【131】「今市事件」①勝又拓哉さんが無実と言える理由
◆“エア現地調査” をお届けします
今回から「今市事件」がなぜ冤罪なのか?を3回にわけて掘り下げます。
事件の特徴をズバリ言うと、勝又拓哉さんが犯人であることを裏付ける証拠が何もないこと。これは冤罪の典型的なパターンであり、拓哉さんが無実と言える理由です。
「今市事件」も「北陵クリニック事件」と同じく「日本国民救援会」が支援しています。また支援者有志による「えん罪今市事件・勝又拓哉さんを守る会」も結成されています。
(「守る会」HP)
実は先週の土日に1泊2日で「守る会」主催の現地調査が行われる予定で、私も参加することになっていました。しかし新型コロナウィルスの影響で、延期になってしまいました。
現地調査では1日目に事件の現場を訪ね、2日目は弁護団を招いての学習会が予定されていました。まさに “百聞は一見にしかず” で、フィールドワークを体験することによって冤罪であることをより一層確信できるのです。
本当は現地調査で見聞きしてきたことを報告できればベストなのですが、残念ながらそれができません。今回は “エア現地調査” として、新聞や雑誌の記事、支援者仲間から聴いた話などをもとに私なりにポイントをまとめて書いてみます。
◆「ヴィトンの偽物1個を売った」で別件逮捕
事件は栃木県の今市(いまいち)市(現在は合併によって日光市)で、2005年12月1日に発生しました。帰宅途中の小学1年生の女児が行方不明になり、翌2日に約60km離れた茨城県の山林で遺体となって発見されます。
栃木県警と茨城県警は合同で捜査本部を立ち上げますが、なかなか犯人の手がかりが掴めません。そして事件発生から8年以上が経った2014年6月、勝又拓哉さんが逮捕され自白させられます。
拓哉さんはこれに先立つ1月から、偽ブランド品を販売した容疑でお母さんと一緒に身柄を拘束されていました。正確に言うと “ルイ・ヴィトンのショルダーバッグの偽物1個を、販売目的で所持していた疑い” です。
拓哉さんがお母さんの偽ブランド品の販売を手伝っていたのは、事実です。拓哉さんは土日祝日のたびに車を出し、お母さんとともに県内外の骨董市やフリーマーケットに出かけいました。
しかし取調べで追求されたのは、もっぱら女児殺害のことでした。自白するまでの数ヶ月間、 “やってない” と否認する拓哉さんをビンタして壁にぶつけたり、“殺してごめんなさいと50回言え” といった取調べが行われました。
こうした拷問まがいの取調べは、トータルで230時間以上に及んだといいます。
おそらく警察は女児殺害の容疑で拓哉さんを逮捕しようにも、逮捕するだけの証拠を見つけられなかったのでしょう。そこで偽ブランド品販売の容疑を口実に、身柄を拘束したのです。こうした「別件逮捕」は、冤罪の典型的なパターンです。
ちなみにお母さんは拓哉さんが自白したのとほぼ同時に釈放され、執行猶予付きの有罪となりました。
警察は拓哉さんにプレッシャーをかけるために、お母さんの身柄を拘束したのがミエミエです。偽ブランド品の容疑はどうでも良かったというのが本音でしょう。家族などの大切な人を”人質“にして自白を迫るのも、冤罪によくあるパターンです。
◆「自白」したのにDNAも凶器も何も出ない
勝又拓哉さんは拷問のような取調べをによって、以下のような自白をさせられます。
- 2005年12月1日、誘拐できそうな女児を探して車を走らせていた。
- そしてたまたま1人で下校途中の被害者を見付け、車に押し込んで当時住んでいたアパートに連れ込み、わいせつ行為を行った。
- 翌2日の未明、誘拐がバレるのが怖くなって被害者を車に乗せて、茨城県の山林に連れていった。
- 山林の中で被害者を立たせ、その右肩を左手でつかみ、右手にナイフを持って胸を10回ぐらい刺した。
- 殺害後、帰る途中にナイフや軍手を捨てた。
かなり具体的な自白内容ですが、実はこれらを裏付ける証拠が一切ありません!!
- 「わいせつ行為をした」はずなのに、被害者の遺体から拓哉さんのDNA(体液、唾液、皮膚片など)が検出されていない。
- 「立たせて胸を刺した」はずなのに、胸から下の方に流れた血痕がない。
- 「右肩をつかんだ」はずなのに、つかまれたアザがない。
- 約1リットルの血が流れたはずなのに、地面に血が染み込んだ形跡がない。
DNAが出ていないという事実だけでも、拓哉さんの無実は明白です。
「帰る途中に捨てた」はずのナイフや軍手も見付かっていません。そして被害者の尊厳を考えると書きにくいのですが、遺体は裸でした。もし拓哉さんが犯人なら、衣服やランドセルをどこでどう処分したという自白もあってしかるべきなのに、ありません。
そもそも「右肩を左手でつかんで、立たせた状態で刺した」って…? 被害者の身長は120センチぐらいだったそうですが、なぜわざわざそんな不安定な姿勢を取ったのでしょうか? その理由も明らかにされていません。
遺体の状況を考えても、真犯人は別の場所で寝かせた状態で胸を刺して、遺体を山林まで運んできて棄てたと考えるのが自然でしょう。
自白した殺害方法と客観的な事実が矛盾することも、冤罪の典型的なパターンです。そもそもやってもいないことを無理矢理自白させられるので、どうしてもオカしな内容になってしまうのです。
それにしても拓哉さんが強要された自白には、あまりにも矛盾が多すぎます。いったい刑事はどのようにして、こんな意味不明な自白調書をデッチ上げたのでしょうか?
まだまだ書きたいことがあるのですが、今回はこの辺にします。
今後の流れですが、次回(2回目)は以下のことを解き明かしたいと思います。
- これだけ冤罪の可能性が高いのに、なぜ有罪・無期懲役になってしまったのか?
そして最終回(3回目)では、
- そもそも何故、勝又拓哉さんが犯人として目を付けられたのか?
- “それでも拓哉さんが犯人だ”という「誤解」に対して伝えたいこと
を書きたいと思います。
(続く)