Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【123】守大助さんに面会してきました

◆約2年ぶりの面会

冷たい雨の降る11月26日(火曜日)、守大助さんに面会してきました。気が付いたら前回の訪問から、約2年が経っていました。

前回の面会の様子はこちら。

【30】クリスマスの日、守大助さんに面会してきました! - Free大助!ノーモア冤罪!

JR千葉駅からバスで約10分で、千葉刑務所の前に到着。受付で簡単な手続を済ませて、レンガづくりの門をくぐって面会棟へ。今回は数多くの冤罪事件を取材している、ジャーナリストのIさんと2人で入りました。

 (写真の下に続きます)

千葉刑務所の正門。1907(明治40)年に建てられた年代モノ。大助さんら受刑者が暮らす収容棟は、もっと新しい建物。写真は以前撮影したものです。

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◆第二次再審に向けて、落ち込んでいる場合じゃありません 

アクリル板の向こう側、大助さんがヒョッコリ現れました(重い足取りじゃなかったということです)。この日は休みで、明日またジャガイモを洗う作業が待っているとのことです。そして今回の最高裁の棄却決定には本当にまいっちゃったよ…!という感じで、背もたれ付きの椅子に腰掛けました。

そして開口一番「僕は大丈夫!! 落ち込んでいないからと、皆さんに伝えてください」と、笑顔で語ってくれました。棄却決定と同時に、刑務所にたくさんの励ましのハガキが届いて、中には心配する声も多かったそうです。いつもながら真っ先に支援者を気遣ってくれることに、本当に頭が下がります。

以下、大助さんが語ったことを書いてみます。面会室内の録音・撮影は一切禁止なため、これから書く内容はすべて私のメモと記憶を基にしていますので、ご了承ください。

 

「矯正担当の職員さんから “ハイ、知らせが来ているよ” と紙を渡されて、棄却決定を知った」

「紙切れ一枚の棄却決定には、本当に頭に来ている。裁判官は人を裁く番人なのに、一体何を審理したのだろうかと思う。林景一裁判長は就任した時 “先入観にとらわれず、証拠にもとづいた裁判をする” と語った。これはウソだったのか?」

「しかも林裁判長を含む、5人の裁判官全員一致で棄却というのが信じられない。せめて1人ぐらいは “これはオカしい” と疑問を抱かなかったのか? こんな状況なら裁判所なんて必要ない。無実の人は一体どこに訴えればいいのか?」

「裁判所には繰り返し、証拠開示に積極的になって欲しいとお願いしている。僕も弁護団も、無いモノを出せ!と要求しているわけじゃない。検察が証拠品として “ある” と主張しているモノを開示して欲しいと、当然のお願いをしているに過ぎない。科捜研の鑑定データにしろ、筋弛緩剤の空容器にしろ、開示してくれれば僕の無実は明らかになるのに」

「僕はこういう結果になってしまったけど、同じ最高裁第三小法廷で闘っている袴田巖さんについては、絶対にマトモな決定をして欲しい」

「受刑者仲間の反応は温かい。刑務作業中は私語は禁止なので話すことはできないが、休憩時間中に “(第二次再審を)徹底的に頑張れよ!” と励ましてくれた」

「第二次再審はより一層、弁護団と力を合わせて闘っていく。これ以上負けていられないし、今は新たな闘いに向けて落ち込んでいる場合じゃない」 

以上、大助さんが語った内容でした。

この日、大助さんはメガネをかけていました。今まで面会した時はかけてなかったので訊いてみると、はじめて面会に来る人と会う時はコンタクトをするということ。出回っている顔写真のほとんどはメガネをしていないため “イメージと違う” と驚かれないよう配慮しているそうです。

私や一緒に入ったIさんは何度か面会を重ねているので大丈夫だろうと、普段使いのメガネ姿で現れたというわけです。いろいろ気を使っているんだと、改めて気づかされました。

29歳で自由を奪われた大助さんは、来年4月で49歳になります。“40代のうちに出たい” と言い続けてきた心中をおもんぱかると、言葉も出ません。しかし大助さん本人は前向きに “闘う” と宣言しています。支援する私たちも希望だけは捨てず、引き続き声を上げていきます。

 写真が何もないので私の拙い記憶をもとに、面会室の様子を描いてみました。絵が下手な点はご了承ください。

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