Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【126】森法務大臣にも読んで欲しい、元同僚Sさんの証言(前編)

◆ゴーンさん会見に思ったこと、やはり法務省も検察もクズだった…

前回予告したとおり、今回は守大助さんの元同僚のお話を紹介します。その前に、昨晩のカルロス・ゴーンさんの会見に思ったことを書いてみます。

ネットなどで感想を見ると “何一つ新しいコトが明らかになってない” とか、不満の声もいろいろ聴かれますが、私はゴーンさんの想いがストレートに伝わった良い会見だったと思います。とくに日本の刑事司法に対する怒りは本物だと、改めて思わされました。

会見後にはCNNのインタビューで、こう語ったそうです。

北朝鮮ベトナム、ロシアから逃げる人を、正義から逃げているとは人々は思わない。私は正義から逃げたのではなく、正義を探し求めてきた”

私はよく、冤罪支援仲間と “日本の司法のヒドさを思えば、北朝鮮を批判していられない” と話しています。奇しくもゴーンさんに、同じ点を指摘されてしまいました。実際に自白を強要する取調べや、否認する限り身柄を拘束され続ける日本の “人質司法” は、国連でも “中世レベル” と批判されています。

一体誰がゴーンさんに反論できようか…と思っていたら、森雅子法務大臣が会見を開きました。

全体を通して空虚な反論でした。とくに“潔白だと言うのならば、司法の場で正々堂々と無罪を証明すべき” という、推定無罪の原則を無視したトンデモ発言に批判が集まっています。

さらに以下の部分も看過できないと思います。

我が国の司法制度が「人質司法」であるとの批判がなされたが、昨日も申し上げたとおり、我が国の刑事司法制度は、個人の基本的人権を保証しつつ、事実の真相を明らかにするために、適正な手続を定めて適正に運用されており、批判は当たらない。

一体どういう現実を見れば、こういう発言ができるのか…。

東京地検も、次席検事名義でこんなコメントを発表しています。

このような自身の犯した事象を度外視して、一方的に我が国の刑事司法制度を非難する被告人ゴーンの主張は、我が国の刑事司法制度を不当におとしめるものであって、到底受け入れられない。

“我が国の刑事司法制度をおとしめている”のは、数々の冤罪を作りながら反省しない検察自身ではないでしょうか? まあ検察が開き直るのはいつものことなので、今更驚きません。

また私は一切観ていませんが、検察に忖度したのか、TVの報道番組やワイドショーのゴーンさんバッシングも、醜いものだったようです。

いずれにせよ、今回のゴーンさんを巡る騒動を通して、法務省や検察に自浄作用を期待できないことを改めて確信しました。本当に私たちが声を上げて、変えていきましょう。

私はゴーンさんが100%正義だなんて思っていませんし、必要以上に祭り上げるつもりもありません。しかし日本の刑事司法に対する指摘には、100%同意する他ありません。

◆守大助さんの元同僚インタビュー

さて本題、「北陵クリニック」の元同僚・Sさんのお話です。Sさんは看護スタッフとして、守大助さんとほぼ同時期に勤務していました。クリニックでは大助さんと日常的に接し、事件発生当時は警察の事情聴取を受け、法廷では証言台にも立ちました。

「守大助さん東京の会」は昨年9月の総会のゲストにSさんを招き、当時体験した出来事を伺いました。その時のお話の内容を紹介します。

※お名前はご本人の希望により、匿名で“Sさん”とさせていただきます。

司会は看護師の経験がある「東京の会」メンバーが務めました。

※文章は録音をもとに編集しています。

Part1 北陵クリニックの様子

司会:守大助さんは1999年2月に、他の病院から転職してきました。大助さんの第一印はどうでしたか?

 Sさん:明るい好青年で、クリニックの雰囲気が明るくなごやかになると、皆期待しました。

司会:大助さんが勤務していた1999年から2000年にかけて、患者さんの急変が多くなったと、マスコミでも騒がれました。クリニックのスタッフはどう思っていましたか?

Sさん:確かに急変は増えました。これには背景があります。赤字を埋めるため、外部から患者さんを受け入れて入院させる経営体制に変わっていったのです。重篤な患者さんばかりで、いつ亡くなってもおかしくない方ばかりでした。入院翌日に亡くなってしまったことも多々あり、本当に職員としてはストレスなことでした。

司会:北陵クリニックはFES(※)の研究機関という側面もあったのですが、クリニックの建設費や費用がかさんでいたわけですね。それで経営難になって、お年寄りを特別養護老人ホームなどから集めて受け入れたり、重症な人ばかりが来たというのが、急変が多発するようになった原因ということですね。

FES=「機能的電気刺激」。事故や病気で障がいを負った患者の身体に電極を埋め込み、筋肉に電気的な刺激を与えることで機能を回復させる先端医療。「北陵クリニック」はFESを推進する、東北大学のサテライト研究室でもあった。しかし研究が軌道に乗らず、13億以上の負債を抱えることになった。

 さて当時、急変の原因として筋弛緩剤を使った犯罪を疑うスタッフはいたのでしょうか?

Sさん:誰1人として、筋弛緩剤による犯行を疑う人はいなかったですし、大助さんの勤務態度を疑う人もいませんでした。

司会:事件発生当時の報道で、大助さんはクリニック内で “急変の守” と言われて、急変の現場に必ずいたとされました。本当にそんなふうに言われていたのでしょうか?

Sさん:いえ、私も他のスタッフも、そんなふうに呼んでいませんでした。

司会:警察のリークを鵜呑みにしたマスコミが報道しただけで、現場ではまったく言われていなかったのですね。大助さんは2001年1月6日に逮捕されました。このことは、どのように知りましたか?

Sさん:私は前年の12月でクリニックを退職していたのですが、その日は外出していて、家族から “守大助さんって知ってる?”ってメールが来たんです。“知っているよ、どうして?” って返信したら “今ニュースで逮捕されたってなってるけど、どうなってるの?” って言われてビックリして家に帰りました。それでTVで知って…。

Part2 警察の事情聴取〜守大助の悪いコトだけ話してください〜

司会:大助さんが逮捕された後、クリニックのスタッフも警察に事情聴取に呼ばれたそうですね?

Sさん:辞めた人間も含めて全員呼ばれています。他にはクリニックに出入りしていた外部の業者さんも呼ばれたと思います。

司会:Sさんが受けた事情聴取の様子を教えてください。取調室では、何人ぐらいの刑事に囲まれたのですか?

Sさん:刑事さんは3人ほどでしたが、何人かの出入りがありました。取調室はTVで観るような狭い部屋で、大きな机がありました。

司会:事情聴取は何時間ぐらい続いて、どのようなことを訊かれましたか?

Sさん:朝から夕方まで7〜8時間、ずっと取調室の中でした。座ってすぐに刑事さんから “守大助は悪いヤツなのだから、良いことは思い出さないで、悪いことだけ話してください” と言われたので、これはおかしいと思ったのが第一印象です。

それからは仕事の内容、仕事ぶり、夜勤の様子、スタッフの人間関係など、いろいろ聴かれたのですが、同じことを何回も聴いては、私がちょっと守大助さんの良い話をすると話題を変えるという繰り返しでした。

司会:警察は最初から、大助さんを犯人と決めつけるような仕方で事情聴取を進めたわけですね。デッチ上げるのに必死な様子というのは感じられましたか?

Sさん:はい、調書を作っている間も、何が何でも大助さんを犯人にするという前提で質問をしてきたのを感じました。調書は警察の方が書きます。それで最後に読み返して、署名捺印をお願いしますと言われました。

見たら私が言ったのと全然違う内容が書かれていたので、本当に驚きました。これは誘導尋問で、何が何でも守大助さんを犯人にするためにこういうふうに書くんだ…。冤罪ってこうやって作られていくのだなと実感しました。

 司会:誘導尋問で調書が作られたというのは、具体的にどんなふうだったのですか?

Sさん:こんな感じです。

〈ロッカーについて〉

  • 刑事の質問:Sさんはクリニック内で物を隠すとしたら、どこに隠しますか?
  • Sさん:私だったらロッカーに隠します。
  • 調書に書かれた文言:守大助は筋弛緩剤をロッカーに隠していた。

〈大助さんの白衣について〉

  • 刑事の質問:守大助はナース服の上に白衣を着ていたが、なぜだと思いますか?
  • Sさん:ナース服を汚さないためだったからでしょう。
  • 調書に書かれた文言:白衣のポケットに筋弛緩剤を隠すために着ていた。

〈外来患者の急変について〉

  • 刑事の質問:外来患者に変わったことはなかったか?
  • Sさん: 点滴速度の関係で“胸が痛い!”と叫んだ患者さんがいた(この時の担当は大助さんではなかった)。
  • 調書に書かれた文言:守大助は外来患者にも犯行を行った。

署名捺印の時に私は “内容が違うので書き直してください” と、何度もお願いしましたが、刑事さんは “それはできない” の一点張りで、その押し問答で夕方までかかってしまったという状況だったんです。

狭い部屋で私はタバコの臭いが苦手だったんですけど、刑事さんはたくさんのタバコを吸い続けていました。私は具合が悪くなるし眼が痛くなるし、こんなでもう、早く帰りたいという想いで、その時だけは捺印と署名をしてしまったんですけど、今思うと、本当に悔やまれます。 

〈次回に続く〉

さて、どうでしょうか? これはとても“事情聴取”などと呼べる代物ではありません。最初から“守大助=犯人”という前提で、事件をデッチ上げる生々しい様子に、私は戦慄してしまいました。ちなみにSさんの調書は、裁判に提出されなかったそうです。

「後編」では裁判の様子などを紹介します。

 「北陵クリニック」は事件後の2001年3月に閉鎖。現在、建物は他の医療機関になっている。※ネットから画像を拾いました。

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