【127】日本の司法は“八百長司法”、元同僚Sさんの証言(後編)
◆“悪いことだけ言え”は警察の常套手段?
前編では守大助さんの「北陵クリニック」時代の同僚、Sさんが、警察で受けた事情聴取の様子を紹介しました。
【126】森法務大臣にも読んで欲しい、元同僚Sさんの証言(前編) - Free大助!ノーモア冤罪!
刑事から“守大助の悪いコトだけを話せ”と言われたというお話は衝撃的でしたが、『冤罪白書2019』(燦燈出版)を読んでいたら、同じような事例が出てきました。
東住吉事件(2016年・再審無罪)の青木恵子さんが、自分の逮捕当時(1995年)に高校時代の友人が受けた事情聴取について語っています。「『冤罪犠牲者が冤罪を語る』桜井昌司×青木恵子」という対談記事から、引用して紹介します。
青木 「(友人は)いや、あの子は子どもを殺すような子じゃない」と普通のことを言っているけれど、(刑事は)「そんなことは聴きたくないんだ。もっと青木恵子の違うことを言え」と。悪いことを彼女の口から聞き出そうと一生懸命で、彼女も怖がって警察署には弁護士がついて行ったぐらい、全然関係ないのにひどい取調べでした。(150ページより)
容疑者を犯人にデッチ上げるため、知人・友人にまで脅迫的な事情聴取を行うのは、珍しいことではないようです。
対談相手の桜井昌司さんは、布川事件(2011年・再審無罪)の冤罪犠牲者として、冤罪をなくすため多方面で活躍中。この対談、冤罪を体験した当事者でなければ語り得ない興味深い話ばかり。ぜひ1冊購入して読んでみてください。現在2人は、2019年3月に結成された「冤罪犠牲者の会」の中心的な存在としても活躍しています。
「北陵クリニック事件」も紹介。阿部泰雄・弁護団長の解説、 守大助さんの母・守祐子さんの手記も収録されています。
◆守大助=有罪という結論ありきの八百長裁判
ここからは前回に続いて、Sさんのお話を紹介します。Sさんは裁判(一審・仙台地裁)で大助さんの無実を訴えるべく、弁護側の証人として証言台に立ちました。
Part3 大助さんの無実を信じる刑事も!?
司会 これまでのお話で、警察は最初から“守大助さん=犯人”という結論ありきで捜査を行っていた様子がよくわかりました。しかし中には、大助さんが無実だと思っていた刑事もいたようですね?
Sさん 裁判所でこんなことがありました。私が傍聴の抽選に外れてしまって待合室にいたら、やはり抽選で入れなかった刑事さんが入ってきました。その刑事さんは私が事情聴取を受けているとき時々様子を見にきていたので、見覚えがあったんです。そして“Sさん、オレも本当のことを知りたいんだよ”って、ポツンとおっしゃったんです。
本当にビックリしましたが、嬉しかったのと同時に、じゃあ何で逮捕したの?と憤りを感じて詰め寄ってしまいました。この刑事さん以外にも、大助さんが犯人じゃないと信じている警察関係者が何人もいると聞いています。
司会 大助さんはお父さんが宮城県警に務めていたので、警察を信じていたと言っています。そして警察の中にも、大助さんを信じていた刑事さんがいたわけですね。
Part4 “異議アリ”を連発した検察の狙い
司会 では裁判の話に移ります。Sさんは法廷では何回ぐらい証言しましたか?
Sさん 1回だけです。しかし本当に訴えたかったことが、ほとんど言えませんでした。あらかじめ質問事項が決められていて、証言者が自由に話せないんです。
警察の事情聴取でデタラメな調書が作られたことや、急変の原因はクリニックの体制にあったことなど、訴えたいことはたくさんあったのですが、実際は最初から裁判のストーリーが決まっていたような印象がして、とても恐ろしく感じました。
司会 “大助さん=犯人”という結論がありきで論点が絞られていく中で、それに関連した証言しかできなかったということですね。Sさんが証言している途中で、検察が“異議アリ!”と何度も口をはさんできたそうですね。それはどんな時でしたか?
Sさん クリニックの体制のことに少しでも触れようものなら、すぐにストップさせられました。全部が遮られたわけでなく、弁護団が頑張って話を続けさせてくれた時もありましたが、やはりそれでも伝えたいこと全てを証言するのは難しい状況でした。
司会 そこまでして証言を妨害した理由については、どう思いますか?
Sさん 検察のシナリオは大助さんが犯人という結論ありきだったので、そこにマイナスになるポイントには一切触れて欲しくなかったのかと思います。
司会 事件の背景にはクリニックの経営難があり、不十分な医療体制の中で急変が多発したという事実が明らかになると、大助さんが犯人でないということが明らかになってしまう…。そうなる展開を、検察は恐れたのかもしれませんね。
クリニックで働いていた他のスタッフも、裁判に呼ばれたのですか?
Sさん 退職者も含めて、全員呼ばれました。でも不思議なことに、筋弛緩剤に一番詳しい麻酔科の医師が呼ばれなかったんです。その先生はクリニックの閉鎖後、独立開業しました。
訪ねて行って“どう思いますか?”と聴いたら、“警察はバカな鑑定結果を出したよね。こんな数値は絶対にありえない。冤罪だよ”とハッキリ言われました。さらに“冤罪を確信している医師は他にもたくさんいる。でも自分も含めて東北大学側の人間なので、保身を考えると口をつぐむしかできない…”、と話されていました。
Part5 公正な裁判と、取調べの全面的な録画・録音を
司会 ここで参加者の皆さんから、質問を受けたいと思います。
質問:テレビ朝日のニュース番組『ザ・スクープ』のインタビューで、患者さんを診た医師が、急変の原因は筋弛緩剤でなく、病気や抗生物物質の副作用だと答えていました。直接診断した医師が大助さんは犯人でないと言っているのに、他のスタッフから同様の声が上がらなかったのでしょうか?
Sさん 私は事件の少し前にクリニックを退職していたので経験していませんが、スタッフは皆“余計なことは喋るな”と口止めされたそうです。事件の直後、同僚だった看護スタッフに連絡して“本当に大助さんを犯人だと思うの?”と聴いたところ“わからない”と口をつぐんでしまいました。
さらに“Sさんが守大助に味方していると警察に言われたけど、何故そっち側にいるの?クリニック側に付かないと、どこでも働けなくなるよ”と、忠告も受けました。
先ほどの先生のように、外の医療機関でも“これは冤罪だ”という声が多かったのですが、宮城県の医療界全体で、それを表立って言えない雰囲気がありました。19年経った現在も、状況はほとんど変わりません。
質問:漠然とした質問ですが、何か大きな力が働いていたのでしょうか?
Sさん 東北大学、検察、裁判所に密接な関わりがあったのか分かりませんが…実際はこうなのに、こうできないというのがあるんです。圧力というか、権力のようなものが垣間見られるのは事実です。
司会 皆さん、質問ありがとうございました。少し補足説明をさせてください。北陵クリニックの母体だった東北大学は、東北地方の病院に医師を派遣する人事権を握っています。地元の医療関係者がなかなか声を上げられない背景には、こうした力関係があるんです。
では最後のまとめに入りたいと思います。近年は北陵クリニック事件に限らず、いろいろな冤罪事件が社会の注目を集めるようになっていますが、日本の司法の問題をどのように感じていますか?
Sさん まず裁判所は、調書がどんなふうに作られているかに目を向けるべきです。そして証言者に、もっと発言権を与えて欲しいです。前もって決まっている質問事項だけの証言では、真実にたどり着けません。
それから取調べは、関係者の事情聴取も含めて全てビデオ撮影と録音を認めて欲しいと思います。私の事情聴取は、一切記録されませんでした。これが冤罪を生むひとつの要因になっているのではないかと思います。
警察、検察の言うことが全てという現在の司法では、公正な裁判ができるはずがありません。この状況が変わらないかぎり、冤罪が増えることはあっても減ることはないでしょう。
司会 本日は貴重なお話を、ありがとうございました。
◆背景にあった“権力”の正体
2回に分けて紹介たSさんのお話、どうだったでしょうか? 私は捜査から裁判に至るまで、カルロス・ゴーンさんが指摘した“八百長司法”そのものだと感じました。
すべてが“守大助=犯人”という結論ありきで進められ、仙台地裁は無期懲役を言い渡しました。そして現在に至るまで、最高裁を含めてこの判決が維持されています。判決がいかにトンでもない内容であるかは、以前にも書きました。
【90】「東名あおり運転」裁判と、守大助さん・無期懲役の判決文に想うこと - Free大助!ノーモア冤罪!
Sさんのお話に出てきた“権力”については、ジャーナリストの岩上安身さんが早い段階で書いています。取材記事が掲載された『週刊ポスト』(小学館/2001年7月13日号)より、抜粋して紹介します。
「北陵クリニック」は一見したところ全国に無数あるクリニックのひとつに過ぎないが、実は、地元財界の全面的バックアップを受けた最先端医療の研究施設と位置づけられていたことはほとんど知られていない。
(中略)
92年に開業した北陵クリニックの事実上のオーナーは、FES(機能的電気刺激)治療の権威である半田康延・東北大教授。同クリニックはFES研究における東北大学のサテライト研究室として位置づけられており、表向きは個人経営ではなく、法人経営の形式をとっていた。
(中略)
「宮城県のエスタブリッシュメントは、県議会、県庁、財界、医学界もすべて、仙台一高―東北大の学閥で占められているんです。仙台一高―東北大卒の半田教授は、ライフワークであるFESを続けるために、そのコネクションをフルに利用して理事を集めていました」(元病院関係者)
(中略)
FESの研究施設としての北陵クリニックのPRに関しては、かの浅野史郎・宮城県知事も一役買っていた。浅野知事は、北陵クリニックに足を運んでFES事業を見学しているだけでなく、雑誌『NEW MEDIA』(2000年1月号)誌上において、半田教授らと座談会を行ない、「福祉は産業だ」というキャッチフレーズを掲げ、FESの産業化について積極的な発言をしている。
記事はクリニックの理事に「東北電力」、「七十七銀行」、「宮城県医師会」、「河北新報」のトップクラスが名を連ねていたとも指摘しています。まさに地元の政財界やメディアを挙げて、クリニックを応援していた様子が伺い知れます。
しかし期待とは裏腹にFESのプロジェクトは頓挫。経営難に陥ったクリニックは少しでも赤字を解消するべく終末期の患者さんを受け入れ、リストラによって医師や薬剤師の退職も相次ぎます。
こうした混乱の中で当然のように急変が多発するようになったのを、“筋弛緩剤を使った犯罪”と思い込んだ宮城県警が事件にデッチ上げてしまった…。これまでも繰り返し書いてきましたが、これが「北陵クリニック事件」の正体です。
ここから先は、私の想像で書きます…。
地元名士としては、クリニックの内情がそんな悲惨な状況だったとは自分たちのメンツ上、認めたくない。FESは国や県から補助金を受け取っている関係上、投げ出そうにも投げ出せない…。
この状況から脱したいという中、宮城県警が勝手に事件化してくれたのは渡りに船だったのではないでしょうか。実際に2001年3月、事件を口実に北陵クリニックは閉鎖され、経営体制などの問題はウヤムヤにされたのです。
大助さんとともに闘ってきた阿部泰雄・弁護団長は、こう指摘します。
「国内の医療業界を見渡しても、守大助君を犯人だと言い張っているのは東北大学の関係者しかいない。他の冤罪事件では必ずと言って良いほど検察の肩を持つ科学者がいるが、再審請求以降はこうした“御用学者”が出てこない。こうしたことも、北陵クリニック事件の“特殊性”と言えるかもしれない」
阿部弁護士の指摘する通りだと思います。しかしそれでも無罪にならない…。裁判所は一体、何を守ろうとしているでしょうか?
「守大助さんを守る東京の会」総会でお話くださったSさん。事件の真実を広めるために、Sさんのような証言者がもっと多く出てきて欲しいと思います。