【167】裁判所に“NO!!”の鉄槌を〜「今市事件」シンポジウムを視聴して〜
■豪華メンバーがパネリストに集結
前回のブログで紹介したシンポジウム「今市事件は終わっていない〜誤った有罪判決を斬る〜」を、YouTubeで視聴しました。
“有罪判決を斬る”というタイトルどおり、無実の勝又拓哉さんを無期懲役にした裁判がいかに酷いモノであったかを、パネリストとして登壇した法律の専門家らが掘り下げました。
〈パネリスト〉
- 木谷 明:元東京高裁判事、弁護士
- 白取裕司:北海道大学名誉教授、神奈川大学教授、弁護士
- 豊崎七絵:九州大学教授
- 周防正行:映画監督、「再審法改正をめざす市民の会」運営委員
- 今村 核:弁護士(今市事件元弁護人)
いずれのパネリストも、冤罪関係の大きな集会でお見かけする方ばかりです。単独の事件のシンポジウムで、これだけのメンバーが一堂に集まったのはスゴいことだと思いました。それだけ「今市事件」の裁判が異常だったということでしょう。
まさに一流といえるメンバーだけあって、2時間ギッシリ濃い内容が詰まったシンポジウムでした。その一方で、虚しさを感じたのも事実です。
■シンプルに“バカヤロー!!”と声を上げることも必要だ
何が虚しいかというと “それ以前のハナシ” だからです。パネリストの皆さんはそれぞれの専門分野である法律や学問の知識や経験を駆使して、裁判の過ちをロジカルに指摘しました。
しかし裁判所の所業は、法律や学問うんぬんで語る以前のレベルだと思います。
例えるなら、幼児の落書きした絵に対して、高名な美術評論家や画家が真面目に議論するようなものです。
裁判官の頭の中にあるのは、被告人を有罪にすることだけ。法律のプロとしての最低限の仕事さえしておらず、公正な裁判をやる気など、最初からゼロとしか思えません。これが「今市事件」や「北陵クリニック事件」、その他の冤罪を見てきた私の率直な印象です。
本来なら最も厳格に法律を守るべき裁判所が、最大の無法地帯と化しています。“裁判所がしっかりしないから、警察も検察もやりたい放題で冤罪をデッチ上げるんだ” と口にする冤罪犠牲者も少なくありません。
そんな最低限のルールさえ守ろうとしない連中が行ったゴミクズ同然の裁判に対して、証拠構造や事実認定がどうのこうのと真面目に議論する意味があるのか……。
もちろん法律家や研究者の皆さんには心から敬意を表していますし、見返りを求めずに心血を注いで活動していることには大変な感銘を受けています。そして論理的な分析が大切なことは百も承知です。
しかしそれだけでは、冤罪をなくす運動は前進しないと思うのです。
では何が必要か? それは私たちが“バカモン!!”と、裁判所に対してストレートに怒りの声を上げること。これは法律家や研究者ではない“素人”である、私たちの使命だと思います。
何故なら、司法や冤罪の問題というは ”自分ごと” だからです。いつどこで、私自身や大切な誰かが、杜撰な捜査や裁判によって犯人にデッチ上げられてしまうかわかりません。勝又拓哉さんや守大助さんに起きたことは、決して他人ごとではないのです。
冤罪支援を行っている人権団体「日本国民救援会」は、おかしな判決や決定が下されるたびに、担当裁判官に抗議の電報やハガキを送るよう呼びかけいます。しかし十分な影響力を発揮しているとは言えません。多少抗議の声が届いたからといって痛くも痒くもないというのが、連中の本音でしょう。
世の中では “裁判所は正しい。裁判官は公正な判断をしてくれる” という認識がまだまだ多数派のようです。私が支援に関わっている「北陵クリニック事件」についても “警察が逮捕して裁判所が有罪としたのだから、守大助は犯人だ。冤罪なんてあり得ない” と言われたことがあります。
こんな誤った認識を変えるためにも、もっと声を大にして日本の司法の異常な実態を伝えていかなければならないと思います。時にはストレートな怒りを、裁判所が変わらざるを得ないぐらいの勢いでぶつけることも必要です。
そのためにはどう活動するのがベストなのか、引き続き試行錯誤するのみです。
冤罪の「冤」は「冖」の下に「兎(ウサギ)」と書きます。元々は「かがみ込む」という意味で、それが「無実の罪をかぶる」に転じたのだとか。次に囲いの下にかがみ込むウサギになるのは、私自身かもしれません。