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「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【133】「今市事件」③ それでも“勝又拓哉が怪しい” という誤解に答える

◆そもそもなぜ、勝又拓哉さんが犯人に?

はじめて勝又拓哉さんが捜査線上に浮かんだのは、2005年12月の事件発生から間もない頃。拓哉さんの養父(後で説明します)が “一緒に住んでいたことのある息子に犯人像が似ている” などと、警察に情報提供したのが始まりでした。

しかし拓哉さんはDNA型が違うという理由で、捜査対象から外されます。被害者の遺体から、犯人のものと疑われるDNAが検出されいたのです。

ところが2009年になってこれが何と、栃木県警の捜査一課長のDNAだったことが明らかに。捜査一課長は現場で手袋も付けずに遺体を触って、自分のDNAを付着させてしまったのです。

犯人ものと思い込んでいたDNAが、実は捜査を指揮する刑事のものだった…。この大失態によって捜査は振り出しに戻り、一度は外された容疑者候補の中から、改めて拓哉さんの存在が浮かび上がります。

 ◆拓哉さんの生い立ち〜台湾で生まれて日本へ

勝又拓哉さんは台湾出身で現在37歳。お母さんは拓哉さんが幼い頃に離婚し、美容師の勉強をするため単身来日。日本で再婚し、栃木県今市市で暮らしはじめます。そして1994年頃、拓哉さんを日本に呼び寄せます。

来日した拓哉さんは3ヵ月だけ、地元の小学校に通います。ここは後に「今市事件」の被害者女児が通うことになる小学校でした。このことが “土地勘がある” として、拓哉さんが疑われる理由のひとつになりました。

しかし拓哉さんが今市市で暮らしたのは、小学生時代のたったの3ヵ月間。これを “土地勘がある” というのは、あまりにもコジつけな気がします。

そして3ヵ月後、拓哉さんは一旦台湾に帰されます。お母さんの再婚相手の養父が拓哉さんを嫌い、一緒に暮らせる状況ではなかったといいます。

その後ふたたび拓哉さんは日本に呼び寄せられますが、養父から距離を置いて宇都宮市のアパートに住み、市内の中学校に通います。

冒頭に書いた通り、拓哉さんのことを警察に知らせたのは養父でした。明らかな悪意を持った人物による情報提供は、信ぴょう性を割り引いて考える必要があるでしょう。後にお母さんも、この養父と離婚します。

拓哉さんは中学でいじめに遭い、不登校に。卒業後はいろいろな仕事を経て「今市事件」発生時は、お母さんの偽ブランド品の販売を手伝っていました。他にはインターネットでガンダムドラゴンボールのフィギュアを販売したり、株や為替の取引も行っていたといいます。

このことが “引きこもりの怪しいヤツ” という予断と偏見を警察に与えてしまったのは間違いありません。

◆“小児性愛者で刃物好き”もウソ

他にも逮捕当初、悪意に満ちた報道がいろいろとなされました。たとえば、拓哉さんが小児性愛者で猟奇的な趣味もあったというもの。

確かに拓哉さんの本棚にはホラー漫画がありました。実はこれらは、一緒に住んでいたお姉さん(ともに台湾から来日)が好きで買ってきたもの。『稲川淳二のすご〜く怖い話』『誰もが震え上がった凶悪犯罪』など、いずれもコンビニで見かける廉価版のものばかりです。また拓哉さんは『ドラゴンネスト』という、美少女キャラクターが登場するオンラインゲームも好きだったといいます。

この程度の事実で拓哉さんと犯行を結びつけるのは、おそろしく乱暴でナンセンスとしか言いようがありません。これではホラー映画を観に行った人は、全員が犯罪者にされかねません。

“拓哉さんのパソコンから被害者女児の映像が見付かった” というハナシも、まことしやかにささやかれています。この情報がどこからどのように広まったのか確認は取れていませんが、恐らくガセでしょう。もし本当なら、拓哉さんを犯人とする証拠として裁判に提出されているハズです。

拓哉さんの部屋から、ランドセルや特殊な形をしたナイフが押収されたというハナシもありました。これについては、お母さんが真相を語っています。『冤罪File』2016年3月号の記事から引用して紹介します。

「拓哉は弟や妹(再婚相手の養父との間にできた子ども)をよく車で送り迎えしていたんですが、一番下の妹はまだ小学生だったので、拓哉の車にランドセルが置かれていることも当然ありました。

もう1つは、私たあの頃、骨董品の仕事で(偽ブランド品とともに)ランドセルも売っていたことです。売れないので、結局捨ててしまいましたが、それを拓哉の車に積んでいたのを誰かが見たのかもしれません。

また、ナイフについては、拓哉は骨董品の業者仲間から頼まれ、トルコの石が入ったナイフやアンティークのナイフをインターネットで代わりに仕入れてあげていたんです。それを家に置いていたので、特殊な形状をしたナイフが警察に押収されても何の不思議もありません」

また拓哉さんに小児性愛を疑わせる様子はなかったとして、こう語っています。

「うちによく遊びにきていた女の子たち(妹の友人)は今も娘とつながっているのですが、拓哉が逮捕された当初から『あのお兄ちゃんがそんなことするなんてありえない!』と無実を信じてくれているそうです。彼女たちには、とても感謝しています」

どうでしょうか? 拓哉さんを犯人に仕立て上げるため、事実が強引にネジ曲げられたのが明白です。 一度 “クロ” と決めつけたら白いことも真っ黒に見えてしまう…。

予断と偏見も、冤罪を生む大きな原因です。

皆さんも想像してみてくだい。もし冤罪で捕まったら、趣味や日頃の何気ない行動が “犯人である証拠” として一人歩きし、ガンガン拡散されてしまう…。とても恐ろしいことです。

逮捕される直前の勝又拓哉さん。拾ってきた猫を可愛がり、お母さんを手伝い、妹や弟の面倒もよく見る家族想いの息子だったという。

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◆「白いセダン」は「カリーナED」だったのか?

拓哉さんは偽ブランド品販売のため、お母さんとともに車で茨城県フリーマーケットに出かけていました。このことも “土地勘がある” として、犯人の根拠とされました。しかしフリーマーケットの会場と、被害者の遺体が発見された常陸大宮市の山林とは20キロ近くも離れています。

しかも山林の入口は目立たない場所にあり、そもそも拓哉さんは行ったことさえないといいます。

事件発生当時、栃木・茨城両県警の合同捜査本部は、現場付近で目撃されたという不審車両の情報を大々的に募っていました。警察が作成したポスターには「白色セダン」か「白色ワゴン」とあります。

確かに拓哉さんは「白色セダン」である『トヨタ・カリーナED』に乗っていました。遺体が発見された2005年12月2日の夜中、宇都宮市内を走る拓哉さんの車が「Nシステム」に記録されていたとも言われています。

Nシステム」とは警察が各地の道路に設置している、走行中の車のナンバープレートを読み取るシステム。ナンバーだけでなく車の形状や色、乗っている人の顔も撮影できるといいます。

だとしたら精度の高い、もしかすると被害者を乗せている映像が撮れているはずですが…。結局映像は裁判に提出されなかったため、真相は薮の中。おそらく証拠として出せる代物ではなかったのでしょう。

いずれにせよ「白色セダン」が拓哉さんの『カリーナED』である証拠は何もありません。そもそも「白」は日本で一番多いボディカラー、セダンも一般的なボディタイプなので漠然とし過ぎです。

また、これは支援者仲間から聴いたのですが、不審車両は『トヨタ・ビスタ』だったという目撃証言もあったそうです。果たして『ビスタ』と『カリーナED』と見間違えることなどあるのか? 下記写真を見比べてみてください。

ちなみに拓哉さんは2008年頃に車を廃車にしたため、警察は車両を押収していません。これを “証拠隠滅” と報じた新聞もありましたが『カリーナED』が生産・販売されていたのは1985年から98年。事件のあった2005年当時は、路上で見かける機会も少なくなっていました。

拓哉さんが乗っていたのが何年型かわかりませんが、単に古くなったか車検のタイミングで廃車にしたのでしょう。

上が『カリーナED』(1985年〜89年型)、この後2代目、3代目にモデルチェンジされ98年まで生産・販売された。ちなみにEDとはExciting Dressyの略。下が『ビスタ』(1986年〜90年型)。一見同じ白いセダンだが、カリーナEDは斬新でユニーク、ビスタはオーソドックスな形をしており、少しでもクルマに詳しければ見間違えることはないと思われる。

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◆「白いワゴン車」はどこへ消えた?

もうひとつの不審車両とされた「白色ワゴン車」は、どうなったのでしょうか? 

 事件発生直後の2005年12月5日の『読売新聞・東京本社版』の1面に、こんなスクープ記事が載りました。

被害者が行方不明になった後、現場近くの有料道路『日光宇都宮道路』大沢インターチェンジ(IC)入り口の料金所のビデオカメラに、被害者とみられる女児と男が乗った白いワゴン車が映っていたことが4日、わかった。ワゴン車は比較的小さめの車種という。栃木、茨城両県警の合同捜査本部は、男が事件に関与した疑いがあるとみて身元の割り出しを急いでいる。

しかしワゴン車の存在は拓哉さんが逮捕されてから、まるで最初から存在しなかったかのように消えてしまいました。

この疑問が解消されないまま、拓哉さんの「有罪・無期懲役」が確定してしまいました。

そして無期懲役の確定を受けて3月7日、栃木県の地元紙『下野新聞』にこんな記事が出ました。

〈タイトル〉

最高裁が上告棄却を決定「区切り」安堵の地元 子どもを守る誓い新たに” 今市事件

〈本文より一部抜粋〉

当時の捜査関係者からも安堵(あんど)の声が相次いだ。元県警幹部は「やることを尽くしてきた結果が報われた」と胸をなで下ろす。別の元幹部は「裁判所の判断をずっと気に掛けてきた」と打ち明け「これで○○ちゃん(記事では実名)の墓前に報告できる」。

 ここでコメントしている栃木県警の幹部に言いたい。

本当に “やることを尽くした” と、自分の胸に手を当てて言えるのですか!?

冤罪を作り上げておいて “これで墓前に報告できる” とはナニゴトですか!?

真犯人と疑われる「白いワゴン車の男」は野放しのままで、一体どんな顔を引っさげて被害者の墓前に行くのですか!?。

刑が確定しまった現在、拓哉さんを取り戻すには「再審」(裁判のやり直し)しかありません。その実現までに一体どのぐらいの歳月がかかるのか…。しかし一刻も早い再審を目指して、進むしかありません。

栃木・茨城両県警が、事件の目撃情報を募ったポスターの一部。「白色セダン」とともに、ぬいぐるみを乗せた?「白色ワゴン」が明記されている。セダンもイラストを見るかぎり、『カリーナED』とは違う車種のようだ、

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※今回のブログを書くにあたっては、ルポライター・片岡健さんが雑誌『冤罪File』に書いた記事を参考にしました。片岡さんは拓哉さんの逮捕直後から現地に足を運び、丹念に取材を行っています。詳しくは、バックナンバーをお読みください。

(「今市事件」掲載号)

 (公式サイト/バックナンバーの紹介)

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