだ小学生だったので、拓哉の車にランドセルが置かれていることも当然ありました。

もう1つは、私たあの頃、骨董品の仕事で(偽ブランド品とともに)ランドセルも売っていたことです。売れないので、結局捨ててしまいましたが、それを拓哉の車に積んでいたのを誰かが見たのかもしれません。

また、ナイフについては、拓哉は骨董品の業者仲間から頼まれ、トルコの石が入ったナイフやアンティークのナイフをインターネットで代わりに仕入れてあげていたんです。それを家に置いていたので、特殊な形状をしたナイフが警察に押収されても何の不思議もありません」

また拓哉さんに小児性愛を疑わせる様子はなかったとして、こう語っています。

「うちによく遊びにきていた女の子たち(妹の友人)は今も娘とつながっているのですが、拓哉が逮捕された当初から『あのお兄ちゃんがそんなことするなんてありえない!』と無実を信じてくれているそうです。彼女たちには、とても感謝しています」

どうでしょうか? 拓哉さんを犯人に仕立て上げるため、事実が強引にネジ曲げられたのが明白です。 一度 “クロ” と決めつけたら白いことも真っ黒に見えてしまう…。

予断と偏見も、冤罪を生む大きな原因です。

皆さんも想像してみてくだい。もし冤罪で捕まったら、趣味や日頃の何気ない行動が “犯人である証拠” として一人歩きし、ガンガン拡散されてしまう…。とても恐ろしいことです。

逮捕される直前の勝又拓哉さん。拾ってきた猫を可愛がり、お母さんを手伝い、妹や弟の面倒もよく見る家族想いの息子だったという。

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◆「白いセダン」は「カリーナED」だったのか?

拓哉さんは偽ブランド品販売のため、お母さんとともに車で茨城県フリーマーケットに出かけていました。このことも “土地勘がある” として、犯人の根拠とされました。しかしフリーマーケットの会場と、被害者の遺体が発見された常陸大宮市の山林とは20キロ近くも離れています。

しかも山林の入口は目立たない場所にあり、そもそも拓哉さんは行ったことさえないといいます。

事件発生当時、栃木・茨城両県警の合同捜査本部は、現場付近で目撃されたという不審車両の情報を大々的に募っていました。警察が作成したポスターには「白色セダン」か「白色ワゴン」とあります。

確かに拓哉さんは「白色セダン」である『トヨタ・カリーナED』に乗っていました。遺体が発見された2005年12月2日の夜中、宇都宮市内を走る拓哉さんの車が「Nシステム」に記録されていたとも言われています。

Nシステム」とは警察が各地の道路に設置している、走行中の車のナンバープレートを読み取るシステム。ナンバーだけでなく車の形状や色、乗っている人の顔も撮影できるといいます。

だとしたら精度の高い、もしかすると被害者を乗せている映像が撮れているはずですが…。結局映像は裁判に提出されなかったため、真相は薮の中。おそらく証拠として出せる代物ではなかったのでしょう。

いずれにせよ「白色セダン」が拓哉さんの『カリーナED』である証拠は何もありません。そもそも「白」は日本で一番多いボディカラー、セダンも一般的なボディタイプなので漠然とし過ぎです。

また、これは支援者仲間から聴いたのですが、不審車両は『トヨタ・ビスタ』だったという目撃証言もあったそうです。果たして『ビスタ』と『カリーナED』と見間違えることなどあるのか? 下記写真を見比べてみてください。

ちなみに拓哉さんは2008年頃に車を廃車にしたため、警察は車両を押収していません。これを “証拠隠滅” と報じた新聞もありましたが『カリーナED』が生産・販売されていたのは1985年から98年。事件のあった2005年当時は、路上で見かける機会も少なくなっていました。

拓哉さんが乗っていたのが何年型かわかりませんが、単に古くなったか車検のタイミングで廃車にしたのでしょう。

上が『カリーナED』(1985年〜89年型)、この後2代目、3代目にモデルチェンジされ98年まで生産・販売された。ちなみにEDとはExciting Dressyの略。下が『ビスタ』(1986年〜90年型)。一見同じ白いセダンだが、カリーナEDは斬新でユニーク、ビスタはオーソドックスな形をしており、少しでもクルマに詳しければ見間違えることはないと思われる。

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◆「白いワゴン車」はどこへ消えた?

もうひとつの不審車両とされた「白色ワゴン車」は、どうなったのでしょうか? 

 事件発生直後の2005年12月5日の『読売新聞・東京本社版』の1面に、こんなスクープ記事が載りました。

被害者が行方不明になった後、現場近くの有料道路『日光宇都宮道路』大沢インターチェンジ(IC)入り口の料金所のビデオカメラに、被害者とみられる女児と男が乗った白いワゴン車が映っていたことが4日、わかった。ワゴン車は比較的小さめの車種という。栃木、茨城両県警の合同捜査本部は、男が事件に関与した疑いがあるとみて身元の割り出しを急いでいる。

しかしワゴン車の存在は拓哉さんが逮捕されてから、まるで最初から存在しなかったかのように消えてしまいました。

この疑問が解消されないまま、拓哉さんの「有罪・無期懲役」が確定してしまいました。

そして無期懲役の確定を受けて3月7日、栃木県の地元紙『下野新聞』にこんな記事が出ました。

〈タイトル〉

最高裁が上告棄却を決定「区切り」安堵の地元 子どもを守る誓い新たに” 今市事件

〈本文より一部抜粋〉

当時の捜査関係者からも安堵(あんど)の声が相次いだ。元県警幹部は「やることを尽くしてきた結果が報われた」と胸をなで下ろす。別の元幹部は「裁判所の判断をずっと気に掛けてきた」と打ち明け「これで○○ちゃん(記事では実名)の墓前に報告できる」。

 ここでコメントしている栃木県警の幹部に言いたい。

本当に “やることを尽くした” と、自分の胸に手を当てて言えるのですか!?

冤罪を作り上げておいて “これで墓前に報告できる” とはナニゴトですか!?

真犯人と疑われる「白いワゴン車の男」は野放しのままで、一体どんな顔を引っさげて被害者の墓前に行くのですか!?。

刑が確定しまった現在、拓哉さんを取り戻すには「再審」(裁判のやり直し)しかありません。その実現までに一体どのぐらいの歳月がかかるのか…。しかし一刻も早い再審を目指して、進むしかありません。

栃木・茨城両県警が、事件の目撃情報を募ったポスターの一部。「白色セダン」とともに、ぬいぐるみを乗せた?「白色ワゴン」が明記されている。セダンもイラストを見るかぎり、『カリーナED』とは違う車種のようだ、

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※今回のブログを書くにあたっては、ルポライター・片岡健さんが雑誌『冤罪File』に書いた記事を参考にしました。片岡さんは拓哉さんの逮捕直後から現地に足を運び、丹念に取材を行っています。詳しくは、バックナンバーをお読みください。

(「今市事件」掲載号)

 (公式サイト/バックナンバーの紹介)

◆冤罪File◆数々の冤罪事件を取り上げ、その事件の謎に迫ってゆく。冤罪事件専門誌。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【132】「今市事件」②有罪ありきの八百長裁判

もう、再審にかけるしかない

前回に続いて「今市事件」について。今回は勝又拓哉さんを「有罪・無期懲役」にした裁判の流れを振り返ります。

(これまでの裁判の流れ)

 最高裁で刑が確定したことにより、東京拘置所の拓哉さんは近いうちにどこかの刑務所に移されます。そして、いつ出られるとも知れない服役を余儀なくされることになります。

拓哉さんを取り戻すには「再審=裁判のやり直し」を実現させて、改めて無罪を勝ち取るしかありません。すでに拓哉さんと弁護団は、再審請求する意向を明らかにしています。

再審請求がいつ頃になるかはわかりませんが、引き続き注目してください。“こんな冤罪は許せない!!” という世論も、再審への道につながりますので。

では改めて、第1審から問題点を整理してみましょう。これから書くことは、新聞や雑誌の記事、裁判所の判決文、支援者仲間から聴いた話などを元に、私なりにまとめたものです。

 

第1審:宇都宮地方裁判所〜自白映像に臨場感があったから有罪

裁判員裁判として “市民感覚” を取り入れて判断

第1審は裁判員裁判として行われました。“司法に市民感覚” を合言葉に、一般から募った裁判員が裁判官とともに有罪・無罪を判断する制度です。しかし「今市事件」のケースでは “市民感覚” が最悪の結果をもたらしてしまったように思います。

まず、検察は以下のような罪を犯したとして、拓哉さんを起訴しました。

  •  2005年12月1日、被害者の女児を車で誘拐し、アパートでわいせつ行為を行った。
  • そして12月2日の午前4時頃、茨城県常陸大宮市三美字泉沢2727番65 の山林の西側林道(=遺体の発見現場)で、被害者の胸をナイフで刺し失血死させた

しかし前回のブログで指摘したとおり、わいせつ行為をしたはずなのに拓哉さんのDNAが出ていない、殺害現場とされた山林で検出されるはずの血痕がほとんど出ないなど、オカしなことだらけです。

むしろ拓哉さんは無実であり、犯行のシナリオはデッチ上げなことが明白。よく検察は、こんなデタラメな起訴をしたものです。

さらに検察は、状況証拠が複数あると主張しました。たとえば、

  • 警察の監視カメラ(Nシステム)に、殺害現場へ往復したと思われる拓哉さんの車が映っている。

これについては説明すると長くなるので、次回掘り下げます。

結論だけを言うと、裁判所はこれらの状況証拠をそれほど重視しませんでした。複数の状況証拠をつなぎ合わせても、拓哉さんを犯人とするのは不十分と結論づけたのです。

それでも判決は「有罪・無期懲役」。

◆映像がなかったら、有罪を出せなかった

有罪の根拠となったのは、法廷で上映された取調べの映像でした。そこには涙を流して反省の弁を述べる拓哉さんの姿が映し出されていました。

裁判終了後の記者会見で、裁判員たちは口々にこんなコメントを出しました。

  • 「臨場感があって、映像がなければ判断が変わっていた」
  • 「この映像がなければ、有罪判決は出せなかった」

つまり…映像がなければ無罪になっていたのです。

客観的な証拠ナシで自白だけの場合は「無罪」にするのが、刑事裁判の鉄則です。まあ現実には、この鉄則が破られることで沢山の冤罪が生み出されているのですが…。とにかく刑事裁判のルールを破った、トンデモ判決だったのです。

前回も書きましたが、拓哉さんへの取調べはトータル230時間以上に及びました。 “やってない” と否認するとビンタして壁にぶつけたり、“殺してごめんなさいと50回言え” といった拷問も行われました。

そのうち録音・録画されたのが80時間以上、法廷で再生されたのは “たったの” 7時間13分(全体の3%弱)でした。拷問のような取調べが行われた段階は、録音・録画されていなかったのです。

取調べというのは、無実の人を犯人に変身させていく、一種の “マインドコントロール” だといいます。 これについては、以前書きました。

【15】阿部泰雄弁護士のお話① “マインドコントロール”されていた大助さん - Free大助!ノーモア冤罪!

裁判員はまさに “マインドコントロール” された後の拓哉さんの映像だけを観て “犯人にちがいない=有罪だ” としてしまった…。本当に恐ろしいことです。

これがいかにトンでもないことかは、映画監督の周防正行さんがコメントしています。

密室での取調べは、捜査機関が被疑者の身体を拘束し、自由を奪った中で行う一方的な追求である。その異常な空間でのやり取りの録音・録画を見て、被疑者が真実を話しているかどうかを判断することは、汚染された映像を見て判断するに等しい。ましてやそれが一部録音・録画であれば、捜査機関の取調べに違法性があったかどうかを検証する材料にすらならない。(えん罪今市事件・勝又拓也さんを守る会 パンフレットより)

さすが映像のプロらしい、的を得たコメントだと思います。周防監督は痴漢冤罪をテーマにした『それでもボクはやってない』を撮って以来、冤罪をなくす活動に精力的に参加し、「今市事件」にも深い関心を寄せています。

拓哉さんを有罪にした裁判員の皆さんは、今でも自分たちの判断が正しいと思っているでしょうか? 

そして一緒になって無期懲役の判決を下した裁判官は、プロとして恥ずかしくないのでしょうか?

第2審:東京高等裁判所〜手紙で告白してるから有罪

◆1審判決を全否定、それでも…

拓哉さんにとって、1審の判決は到底納得できるものでありません。無罪の獲得に向けて、闘いは第2ラウンドの東京高裁に移りました(宇都宮には高等裁判所がないので、東京で争われます)

東京高裁の藤井敏明裁判長は1審の判決を、全否定しました。

●映像で有罪にしたことについて

「被告人(拓哉さん)の内心が映像と音声により映し出されるわけでもないのに、取調べ中の被告人の様子を見て、自白の信用性を判断することには強い疑問がある」

●山林で殺害したとされたことについて

「自白供述に基づき、被害者が殺害された日時、場所を公訴事実どおりに認定した原判決(1審の判決)には事実の誤認があり…」

(判決文より)

取調べの自白映像なんかアテにしてはダメだし、山林での犯行を裏付ける客観的な証拠もないと、バッサリ切り捨てたわけです。

ここまで来れば普通は「無罪」になるのですが、判決は…またしても「有罪・無期懲役」。

◆反則技の「訴因変更」で無理矢理有罪

まず裁判長は「訴因変更しますか?」と検察に働きかけ、これを検察は受け入れます。訴因変更とは起訴した内容を変えることで、結果的にこうなりました。

  • Before(訴因変更前)

2005年12月2日の午前4時頃、茨城県常陸大宮市三美字泉沢2727番65 の山林の西側林道(=遺体の発見現場)で、被害者の胸をナイフで刺し失血死させた

  • After(訴因変更後)

2005年12月1日の午後2時38分頃(=被害者が行方不明になった時刻)から同月2日午前4時頃までの間に、栃木県内、茨城県内又はそれらの周辺において〜以下同じ。

殺害現場が山林であることを立証できなくなったので、時間と場所を大幅にボカした上で有罪にしてしまったのです。

こんな理屈が許されたら、犯行現場がハッキリしない場合は “日本のどこかで” や “地球上のどこかで” と書いて有罪にしてOKということになってしまいます。もはや「裁判」などと呼べる代物ではありません。

また、拓哉さんがお母さんに書いた手紙も有罪の根拠とされました。

前回書いた通り、最初、拓哉さん母子は偽ブランド品を販売した疑いで逮捕されました。そのときに拓哉さんは、別の拘置所に捕われていたお母さんに手紙を出しました。

その手紙の写真です(記事は写真の下に続きます)

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東京高裁は手紙の中の

今回、自分で引き起こした事件、お母さんや、みんなにめいわくをかけてしまい、本当にごめんなさい。

 といったヵ所が殺人を告白したものとして、有罪にしたのです。

実はこの手紙、看守に書き直しを命じられた後のものです。最初は “やっていないのに自白調書に署名してしまった” ことを悔やみ、無実を叫ぶ内容だったといいます。

しかし看守にダメ出しされて直した結果、この文面になったというのです。警察の都合がいいように書き直された文章が、有罪の根拠にされてしまった。

しかしそれ以前に、そもそもこんなあいまいな文面が殺人の明白な証拠になるなどということが、ナンセンスです。

東京高裁は最初から「有罪」という結論ありきだったとしか思えません。

私は法廷を傍聴できませんでしたが、判決が言い渡されている間、拓哉さんは一度も視線をそらすことなく、ジッと裁判長を見つめていたといいます。

上告審:最高裁〜A4のペラ1枚で棄却

最高裁の仕事はごく簡単に言ってしまうと、 地裁と高裁で行われた裁判を厳しくチェックすることです。

チェックした上で高裁に「差し戻し」(もう一度、裁判をやり直せと命じる)をしたり、最高裁自身で「無罪」を出すこともあります。「今市事件」の場合、これだけ支離滅裂な裁判が行われたわけですから、最高裁はしっかり審理をして然るべきです。

拓哉さんの弁護団も120ページにわたる上告趣意書を提出し、これまでの裁判の問題点を丁寧に伝えました。しかしそれに対する最高裁の回答は「A4用紙1枚」の棄却決定書…。

昨年11月13日の守大助さんのケースと、まったく同じです。

大助さんの棄却決定書は、こちらの過去の記事で紹介しています。恐らく拓哉さんの決定書も文面はこれのコピペで、事件番号、日付、裁判官の名前を差し替えただけでしょう。

daisuke0428.hatenablog.com

私は守大助さんの支援者として、昨年11月まで幾度となく最高裁に足を運んで「北陵クリニック事件」の再審開始を要請してきました。その要請行動では「今市事件」の支援者ともよく顔を合わせました。

拓哉さんのお母さんも毎回のように上京し、このように訴えていました。

何の証拠もないのに無期懲役…。日本は先進国なのに、無実の人を有罪にするのですか? 間もなくオリンピックも開かれるというのに、国際社会に恥ずかしくないのですか? 早く息子に普通の生活をさせて欲しい。 

 拓哉さんのお母さんは台湾出身です。そのあたりのお話は、次回改めて掘り下げます。 

“日本は先進国なのに” という訴えに、私は返す言葉がありません。しかしこれはまぎれもなく2020年の現在、日本の裁判で起きている現実です。

この現実から目を背けず、変えていこうと努力するのは、私日本人の責任じゃないかと思います。

次回はそもそもなぜ、拓哉さんが「今市事件」の犯人として警察から目をつけられたのかを書いてみたいと思います。

 3月6日、最高裁の上告棄却を受けて記者会見する、勝又拓哉さんの弁護団。(写真は毎日新聞・Yahooニュースより)

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【131】「今市事件」①勝又拓哉さんが無実と言える理由

◆“エア現地調査” をお届けします

今回から「今市事件」がなぜ冤罪なのか?を3回にわけて掘り下げます。

事件の特徴をズバリ言うと、勝又拓哉さんが犯人であることを裏付ける証拠が何もないこと。これは冤罪の典型的なパターンであり、拓哉さんが無実と言える理由です。

「今市事件」も「北陵クリニック事件」と同じく「日本国民救援会」が支援しています。また支援者有志による「えん罪今市事件・勝又拓哉さんを守る会」も結成されています。

(「守る会」HP)

えん罪今市事件 | 私は無実です、今市事件は冤罪です。

実は先週の土日に1泊2日で「守る会」主催の現地調査が行われる予定で、私も参加することになっていました。しかし新型コロナウィルスの影響で、延期になってしまいました。

現地調査では1日目に事件の現場を訪ね、2日目は弁護団を招いての学習会が予定されていました。まさに “百聞は一見にしかず” で、フィールドワークを体験することによって冤罪であることをより一層確信できるのです。

本当は現地調査で見聞きしてきたことを報告できればベストなのですが、残念ながらそれができません。今回は “エア現地調査” として、新聞や雑誌の記事、支援者仲間から聴いた話などをもとに私なりにポイントをまとめて書いてみます。

「ヴィトンの偽物1個を売った」で別件逮捕

事件は栃木県の今市(いまいち)市(現在は合併によって日光市)で、2005年12月1日に発生しました。帰宅途中の小学1年生の女児が行方不明になり、翌2日に約60km離れた茨城県の山林で遺体となって発見されます。

栃木県警と茨城県警は合同で捜査本部を立ち上げますが、なかなか犯人の手がかりが掴めません。そして事件発生から8年以上が経った2014年6月、勝又拓哉さんが逮捕され自白させられます。

拓哉さんはこれに先立つ1月から、偽ブランド品を販売した容疑でお母さんと一緒に身柄を拘束されていました。正確に言うと “ルイ・ヴィトンのショルダーバッグの偽物1個を、販売目的で所持していた疑い” です。 

拓哉さんがお母さんの偽ブランド品の販売を手伝っていたのは、事実です。拓哉さんは土日祝日のたびに車を出し、お母さんとともに県内外の骨董市やフリーマーケットに出かけいました。

しかし取調べで追求されたのは、もっぱら女児殺害のことでした。自白するまでの数ヶ月間、 “やってない” と否認する拓哉さんをビンタして壁にぶつけたり、“殺してごめんなさいと50回言え” といった取調べが行われました。

こうした拷問まがいの取調べは、トータルで230時間以上に及んだといいます。

おそらく警察は女児殺害の容疑で拓哉さんを逮捕しようにも、逮捕するだけの証拠を見つけられなかったのでしょう。そこで偽ブランド品販売の容疑を口実に、身柄を拘束したのです。こうした「別件逮捕」は、冤罪の典型的なパターンです。

ちなみにお母さんは拓哉さんが自白したのとほぼ同時に釈放され、執行猶予付きの有罪となりました。

警察は拓哉さんにプレッシャーをかけるために、お母さんの身柄を拘束したのがミエミエです。偽ブランド品の容疑はどうでも良かったというのが本音でしょう。家族などの大切な人を”人質“にして自白を迫るのも、冤罪によくあるパターンです。

 ◆「自白」したのにDNAも凶器も何も出ない

勝又拓哉さんは拷問のような取調べをによって、以下のような自白をさせられます。

  •  2005年12月1日、誘拐できそうな女児を探して車を走らせていた。
  • そしてたまたま1人で下校途中の被害者を見付け、車に押し込んで当時住んでいたアパートに連れ込み、わいせつ行為を行った。
  • 翌2日の未明、誘拐がバレるのが怖くなって被害者を車に乗せて、茨城県の山林に連れていった。
  • 山林の中で被害者を立たせ、その右肩を左手でつかみ、右手にナイフを持って胸を10回ぐらい刺した。
  • 殺害後、帰る途中にナイフや軍手を捨てた。

かなり具体的な自白内容ですが、実はこれらを裏付ける証拠が一切ありません!!

  • 「わいせつ行為をした」はずなのに、被害者の遺体から拓哉さんのDNA(体液、唾液、皮膚片など)が検出されていない。
  • 「立たせて胸を刺した」はずなのに、胸から下の方に流れた血痕がない。
  • 「右肩をつかんだ」はずなのに、つかまれたアザがない。
  • 約1リットルの血が流れたはずなのに、地面に血が染み込んだ形跡がない。

DNAが出ていないという事実だけでも、拓哉さんの無実は明白です。

「帰る途中に捨てた」はずのナイフや軍手も見付かっていません。そして被害者の尊厳を考えると書きにくいのですが、遺体は裸でした。もし拓哉さんが犯人なら、衣服やランドセルをどこでどう処分したという自白もあってしかるべきなのに、ありません。

そもそも「右肩を左手でつかんで、立たせた状態で刺した」って…? 被害者の身長は120センチぐらいだったそうですが、なぜわざわざそんな不安定な姿勢を取ったのでしょうか? その理由も明らかにされていません。

遺体の状況を考えても、真犯人は別の場所で寝かせた状態で胸を刺して、遺体を山林まで運んできて棄てたと考えるのが自然でしょう。

自白した殺害方法と客観的な事実が矛盾することも、冤罪の典型的なパターンです。そもそもやってもいないことを無理矢理自白させられるので、どうしてもオカしな内容になってしまうのです。

それにしても拓哉さんが強要された自白には、あまりにも矛盾が多すぎます。いったい刑事はどのようにして、こんな意味不明な自白調書をデッチ上げたのでしょうか? 

まだまだ書きたいことがあるのですが、今回はこの辺にします。

今後の流れですが、次回(2回目)は以下のことを解き明かしたいと思います。

  • これだけ冤罪の可能性が高いのに、なぜ有罪・無期懲役になってしまったのか?

そして最終回(3回目)では、

  • そもそも何故、勝又拓哉さんが犯人として目を付けられたのか?
  • “それでも拓哉さんが犯人だ”という「誤解」に対して伝えたいこと

を書きたいと思います。

(続く)

 

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【130】速報「今市事件」上告棄却&抗議声明

最高裁判所(第2小法廷)は、冤罪であることが強く疑われている(というか冤罪そのもの)「今市事件(いまいちじけん)」の上告を棄却しました。

これにより、身に覚えのない女児殺しの濡れ衣を着せられ、約6年にわたって無実を訴えてきた勝又拓哉(かつまたたくや)さんの「無期懲役」が確定してしまいました。

現在、拓哉さんは東京拘置所にいますが、近いうちにどこかの刑務所(守大助さんと同じ千葉刑務所の可能性も)に移されることになります。

事件については、以前にも書きました。

【69】今市事件、裁判崩壊さらに進む - Free大助!ノーモア冤罪!

今回は取り急ぎ、支援団体の「日本国民救援会」と「勝又拓哉さんを守る会」が連名で発表した抗議声明を全文、紹介します。

【声明・今市事件】最高裁判所の不当決定に強く抗議する

2020年3月4日付で最高裁第2小法廷(三浦守裁判長)は、今市事件の被告人である勝又拓哉さんが殺人罪に問われた今市事件について、上告棄却の決定をした。

私たちは、国民の常識とはかけ離れた信じがたい暴挙をした東京高裁の判断を最高裁判所が正さなかったことに強く抗議する。

 今市事件は、2005年12月1日午後2時38分ころ、栃木県今市市(現在の日光市)の小学1年生の女児が行方不明となり、翌日、茨城県の山林で遺体となって発見された事件である。捜査機関は、事件発生から約8年が経過しても解決できない状態を打開する賭けに出るかのように、2014年1月29日、勝又さんの身柄の確保のため、商標法違反で別件逮捕した。商標法違反の起訴後は、身柄拘束を利用し、今市事件の取り調べをした。

勝又さんは、同年6月3日、殺人罪で再逮捕され、その後自白し、宇都宮地検は、同月24日、勝又さんが「2005年12月2日午前4時ころ」「茨城県常陸大宮市三美字泉沢1727番65所在の山林西側山道」で殺害したと訴因を特定し、殺人罪で起訴した。

2018年8月、東京高裁は勝又さんに対し、第1審裁判員裁判の「無期懲役」判決を破棄した上で、再度「無期懲役」判決を出したが、特に、次の3点において、容認できないものであった。

  • 1 弁護人が提出した鑑定意見等や法医学者の証人尋問で自白と客観的事実との矛盾が明らかにされると、起訴状記載の「殺害日時・場所」では有罪認定できないことから、東京高裁は、「殺害日時・場所」の幅を広げる訴因変更を検察官に促した。東京高裁の訴訟指揮は、著しく公平性を欠くとともに、市民の常識を裁判に活かすために導入された裁判員裁判の審理を無視し、公正な裁判を受ける権利を侵害するものであった。
  • 2 東京高裁は、勝又さんの犯行を否定する証拠がありながら、犯人と認定した。捜査側は、勝又さんが女児に対してわいせつ行為をしたとのストーリーを描いたが、わいせつ行為の痕跡が出てくることはなかった。女児の遺体や頭部に貼られた粘着テープからは、勝又さんのDNAは検出されず、第三者のDNAが検出された。ところが、検察側の「コンタミネーション(汚染)」とか「犯人のDNAは出ないこともある」という主張を鵜呑みにして、東京高裁は第三者の犯行可能性を否定した。
  • 3 東京高裁は、勝又さんが母親に対して「自分で引き起こした事件」「めいわくをかけてしまい、本当にごめんなさい。」と書いた手紙を有罪認定の決め手とした。第1審では、「自分が引き起こした事件」が「何を指すのかは必ずしも明確とは言えず、犯人性を直接的に基礎づける事情とはなりえない」と判断していたにもかかわらず、裁判員裁判の判断を無視し「殺害を自白したもの」と断定し、有罪の決め手にした。
東京高裁は、有罪判決の決め手となった「自白」の信用性が崩れ、状況証拠のみでは有罪認定できないと判断されていたのであるから、「疑わしいときは被告人の利益に」とした刑事裁判の鉄則に基づき無罪とすべきだった。それにもかかわらず、情況証拠の証明力をかさ上げし、追加された訴因に基づき自判したのである。

 最高裁判所は、東京高裁の誤った判断を正さず、国民の人権と自由を守るという期待される職責を放棄した。よって、私たちは、上告棄却という不当決定をした最高裁判所に対して、強く抗議する。

 

2020年3月6日

えん罪今市事件・勝又拓哉さんを守る会

日本国民救援会栃木県本部

日本国民救援会中央本部

  

 このまま黙っているワケにはいきません。最高裁に抗議のハガキもお願いします! 凄くアナログな方法ですが、裁判官に確実に届きます。

【抗議先】

〒102-8651 東京都千代田区隼(はやぶさ)町4番2号

 最高裁第2小法廷  三浦 守裁判長

(電文例)「今市事件の不当決定に満身の怒りを込めて抗議する」

この人が三浦守です。写真の下に本人が語った「裁判官としての心構え」も紹介しておきます(最高裁HPより)。

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「中立・公正の立場から紛争の適正妥当な解決を図るという司法の役割を果たすため,与えられた職務に対し,誠心誠意全力で取り組みたいと考えています。近年,社会が急速に変化する中で,社会における権利利益のあり様も複雑化し,価値観も多様化していますが,様々な視点から十分な審理・判断を行うことができるよう,自らも研鑽を積みたいと考えています。一つ一つの事件について,常に謙虚に,当事者の意見に耳を傾け,自らの良心に問いかけながら,考えを深めたいと思います。」

 

棄却を受けて発行された「下野(しもつけ)新聞」電子版号外。

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【129】“回答は差し控えます” 絶望の最高裁判所

最高裁が考える「裁判官の独立」って何だ?

前回のブログで “裁判所には冤罪の再発防止策を期待できない” と書きました。今回はその理由について、昨年10月の最高裁判所要請で感じたことを書いてみます。

この要請は、毎年恒例の「司法総行動」の一貫として行ったもの。冤罪を生まない真っ当な司法を実現して欲しいという声を、最高裁に届けました。もう5ヵ月前のことですが、内容はまったく古びていないので紹介します。

(そもそも「司法総行動」とは何か?については、こちらを参照ください)

【76】「司法総行動」で守大助さんの無実、訴えました。 - Free大助!ノーモア冤罪!

10月4日の午後、いろいろな冤罪事件の支援者仲間や弁護士とともに、最高裁を訪ねました。対応してくれたのは、秘書課の2人の職員。40〜50代と思われる女性と、20〜30代と思われる男性でした。

その手には、事前に渡しておいた要請書が携えられていました。要請書は「司法総行動」の実行委員会が作成したものです。

それに対する最高裁の見解を、この日聴くことになっていました。今回とくに強く要請したのが、以下のポイント。要請書から一部を抜粋して紹介します(句読点など一部、編集しています)

  • 最高裁の主導で、第三者委員会の設置等、誤判の原因を究明し、冤罪の根絶に向けた取り組みに着手することを求める。
  • 近年、足利事件志布志事件布川事件、元厚労省局長事件、偽メールなりすまし事件、東住吉事件など多くの冤罪が明らかとなっている。
  • こうした冤罪が生み出される原因は、もっぱら捜査機関(警察・検察)における違法・不当な捜査、自白強要などがあるが、同時に捜査機関の違法・不当な捜査・立証を裁判所が容認してきたことも一因である。
  • しかし裁判所は、誤判・冤罪の原因究明について検証を行っておらず、反省・改善策も明らかにしていない。

 まさに前回のブログで書いた “ 根本的な冤罪の再発防止策をやって欲しい!” というお願いをしたのですが、それに対する最高裁の回答というのが…。

「個別の裁判体の独立を脅かすことになるので、最高裁としての回答は差し控えます」

という素っ気ないものでした。

少し補足をすると “個別の裁判体” というのは、地裁や高裁の裁判官のこと。3人の裁判官(裁判長、右陪席、左陪席)の合議によって審理を行い判決を下すため、このように呼ばれます。

要は日本国憲法で保証された「裁判官の独立」を侵害することになりかねないから、コメントできないと言いたいらしいのです。確かに76条には、こんな規定があります。

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される

だから最高裁であっても、個別の裁判体を “拘束” できないという理屈でしょう。

憲法の研究で知られる弁護士・伊藤真(まこと)さんも、このように書いています。著書『伊藤真の日本一わかりやすい憲法入門』中経出版から引用します。

裁判官の独立は、司法権の独立の根幹をなす重要な原則です。裁判官が職権を行使する際に、政治権力はもちろん、裁判所や上司である裁判官からもいっさい指示、命令などを受けないということを意味します。外部の政治的な圧力からのみならず、司法府内部の統制からも独立させなければ、実質的に裁判官の職権の独立を図ることができないと考えられたのです。

しかし今回の対応については、ちょっと待て!と言いたい。

私たちが要請書の中で「冤罪」として挙げたのは、DNA鑑定の誤りなどが明らかになって「無罪=無実」が確定した事件ばかり。まだ裁判で争っている「北陵クリニック事件」や「袴田事件」は、入れていません。

つまり、他ならぬ裁判所自身が過ちを認めた事件だけを「冤罪」としているのです。ならば最高裁が襟を正し、再発防止の音頭を取るのは当たり前でしょう。それを「裁判官の独立」に話題をスリ替えて回答を拒否するとは…。司法の最高機関としての責任を放棄して、逃げ回っているとしか思えません。

 ◆最高裁に「言論の自由」はなかった?

要請の参加者は皆あきれて言葉を失ってしまいましたが、 かろうじてこんな問いを投げかけました。

    • Q:「冤罪を生まない司法を実現しようという認識は、私たちと共有していただいてますよね?」
    • A:「回答は差し控えます」
    • Q:「日本国憲法にのっとって司法を運用しようという意思は、おありですよね?」
    • A:「回答は差し控えます」

 最高裁の職員は、この程度の質問に答えることも禁じられているのでしょうか? だとしたら、本当に恐ろしいことです。 

私も、こう伝えました。

  • 「たとえば自動車メーカーが欠陥車を販売してしまったら、本社の責任でリコールをかけて対応する。これが一般企業の常識だ。もし “個別の工場の問題なので、本社は感知しない” などと言ったらどうなるか…? 」

秘書課の2人は、ただ黙っていました。言わんとしていることを理解してもらえたか、かなり不安です。

◆「大崎事件」決定文、いまだに実名は記載されたまま

さらに今回は、こんな要請も行いました(要請書より)

ホームページへ掲載する判決や決定については、実名掲載はしないこと。なお、現時点において実名掲載されている鹿児島・大崎事件の当事者名については、一刻も早く削除すること。

これは言うまでもなく、昨年6月に最高裁が再審を取り消した「大崎事件」についてです。

(概要については、こちらを参照ください)

【111】「大崎事件」再審取消の裏にある許せないハナシ - Free大助!ノーモア冤罪!

【112】「大崎事件」最高裁決定に対する各団体の声明 - Free大助!ノーモア冤罪!

要請書が問題にしているのは、最高裁のHPで閲覧できる決定文に、原口アヤ子さんの実名が記載されていること。通常はプライバシーに配慮して、仮名での記載が当たり前。実名が出るのは、極めて異例なことです。

最高裁は “事件の知名度や社会の関心によっては、実名掲載もあり得る” と回答していますが、本当でしょうか?  私はどうしても “見せしめ的” な意図を感じてしまうのです。

決定文のリンクを張っておきますが、アヤ子さんの人格を否定するような表現も見受けられます。“おカミに逆らって無実を訴えるとは、ケシカラン!!” と恫喝しているとしか思えません。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/759/088759_hanrei.pdf

 本当にこれが最高裁のやることなのか? 要請の参加者が口々訴えた怒りに対して、秘書課の2人はこう答えました。

「HPは広報課の管轄なので、その担当者に伝えておきます」

 そして要請から約5ヵ月を経た現在もなお、決定文は原口アヤ子さんの名前が記されたままの状態で公開されています。

 最高裁が「人権の砦」なんてウソだ!

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