Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【110】明るく楽しい冤罪支援〜布川事件に学ぶ〜

〈前回から続く〉

布川事件」の闘いは、大きく2つに分けられます。

  • ①事件発生(1067年)〜再審無罪(2011年)
  • ②桜井昌司さんの国家賠償請求(2012年〜現在)

今回は主に①について書いてみます。

また「布川事件」の再審無罪が確定したのは、ちょうど私が冤罪の支援活動に関わり始めた頃。私自身は直接運動に参加していないので、これから書くことは支援者の皆さんから聞いた話や、本などの資料をもとにしています。

 

◆粘り強く証拠を開示させた弁護団

桜井昌司さんと杉山卓男さんを有罪にした根拠は、主に2つ。

  • 取り調べでの2人の自白(物的な証拠はナシ)。
  • 事件現場で2人を見たという、警察の誘導で作られたとしか思えない目撃証言。

かなり弱い根拠で有罪にされてしまったわけですが、逆に有罪を一発逆転で覆せるウルトラC(表現が古いか…)がないのも事実。 “真犯人が判明した” とか “DNA鑑定が誤っていた” といった劇的な展開を望めない中、2人の無実を証明したのは弁護団による粘り強い証拠開示でした。

まず弁護団は、すでに開示されている取調べ調書などを徹底的に読んだといいます。そして「○月○日と○月×日の調書があるのだから、×月×日の調書もあるハズだ」「この調書で語られている、こんな証拠があるハズだ」といった具合に推理を働かせ、まだ見ぬ証拠を1つひとつ開示させていきました。

パズルの小さなピースを1つずつ埋めていくような、気の遠くなるような作業だったことでしょう。こうした血のにじむような取り組みの結果、取調べ時の録音テープに編集された跡が見付かるなど、2人を無理やり犯人にデッチ上げて行った捜査の全体像が明らかになりました。

目撃証言は、近所の男性がバイクで現場を通りかかった際に2人を見たというもの。“夜の暗闇の中、時速約30kmで走るバイクから道端にいる人間を識別できるのか?” 素朴な疑問を抱いた弁護団は再現実験も行い、そんなコトは到底不可能なことを証明しました。

現場の被害者宅からは2人の指紋も出ていませんが、裁判所は “指紋がないからと言って、犯人でないとは言えない ”という意味不明な理屈で有罪にしました。そんなバカな!?と思われるかもしれませんが、冤罪事件ではよくあるパターンです。

“それならば本当に指紋が出ないことがあるのか?”弁護団は支援者と協力して現場を再現したセットを作り、桜井さんが自白通りの方法で侵入したところ、おびただしい数の指紋が残りました。本当に涙ぐましいというか…アホバカ裁判所を説得するには、このぐらいやらないとダメなのです。

 

◆検事より怖かった!? 弁護団

弁護団長を務めた柴田五郎さん(1936年〜2017年)とは、亡くなる数年前に何回かお会いしました。もの静かで穏やかな方という印象でしたが、再審無罪を勝ち取るまでは本当に鬼のよう…というより鬼そのものだったそう。それだけ真剣だったのでしょう。

柴田さんが「布川事件」の弁護士になったのは1971年。そこから再審無罪を勝ち取る2011年まで実に40年。“自分も無期懲役になったつもりで2人に付き合う”と覚悟を決めたといいます。

はじめて拘置所で2人に面会した柴田弁護士は “無罪が欲しかったら支援を訴える手紙を書け!!” と、詰め寄ったそう。本当に “詰めた” という表現がピッタリで、桜井さんも “検察官より怖かった” と振り返ります。

 柴田五郎弁護士(前列左から3人目)。『布川事件の44年が問いかけるもの』より。

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◆真摯に無実を訴え続けた杉山さん

柴田弁護士に気圧されて…でなく言われたことを真摯に守り、桜井さんと杉山さんは1万通におよぶ手紙を書き続けます。そのうちの1通、杉山さんが作家の佐野洋(さのよう1928〜2013年)さんに充てた手紙(1974年)の一部を紹介します。

 

拝啓 突然の便りにて失礼致します。

私は、布川事件という強盗殺人事件の犯人として、桜井昌司という男と、二人共犯として、警察検察にデッチあげられましたが、ただ今、無実を主張してたたかっているものでございます。

(中略)

私はこれまで、裁判というものを神聖なものと信じてきました。それゆえに期待を裏切られたショックは大です。

日本の法律には『疑わしきはばっせず』という大原則がありますが、一体、いまの日本で、その原則通り判決している裁判官がどれほどいることでしょう。

(中略)

佐野先生もお忙しい毎日とは存じますが、こんな不正なことが許されないよう、私たちのためにお力添えをいただき、最高裁をして真実に目を向けさせるよう、また広く国民に訴え、裁判所に公正な判決をさせるために、ぜひともお力添えをいただきたいのです。

 

『檻の中の詩(うた)佐野洋双葉文庫) より

 

逮捕当時の杉山さんは地元で名の知れたワル、今でいうヤンキーでした。それが原因で「布川事件」の容疑者として警察に目を付けられたわけですが、手紙の文面からはそんな過去が信じられないような真面目な人柄が伝わってきます。塀の中で必死に自分と向き合ったのでしょう。

再審無罪を勝ち取った6年後の2017年、杉山さんは亡くなりました。まだまだやりたいこともあったに違いありません。本当に無念だったことでしょう。

杉山さんの手紙全文、桜井さんの獄中詩、そして事件の経過を詳細に綴った佐野洋さんの『檻の中の詩』。

 

◆“冤罪仲間”のために駆け回る桜井昌司さん

桜井昌司さんも、捕まる前は相当ヤンチャをしていたそうです。でも千葉刑務所に収監されてからは“いつか必ずいいコトがある、今できることを一生懸命やろう”と真面目に刑務作業に取り組み、詩を書いたり音楽の勉強に励んだといいます。その努力は塀の外に出てから実を結び「歌手」としてCDまで出しています。

現在の桜井さんは、全国の刑務所を飛び回って無実を訴える人を励ましたり、法務委員会で国会議員を相手に冤罪の撲滅を訴えたり、まさに八面六臂の活躍をしています。守大助さんの支援者集会や裁判所要請でも、たびたび顔を合わせます。

桜井さんはよく “冤罪仲間の誰々が” という表現を使います。私はこの“冤罪仲間”という言葉が大好きです。同じ苦しみを味わっている人に対する想いや温かみが、ヒシヒシと伝わってくるんです。

ここ数年で、冤罪というジャンルが社会の注目を集めるようになりました。いろいろな皆さんが頑張ってきた成果でしょうが、その中でも桜井さんが果たしている役割は決して小さくないと思います。本当に頭が下がります。

 

◆『救援会』の存在意義

人権団体『日本国民救援会』が「布川事件」を支援し始めたのは1972年。そこから有志による支援組織「守る会」が立ち上がり、支援の環が広がっていきました。守大助さんの「北陵クリニック事件」と、同じパターンですね。

『救援会』は何を根拠に冤罪の支援を決めるのか、きいたことがあります。

  • ①本当に冤罪であるか、裁判資料などをもとに検証。
  • ②当事者、弁護団、支援者の3者が団結して運動を作れるかを重視。

 「布川事件」は①は当然として②で大きな成功を収めたモデルケースです。

前回のブログで書いた通り、桜井さんと杉山さんは1978年に有罪・無期懲役が確定して千葉刑務所に収監。1996に2人揃って仮釈放となりました。無実を訴えていると“反省していないからダメ”となかなか出してもらえない中で仮釈放を勝ち取れたのは、運動の成果。そもそも2人が同じ千葉刑務所に入れたのも、奇跡的なことです。

『救援会』は、

  • “2人は再審請求をするつもりでいて、東京で弁護団を結成する。”
  • “面会や打ち合せがしやすいよう、東京に近い刑務所にして欲しい。”

など要望を出しながら法務省当局と交渉したといいます。

冤罪の支援というと署名を集めることだけと思っていましたが、実はやるべきことはいろいろあるのです。

 

◆どんな裁判官、どんなマスコミも味方に付けよう

「守る会」も毎月欠かさずニュースレターを出して裁判の進捗状況を伝えたり、事件現場を訪れて事件の知識を深めたり、弁護団と協力して再現実験を行ったり、活発に活動を展開しました。

支援者どうしの結束は固く、「守る会」の雰囲気はとても明るかったそうです。どうやったら再審無罪を勝ち取れるか真剣に議論を交わす一方で、温泉や飲み会で和気あいあいな雰囲気も大切にしたといいます。杉山さんからは “オレをダシに楽しみやがって” と冗談まじりで憎まれ口を叩かれたそうですが、これはとても大切なポイントだと思います。

冤罪は本当に深刻で苦しいもの。支援活動だって真剣に取り組まなければなりません。だからと言って暗い顔ばかりしていても、人は集まって来ないし、支援の環は広がらないでしょう。 “明るく楽しく” 活動することは、まったく不謹慎ではないのです。

またこれは桜井さんからきいたことですが  “どんな裁判官、どんなマスコミも味方にしよう” も運動の合言葉にしたそうです。裁判所のアホバカ判決や、警察・検察がリークするデタラメを報じるメディアは本当に許せません。だからと言って批判ばかりしていても、物事は進みません。

 そんなポジティブさを大いに見習って、守大助さんの再審無罪に向けて引き続き頑張りたいと思います。大助さん本人も、辛気くさい活動なんか望んでいないでしょう。

当事者、弁護団、支援者の団結を象徴するような1枚の写真。前列中央が桜井昌司さん、その左の背の高い男性が杉山卓男さん、杉山さんの左には柴田五郎弁護士。布川事件再審無罪5周年報告〜布川事件の44年が問いかけるもの』表紙より。

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【109】「布川事件」国賠勝利に想うこと

◆警察&検察の愚行・蛮行を認めた裁判所

もう2週間前になりますが、5月27日(月)に「布川事件(ふかわじけん)」桜井昌司さんの国家賠償訴訟の判決が、東京地裁でありました。

桜井さんは冤罪を作り上げた上に何の反省もしない警察・検察の責任を問うべく、2012年12月に国賠を起こしました。それから約6年半、裁判所は桜井さんの訴えを認め、茨城県と国に約7600万円の損害賠償の支払を命じました。

判決は以下の3つを「違法」と断罪しました。

  • 1.取り調べで刑事が「お前のお母さんが早く自白して欲しいと言っているぞ」(本当は言っていない)など、ウソをついて自白させた。
  • 2.法廷で刑事が、実際はある取調べの録音テープが「ない」とウソをついた。
  • 3.検察が無実の証拠(目撃者の捜査報告書など)を開示しなかった。

予想通りと言うか…先週末に茨城県と国は判決を不服として控訴してきました。こうなるのは桜井さんも想定内だったようで “徹底的に闘い、完全勝利を目指す!” と早くも臨戦態勢です。

茨城県」は茨城県警、「国」は検察と言い換えられます。残念ながら現行の国賠制度では、警察官・検察官の責任を直接追求することはできません。

公務員の活動を萎縮させないための配慮らしいのですが、桜井さんは “冤罪を作り上げた当事者を処罰する仕組みが必要だ” と、事あるごとに主張しています。

本当にその通りだと思います。

どんな不当な捜査や起訴を行って無実の人を陥れても、その責任は自治体や国が肩代わりしてくれる…。自分で自分の尻拭いをする制度にしなければ、本当に冤罪はなくならないでしょう。

何はともあれ、裁判所が警察・検察の愚行・蛮行を正面から認めたという意味で、今回の判決は画期的だと思います。これまでの多くの冤罪事件では、こうした主張が認められることはほとんどありませんでしたから。

守大助さんのケースに当てはめてみるると…。

  • 1.取り調べで刑事が「お前が筋弛緩剤を投与した証拠がある!お前が否認するなら、(婚約者の)同僚看護士を逮捕する!」とウソをついて自白させた。
  • 2.法廷で刑事が「違法な取り調べはしていない。守大助が自ら進んで自白した」とウソをついた。
  • 3.検察が無実の証拠(ねつ造された可能性の高い鑑定データ、筋弛緩剤の空容器など)を開示していない。

どうでしょうか? 今回の判決に照らし合わせれば、3つとも完全に「アウト!」なことは明白。大助さんの再審は今すぐにでも開始されるべきでしょう。

 〈取調べの様子についてはこちらの過去記事を参照〉

【85】守大助さんの父・勝男さんの訴え - Free大助!ノーモア冤罪!

【86】これが取り調べだ!(怒) - Free大助!ノーモア冤罪!

 

◆「布川事件」52年の闘い

布川事件とはどんな事件だったのか?改めて振り返ってみます。

  • 1967年8月 茨城県北相馬郡利根町布川で、62歳の大工の男性が殺される。
  • 1967年10月 桜井昌司さん(20歳)、杉山卓男さん(21歳)が相次いで逮捕。
  • ※桜井さんは「ズボンを盗んだ」、杉山さんは「暴力事件を起こした」という別件逮捕
  • ※「借金を申し込んだが断られたので、カッとなって二人で共謀して殺した」が動機とされる。
  • 1970年10月 第一審(水戸地裁土浦支部):無期懲役
  • 1973年12月 第二審(東京高裁):無期懲役
  • 1978年7月 第三審(最高裁):上告棄却・無期懲役が確定
  • ※桜井さん、杉山さんともに千葉刑務所(守大助さんと同じ刑務所)に収監
  • 1983年12月 第一次再審請求
  • 1987年3月  再審請求棄却
  • 1996年11月 桜井さん(49歳)、杉山さん(50歳)、相次いで仮釈放
  • 2001年12月 第二次再審請求
  • 2005年9月 再審開始決定
  • 2011年5月 再審無罪
  • 2012年12月 桜井さん、国賠を起こす
  • 2015年7月 杉山さん死去
  • 2019年5月 東京地裁茨城県と国に賠償を命じる
  • 2019年6月 茨城県と国が控訴 

私事になりますが、私は1968年8月生まれです。なので事件発生と2人の逮捕は生まれる約1年前。そして私が幼稚園・小中高・大学を卒業して28歳の時に、2人は塀の外に出てきたことになります。

本当に想像を絶する時の長さです…。

まさに浦島太郎のような仮釈放直後の2人の姿や、再審を勝ち取るまでの闘いは、こちらのドキュメント映画でご覧いただけます。

「ショージとタカオ」公式ホームページ

仮釈放から再審開始決定まで、10年以上にわたって2人を追ってカメラを回し続けた、超力作映画です。 

 

◆「布川事件」何が闘いを勝利に導いたのか?

よく冤罪支援仲間からは「布川に学ぼう」という声を聴きます。守大助さんの支援者の中にも、布川事件の支援経験者がたくさんいます。

確かに上の年表を見返してみると、無実を訴えながらも仮釈放を勝ち取り(無実を主張していると“反省していないからダメ”と、なかなか出してもらえない)、再審無罪を勝ち取り、そして今回の国賠勝利と、ここまで多く勝っている冤罪事件は珍しいかもしれません。

勝利の秘訣は何だったのでしょうか?

 “それは当事者(桜井さん、杉山さん)、弁護団、支援者の3者が団結して頑張ったから” と、皆さん口を揃えて答えます。

では3者はどのように闘ったのか? 掘り下げてみたいと思います。

 (次回に続く)

判決後の記者会見で、勝利を報告する桜井昌司さん(右から2人め)。(写真:「日本国民救援会」HPより)

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【108】守大助さんからのメッセージと『再審法改正をめざす市民の会』結成!!

◆守大助さんのメッセージ〜裁判官が刑事訴訟法を守る時代になってほしい〜

守大助さんから届いた、最新のメッセージを紹介します。いつも通り、弁護団を通して全国の支援者に発信されたものです。

令和元年がスタートしました!!

裁判官が刑事訴訟法を守る、時代になってほしい。

私は絶対に筋弛緩剤を混入していません。

今後も皆さんのお力を貸して下さい。

若葉のみずみずしさに、心洗われる季節となりました。皆さんお元気ですか。いつも力強いご支援に、感謝の気持ちでいっぱいです。先月48歳の頑丈日には、地元からは泉・富谷支部よりBirthday電報、徳島、札幌、岩手、神奈川、東京各地の会から、Birthdayカード、お祝金が届きました。本当に有り難うございます。

なんとしても40代の内に「再審開始」となって社会復帰したいです。そのためには、この第一次特別抗告審で勝利しなければなりません。上申書を提出しましたが、これだけでは最高裁は動きません。これまで以上に!必死になって訴え闘います。どうか!私と一緒に皆さん、最高裁と闘って下さい。再審開始の流れが続いてます。この流れを本件へも!令和元年、最高裁によって真実が照らされると信じて、私はその日を待ってます。

皆さん、再鑑定ができないデタラメ鑑定が!証拠開示を一度も認めない裁判所の判断が、本当に公正・公平でしょうか? 私は科学的な!!公正・公平な裁判をしてもらいたいのです。両親が元気でいる内に、帰りたいです。私を助けて下さい。

2019年5月  無実の守大助

写真の下に続く〜『再審法改正をめざす市民の会』の様子〜

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 ◆『再審法改正をめざす市民の会』今度こそ冤罪救済のルールづくりを

昨日5月20日には『再審法改正をめざす市民の会』が発足しました。冤罪当事者、支援者、弁護士、研究者、ジャーナリストなど多岐にわたるメンバーが一丸となって再審制度の改革を推し進め、冤罪を根絶しようという運動体です。会場となった東京・永田町の衆議院第2議員会館の集会室は、160人以上の参加者でギッシリ埋め尽くされました。

正確に言うと「再審法」という法律はなく「刑事訴訟法」の再審に関する規定を見直そうという取り組みになります。現行の刑事訴訟法では500以上ある条文のうち、再審に関する規定はわずか19条。しかも具体的な手続やルールが定められおらず、事実上の無法地帯と化しています。

そのためこのブログでも度々書いてきましたが、検察による証拠隠しや、再審開始決定への妨害といった蛮行が平然とまかり通っています。守大助さんの事件についても、検察は無実の証拠をたくさん隠しているハズですし、仮に再審開始が決まったら必ず不服申し立てしてくるでしょう。再審を闘っている他の冤罪事件も、同じような壁に苦しんでいます。

◆裁判所の本音〜再審は放置しておいてOK〜

『市民の会』の共同代表の1人に選ばれた弁護士・木谷明さんは、挨拶を兼ねてこのような旨のことを語りました。

「裁判官の力量は、処理した事件の数によって評価される。モタモタしていると“あいつは何をやっているんだ”と言われるが、再審はそれほど重視されていない。放っておいてもクレームが来ないので、平気で何年も寝かせておく」

木谷さんは弁護士になる前は東京高裁などで裁判官を務め、多くの無罪判決を出したことで知られています。裁判官経験者が語るリアルな状況…恐ろしいほど絶望的です。

冤罪当事者にとって再審とは、司法権力によって破壊された自らの人生を救済する最後の頼みの綱。人生をかけて生命を削って無実を訴える切実な声(※下記参照)に対する、裁判所の本音がコレです。こんな状況を変えるためにも、明文化した再審のルールづくりが急務です。

※決して大げさな表現ではありません。こちらをご一読ください。

【103】沈黙の最高裁〜「大崎事件」弁護団激励行動に参加して〜 - Free大助!ノーモア冤罪!

【105】「松橋事件」再審無罪、あまりにも遅すぎた春… - Free大助!ノーモア冤罪!

実は「再審法」を見直そうという動きは、今回がはじめてではありません。

今から50年以上前の1968年には「福岡事件」や「帝銀事件」など、終戦直後の冤罪事件の救済を目的とした「再審特定法案」が提出されました。

死刑4事件(免田、財田川、島田、松山)が立て続けに再審無罪となった1980年代にも、再審に関する規定を見直そうという機運が高まりました。

しかしいずれも検察や法務省の抵抗に会い(怒)、実現には至りませんでした。そして冤罪への関心が今までになく高まっている現在、今度こそ “3度目の正直” として悲願を達成させなければなりません。当ブログもその一翼を担いますので、引き続きよろしくお願いいたします!!

『再審法改正をめざす市民の会』最新情報はこちらから!!

https://retrial-law.wixsite.com/mysite

そして入会費1000円(1口)で、どなたでも会員になれます!! 

 

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 〈写真〉『再審法改正をめざす市民の会』運営委員。後列右から5人目は周防正行さん(映画監督)、7人目は「布川事件」の桜井昌司さん、その左に木谷明さん、宇都宮健児さん(弁護士・元日弁連会長)、海渡雄一さん(弁護士・監獄人権センター代表)。前列右から4番目は「日本版イノセンス・プロジェクト」の笹倉香奈さん(甲南大学教授)、2人飛んで「大崎事件」弁護団の鴨志田裕美さん、「東住吉事件」の青木恵子さんなど、冤罪業界(という言い方はないかもしれないが…)屈指の顔ぶれが一堂に集った。

【107】48歳になった守大助さん

1ヵ月ぶりの更新です。いろいろと書きたいことが頭の中を巡りながら、体が追いつかずにズルズルと時間が過ぎてしまいました。

元号が「平成」から「令和」に変わりましたが、守大助さんは変わらずに千葉刑務所の塀の中4月28日には48歳の誕生日を迎えました。2001年1月に逮捕された時は29歳。再審無罪に向けた闘いは続きます。

少し遅くなりましたが、4月に届いた大助さんのメッセージを紹介します。弁護団を通して全国の支援者に届けられたものです。

◆守大助さんのメッセージ〜私は一度も「公正な裁判」を受けていません〜

いつも全国から温かく力強い!ご支援、有り難うございます。皆さんから届くお便りに、とても励まされています。私は絶対にやっていない! 筋弛緩剤を混入していません!! 平成最後の月も、負けずに無実を訴え闘います。

お花見のシーズンとなり、ここかしこを吹く風も桜色に染まって見える季節です。私にも一日も早く本当の“春”が来てほしい。

無実を訴えつづけ、18年が過ぎました。真実の証拠を無視しつづける裁判所へ、怒りでいっぱいです。なぜ裁判官は!無実の声を、無実の証拠を無視してまで、検察を守るのか。私は一度も「公正な裁判」を受けていません。証拠開示、証人尋問も認められていないのです。裁判に“差”があっていいのでしょうか!!

本件は筋弛緩剤事件ではありません。土橋(つちはし)鑑定は明らかに間違いであり、科学の世界では認められていない鑑定です。5人の患者さんは主治医によって、ちゃんと診断されています!! A子ちゃんを「筋弛緩剤」しかないとした仙台市立病院が「ミトコンドリア病」についての症例報告を出しました。A子ちゃんの症状、経過がほぼ一致しています。筋弛緩剤じゃないことが明らかにしたようなものです。

第三章法廷・林裁判長へ「再審」の風を吹かせて下さい。今後もどうか皆さんのお力を貸して下さい。

2019.4月 無実の守大助

 

◆守大助さんの3篇の詩

このブログでも何回か紹介していますが、大助さんは塀の中でたくさんの詩を書いています。今回はその中から、誕生日にまつわる3篇を紹介します。

守大助詩文集「僕は無実です」(日本聖公会東京教区 人権委員会・編)より。

 

「41」

とうとう41歳になった

社会から隔離されて

12回目のBirthday

あと何回ここで迎えるのか

41歳は“元祖天才バカボンのパパ”

バパボンのパパと同じになった

なぜここで迎えるのか

42歳は外で迎えたい

41歳の春はスタートした (2012年4月28日)

 

 「42歳」

今日で僕は42歳

こんな生活をしていなければ

家庭を持って

父親としてがんばっていただろう

29歳で閉じ込められ

30代は悪いことばかり

40代は社会で生活できると

信じている。

早くここから出たい

42歳の僕は家庭を持つこともできず ここにいます

悔しい悔しいBirthdzy (2013年4月28日)

 

 「45歳」

また春が来る

ひとつ年が増える

15年はあっという間

刑事裁判は三流小説

嘘が真実になる世界

気がつけば45歳

信じられない速さで

月日は流れる

再審は無実の人を救うのではないのか

45歳の春も信じて訴える (2016年4月)

 

 

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【106】ブログをはじめて2年、「冤罪支援」をメジャーに!!

■冤罪について語るハードルを低くしたい

このブログをはじめたのは2017年4月4日。何とか2年、続けてこられました。

1日最大400を超えるアクセスをいただいた日もありました。読んでいただいて、本当にありがとうございます!! 

この間の「北陵クリニック事件」を巡る最大の出来事といえば、やはり仙台高裁で再審請求が棄却されたこと(2018年2月28日)でしょう。

この事件、医療や薬物鑑定の専門家に聴き取りを行えば、守大助さんの無実は明白です。そして検察が隠し持っているハズの証拠が全て開示されれば、警察のイイカゲンな捜査によって大助さんが “恐怖の点滴魔” にデッチ上げられたことも明らかになるでしょう。

しかし仙台高裁は一切の事実調べも証拠開示も拒んだまま、再審請求を棄却しました。こんなことをしてまで、警察・検察のメンツを守りたいのでしょうか?1人の人間のかけがえのない人生を、何だと思っているのでしょうか?

再審無罪を求める闘いは、私の地元・東京にある最高裁判所に移りました。

このブログを始めたのは、日本の司法が抱える問題について、もっと気軽に語り合えるようにしたいと思ったからです。「素人の素朴な目線から冤罪を考える」というサブタイトルも、そんな想いから考えました。

冤罪関連の記事といえば、弁護士やジャーナリストが書いたものがほとんど。でも冤罪や司法というのは、私たちの暮らしに直結した問題。だからこそ生活者である私たち自身がもっと考えて、語り合って、思ったことを発信しなきゃいけないと思います。

日本の司法を巡る状況は、かなり絶望的です。こんな状況を放置しておいたら、誰がいつどこで、凶悪事件の犯人にデッチ上げられるか分かりません。守大助さんの身に起きたことは、決して他人事ではないのです。見て見ぬフリなど、できません。

このブログもどういうふうに書けば伝わるのか、正直言ってまだ模索中です。でも試行錯誤しながらも、書くことだけは止めないようにします。

■ラジオ「塀の中の白い花」で喋ってきました

コミュニティラジオ「エフエムたちかわ」で「塀の中の白い花〜ほんとに何もやってません」という番組があります。おそらく日本で唯一の冤罪専門番組で、コンセプトをこのように語っています。

“冤罪は誰の身にも起こる身近な問題。『塀の中の白い花~ほんとに何もやってません』は「暗い」「重たい」というイメージの冤罪問題を分かりやすく伝えていきます。”

私のブログと同じ想いです…というわけで、はじめてゲストに呼んでいただき「北陵クリニック事件」について喋ってきました。実は4月1日に放送されてしまったのですが、現在も下記の番組HPから聴くことができます。

enzaibusters.seesaa.net

「エフエムたちかわ」のHPも紹介します。

www.fm844.co.jp

番組を作っているのは、ミュージシャンのなつし聡さん。「布川事件」の桜井昌司さんとの出会いがきっかけで冤罪に関心を持ち、番組を始めたそうです。

収録は都内の小さな音楽スタジオで、機材は録音機能の付いたマイク1台。なつしさんがパーソナリティから編集まで、全てを1人でこなしています。さらに資金をクラウドファンディングで募り、1年の放送延長が決まりました。

今は個人がメディアを持てる時代。やる気と行動力で、何でもできるんだ!と、本当に勇気づけられました。私も引き続き、1人でお多くの皆さまにこの問題を身近に感じていただけるよう、頑張ります。

収録を終えて。なつし聡さん(左)、ありがとうございました。

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【105】「松橋事件」再審無罪、あまりにも遅すぎた春…

■34年目にして、ようやく無罪

ご存知の通り本日、熊本地方裁判所は「松橋(まつばせ)事件」の再審裁判において、無罪判決。宮田浩喜(こうき)さんはようやく、冤罪を晴らすことができました。

本当に良かった!!と声を大にして言いたいところですが、それ以上にあまりにも遅すぎた…というのが正直な感想です。

宮田さん自身は脳梗塞になった上、認知症を患って寝たきりに。意思の疎通が難しい状態といいます。

そして宮田さんを支え、ともに再審を闘ってきたご長男は2017年9月、病気で亡くなりました。どれほど無念だったことでしょうか…。2016年6月の再審開始決定を受け、ご長男が新聞記者に語ったコメントを今一度、紹介します。

 「捜査に当たった警察、検察の関係者も、父と同じ期間を刑務所で過ごしてほしい。そうでなければ冤罪はなくならない(2016年7月1日/毎日新聞

1985年1月の事件発生から34年、あまりにも遅すぎた春と言わざるを得ません。ちなみに1985年といえば、8月に日本航空123便が墜落した年でもあります。本当に長い闘いでした。

■検察が再審を妨害できない制度づくりを!!

松橋事件の再審の流れを、もう一度振り返ってみます。

  • 2012年3月 熊本地裁に再審請求
  • 2016年6月 熊本地裁、再審開始決定→検察は即時抗告※(怒)
  • 2017年11月 福岡高裁、再審開始決定を支持→検察は特別抗告※(怒)
  • 2018年10月 最高裁、再審開始決定を支持→ようやく熊本地裁で再審公判へ
  • 2019年3月28日 熊本地裁、無罪判決
  • ※即時抗告=地裁の決定を不服として高裁に抗告すること。
  • ※特別抗告=高裁での決定を不服として最高裁に抗告すること。

再審請求から6年以上、最初の再審開始決定から3年近くもの歳月がかかった理由は一目瞭然。裁判所が開始決定を出すごとに、検察が無意味な抵抗を繰り返してきたことです。

このブログでも検察の愚行・蛮行については繰り返し書いてきました。再審に関する規定を見直して、検察の抗告をできない制度に改めなければなりません。幸いにも近年は、そうした機運も盛り上がってきました。今がチャンス、私たちの手で絶対に日本のアホ司法を変えましょう!!

■「松橋事件」アーカイブ、まとめました

このブログを開設してから、一番アクセスが多かったのが「松橋事件」関係でした。本家である守大助さんの「北陵クリニック事件」以上に。本当に読んでいただいてありがとうございます。

ということで、今までにアップした「松橋事件」関連の記事を以下にまとめました。リンクからご覧いただけます。

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【104】やったぞ!!湖東記念病院事件、再審開始

西山美香さん、本当に良かった!!

すでに報道でご存知と思いますが昨日(3月19日)、最高裁判所は「湖東記念病院事件」の再審開始を決定しました。

この事件、2017年12月に大阪高裁が再審を認めたものの、検察がお決まりの特別抗告(怒)。検察の言いがかりを退けての開始決定、本当に良かった!!と思います。

西山美香さんとは、最高裁要請で度々顔を合わせました。西山さんは仕事をやりくりし、滋賀県から東京まで足を運んでいました。なかなか再審が決まらず日常に戻れなかった1年3ヵ月、本当に不安だったと思います。そして自分の要請が終わった後に「他の事件のことも考えて欲しい。宜しくお願いいたします」と一言添えて、最高裁で共に闘う冤罪仲間への気遣いも忘れませんでした。自分のことだけでも大変なのに、本当に胸を打たれました。

その時の様子は、下記リンクをご覧ください。

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■守大助さんの「北陵クリニック事件」との共通点

「湖東記念病院事件」は医療現場の出来事を、医療知識に乏しい警察・検察が「殺人事件」にしてしまった典型的な冤罪。守大助さんの「北陵クリニック事件」ソックリです。

発端は、70代の重篤の患者さんが亡くなったことでした。致死性不静脈による病死の可能性が高かったのですが、警察は “殺人事件” と見立てて捜査を開始。看護助手の西山美香さんを厳しく取り調べます。そして “人工呼吸器のチューブを抜いて殺害した” という、 自分たちが勝手に描いたシナリオに沿った自白を強要します。

「北陵クリニック事件」では、病気や抗生物質による患者さんの急変が “筋弛緩剤を使った連続殺人” にされました。医療施設には元々具合の悪い患者さんが入院しているわけですから、死亡や急変は珍しくないこと。しかし警察の勝手な思い込みが、そもそも存在しない事件をデッチ上げてしまったのです。

“事件でなく病死の可能性が高い” ことをシッカリ認めたという意味で「湖東記念病院事件」の再審開始決定は画期的です。守大助さんの再審開始にもつながる、大きな一歩になると思います。

■一部の心ない中傷へ一言

 一部ですが、ネットでは西山さんに対する心ない中傷が見られます。“取調べの刑事に好意を抱いて自白した” ことを、信じられない、自業自得だというのです。これにはキッチリと反論しておきたいと思います。

山本誠なる刑事は脅迫的な取調べをする一方で、意に沿った自白をすると急に優しくなったといいます。「自分を信じろ。悪いようにはしない」とも言ったそうです。

実は西山さんの他にもう1人、患者さんが亡くなった現場に立ち会った看護師も取調べを受けていました。その看護師には家庭がありました。精神的に追いつめられ自暴自棄になった西山さんは独身の自分が責任を引き受ければいいと、刑事に言われるままに自白をしてしまったのです。

外の情報を一切シャットアウトされた取調室。刑事と2人だけの狭い空間で、来る日も来る日も自白を迫られたら、普通の精神状態を保っていられるでしょうか。

さらに西山さんは迎合性が強い性格だったといいます。“この刑事さんのために自白しなきゃ” と思えてしまっても無理はありません。そんなことあるの?と思うかもしれませんが、供述心理学的に見てもあり得ることなのです。

守大助さんも、清水弘之なる刑事に “お前がやってないと否認を続けるなら、彼女が犯人だな” と、婚約者だった同僚看護士の名前を出されて一度は自白してしまいます。

一番弱い所に付け込んで自白を迫るのは、警察の取り調べの常套手段。果たして自分が同じ状況で追いつめられたら、毅然とした態度を貫けるでしょうか? 責めるべきは西山さんでなく、山本刑事です。

そして山本誠刑事、清水弘之刑事ともに現在も警察にいるようです。警察の思い込みと、自白させればいいという取り調べがいかに多くの冤罪を生んでいるか、引き続き声を大にして伝えていきます。

 

西山美香さん(左)。2017年12月、大阪高裁の再審開始決定直後。右は東住吉事件で再審無罪を勝ち取った青木恵子さん。(写真:日本国民救援会) 

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