Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【46】検察官こそ再審請求を!〜内田博文教授の講演録から〜

今回は「再審法」について書くと予告しましたが、ちょっと寄り道をして、また検察と再審について書きます(これも「再審法」に大いに関係あるので)。

この問題については、以前も掘り下げて書きました。

【29】何故、検察は再審開始を妨害してはダメなのか? - Free大助!

そこでは “検察は再審を妨害するのでなく、むしろ積極的に協力すべき立場にある”という問題提起をしました。実際に刑事訴訟法(第439条1項)では、こう規定されています。

 再審の請求は、左の者がこれをすることができる。

1検察官

2有罪の言渡を受けた者

3有罪の言渡を受けたものの法廷代理人及び保佐人

4有罪の言渡を受けた者が死亡し、又は心神喪失の状態に在る場合には、その配偶者、直径の親族及び兄弟姉妹

改めて驚いたのは、筆頭に挙げられているのが検察官であること。ここからも、検察が再審開始決定に抗告するなど、言語道断であることが分かります。

 では何故、検査官が再審請求を行う権利を持っているのか?私は “(本来は)公益を代表する立場だから” と、漠然とした理解しかしていなかったのですが、この疑問に明快に答えた講演録を見つけました。

内田博文・神戸学院大学教授・九州大学名誉教授が、「菊池事件」の集会でお話ししたものです。講演録のリンクを張るとともに、印象に残ったカ所を抜粋して紹介します。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/why.pdf

ハンセン病差別が生んだ死刑冤罪と言われる菊池事件の概要や、内田教授の取り組み等については、ぜひ検索してみてください!#検索キーワード=内田博文、菊池事件、再審請求、検察

 以下、講演録からの抜粋です。とくに心に刺さった部分は赤字+下線にしました。

 講演タイトル「何故、再審請求を検察官に求めるのか、その意義は」

■誤判を是正する責任は誰にあるのかということです。誤判を是正する責任は冤罪被害者およびその家族にあるのでしょうか。あるとすれば、これらの人たちが再審を請求しないとすれば、司法は誤判を是正しなくてもや止むを得ないともいえます。しかし、誤判を是正する責任が冤罪被害者およびその家族にあるというのは明らかに間違っています。誤判を犯した原因は冤罪被害者およびその家族にはないからです。

 

■検察官は被疑者の意思に関係なく一方的に起訴します。裁判所も被告人の意思に関係なく一方的に判決を言渡します。刑の執行も一方的になされます。冤罪被害者およびその家族の意思は一貫して無視されます。(中略)このように一貫して無視されてきたにもかかわらず、誤判の是正、再審請求の場合にだけ、冤罪被害者およびその家族の意思を問題とする。誤判を是正するかどうかは冤罪被害者およびその家族の意思次第だというのは不公平ではないでしょうか。

 

司法が一方的に犯した誤判であるとすれば、それを是正する責任は司法の側にあると考えるのが当然ではないでしょうか。司法の側が、その責任で自ら再審を行い、自ら誤判を是正する。そして、誤判を犯したことを謝罪し、名誉回復、被害救済を図るというのが当たり前ではないでしょうか。国民主権の下では、司法にそのようにさせるのは国民の権利でもあり、責務でもあるといえます。

 

■今、いじめが大きな社会問題になっています。いじめには、加害者、被害者、そして、傍観者という構図が見られる。そして、傍観者は第三者では決してなく、明確に加害者だということがしばしば説かれています再審請求について、司法が傍観者の立場、受け身の立場を取り続けるということは、第二の人権侵害を犯すということにならないでしょうか。(中略)これを国民、市民が許すということは、国民、市民もまた人権侵害の側にくみするということを意味します。今まで眠っていた検察官による再審請求という規定を活用させるということは、司法だけでなく、国民、市民の側の権利、そして義務でもあるのではないでしょうか。

 

■問題は、このような形で検察官による再審請求という規定を活用することが法解釈論上可能かどうかです。法解釈論上は全く問題はありません。検察庁法4条は、検察官の職務について、次のように規定しているからです。

「検察官は、刑事について、公訴を行い、裁判所の法に正当な適用を請求し、且つ、裁判の執行を監督し、又、裁判所の権限に属するその他の事項についても職務上必要と認めるときは、裁判所に、通知を求め、又は意見を述べ、又、公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う。」

 

■そして、刑事訴訟法435条6号にいう「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」があると考えた場合には再審を請求するというのも、「公益の代表者として他の法令がその権限に属させた事務を行う」に該当します。それも検察官の職務なのです。有罪にすることがけが検察官の職務ではないのです。

 

刑事訴訟法が、冤罪被害者らによる再審請求とは別の、もう一つの再審請求の道の担い手をなぜ、検察官としたのでしょうか。再審を請求するにあたっては訴訟手続きや事実誤認についての専門的知識が必要不可欠で、ときには捜査に関する能力も要求される。新しい証拠を収集する必要もある。このようなことから、検察官が適任とされたものと思われます。それ故、検察官がその「再審請求権」を行使するにあたっては、「検察の利益」に目を奪われるようなことがあってはなりません。「公益の代表者」として、国民の権利を擁護し、国民の負託に応えるという観点から、これを適正かつ公正に行使しなければなりません。国民からの再審請求の要請だということを真摯に受け止め、その再審請求権を誠実に行使しなければならないことは改めて詳述するまでもありません。

 

 以上です。いかがでしょうか?冤罪をなくすことや司法を監視することは、国民の責任でもあると言われていることに私は大変共感しました。それは図らずも、このブログを立ち上げた目的に一致しています。

 内田教授は、前回紹介した「福岡事件」の再審にも携わり、本も出している。『冤罪・福岡事件 届かなかった死刑囚の無実の叫び』(現代人文社)

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