Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【25】再審開始を求め、記者会見!

守大助さんの再審を求める署名が、

20万筆を達成しました。

(2012年2月の再審請求書提出時からの累計)

これを受け11月21日、

弁護団と全国各地から集まった支援者が、

仙台高等裁判所に要請を行った後、

仙台市内で記者会見を開きました。

(私は参加できなかったため、以下の報告は現地からのリポートを基に作成しました)

 

 最初に阿部泰雄弁護団長が事件の概要、

そもそも事件性のない冤罪であること、

裁判所は再審開始の可否について、

今年度中に結論を出す意向であることなどを報告しました。

 

布川事件」の桜井昌司さんは、

殺人事件としながら、凶器すら法廷に提出されていない。

他の冤罪事件でも検察官が証拠を隠していることが問題。

証拠を開示させ正しい判断を」と訴えました。

 桜井さんは1967年に茨城県で発生した強盗殺人、

 いわゆる「布川事件」の犯人とされ、

 無実を訴えましたが有罪・無期懲役とされ、

 29年間の獄中生活(1996年仮釈放)の後、

 2011年5月に再審無罪を勝ち取りました。

 現在は全国を駆け回り、

 守大助さんをはじめ冤罪と闘っている人々の、

 支援活動に力を注いでいます。

 

大助さんの母・祐子さんは、

「裁判所に入る前、隣の小学校の児童から、

“頑張って”と、声をかけられました。

確たる証拠もないのに犯人にされるのは、

小学生でもおかしいとわかること。

裁判所は正しい判断をして、

一日でも長く息子と暮らさせて欲しい」と、想いを語りました。

 

記者会見にはテレビ・新聞各社も集まり、

関心の高さがうかがえました。

最後に支援者の一人は、

事件発生当時の異常な報道に触れ、

「記者の皆さんは自分の目でよく見て判断して欲しい。

この事件は警察発表を一方的に垂れ流した、

マスコミによって作られたと言っても過言ではない。

冤罪を晴らす正しい報道を行うことが、

マスコミ本来の使命である、人権を守ることになる」 

と、締めくくりました。

 

以上、報告でした。

記者会見の様子はNHK、TBC東北放送

朝日、読売、毎日、河北新報の各新聞で報じられていました。

メディアも動き出しました!!

大助さんの自由獲得に向けて、

「東京の会」も頑張って活動してまいります。

引き続き、応援よろしくお願いいたします!!

 

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布川事件の桜井昌司さん(左端)、守祐子さん(中央)、その右が阿部泰雄弁護団長。

 

 

 

【24】「くり返すな冤罪!市民集会」で守大助さんのご両親が訴えました!

11月9日(木)、文京区民センターで行われた、

「くり返すな冤罪!市民集会」。

袴田事件や大崎事件、

そして守大助さんの北陵クリニック事件…、

いろいろな冤罪事件の再審が重要な局面を迎える中、

この問題を広く世の中に発信しようと、

各事件を支援する10団体が力を合わせて開催しました。

「守大助さん東京の会」も、

その1団体に名を連ねました。

 

一体何人ぐらい来てくれるだろうか…?

という不安をよそに、

会場はみるみる膨れ上がり、

最終的には約190人も集まって一安心。

 

前半は“冤罪と再審”をテーマにした2本の講演。

鴨志田祐美弁護士(大崎事件弁護団事務局長)は、

「再審開始決定に対する検察の不服申し立て」について、

水野智幸教授(法政大学法科大学院教授・元裁判官)は、

「再審と証拠開示」について、

それぞれ約40分語りました。

いずれの講演も、とても興味深いものでした。

またの機会に、ゆっくり紹介します…。

 

後半は冤罪当事者の訴え。

守大助さんのご両親・勝男さんと祐子さんが、

宮城から駆け付けました。

祐子さんの切実な訴えを紹介します。

 

“息子は等級が1段階上がりました。

仕事も食器の洗浄から食材の下処理になり、

ジャガイモやニンジン、タマネギの下ごしらえをしています。

16年ぶりに使う包丁の力加減がわからず、

乱切り、銀杏切りに悪戦苦闘していると、

笑顔で話していました。

本当なら私が包丁を手に取って、直接教えてあげたい…(涙)。

息子は絶対に人を殺めていません。

どうか息子を助けてください。”

※大助さんの等級については、このブログの【22】で紹介しています。

 

そして「東電OL殺人事件」のゴビンダ・マイナリさんも、

ネパールから駆けつけました。

2012年11月に再審無罪を勝ち取り、

妻のラダさんとともに5年ぶりの来日です。

“15年間自由を奪われた後遺症で、

未だに落ち着いて眠ることができない。

私のように冤罪で苦しむ人を、

もう2度と出さないで欲しい”

という切実な訴え、

日本の警察、検察には届いているでしょうか?

(絶対に届いてませんよね!…(怒))

 

盛況のうちに幕を閉じた集会。

この流れを何としても、

各事件の再審無罪獲得という結果につなげたいです。

 

ちょっと反省も。

テレビや新聞も取材に来てくれましたが、

やはりというか…注目はゴビンダさんに集中していました。

翌日の報道をご覧になった方も多いかと思います。

守大助さんについても、

もっと注目を引きつける仕組みづくりが出来なかっただろうか…?

 

2001年1月に守大助さんが逮捕された時、

朝日新聞をはじめとする新聞やテレビは、

大助さんを凶悪犯人と決めつけ、

センセーショナルな報道を繰り広げました。

マスメディアは警察、検察とともに、

冤罪デッチ上げに加担したのです。

ならば今度は正しい報道によって、

大助さんの再審開始を後押しして欲しい!

 

メディアを巻き込んだ運動をどう作り上げるか、

そのために支援者としてやるべきことは…?

引き続き、取り組みを進めていきます。

 

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守祐子さん(手前)と勝男さん。もう訴えをしなくていいように、早くせねば…。

 

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ダンディーな雰囲気のゴビンダ・マイナリさんと、妻のラダさん(左)。

 

 

 

 

 

 

【23】千葉刑務所『千葉矯正展』に行ってきました!

11月13日の日曜日

守大助さんが収監されている千葉刑務所で開催された、

『第20回 千葉矯正展』にはじめて行ってきました。

敷地の一部が一般公開され、

刑務作業製品の展示即売をはじめ、

いろいろなイベントが開催されていました。

 

人数限定の施設見学も行われ、

一般公開されたエリアのさらに奥の、

受刑者が生活するエリアの一部を見学できます。

9時40分に到着した時点で午前の部は〆切。

360人の枠が一杯になっていました。

昼に配布される午後の部(240人)の整理券を取るため、

1時間以上前から並ぶことに。

聞くところによると、矯正展の一番人気だそう。

列の2番手に並んだこともあり、無事整理券をゲット!

 

そして職員さんの説明を受けた後、施設見学へ。

一般開放エリアとを隔てる高い塀の鉄扉(下の写真参照)を入ると、

荷物の一時預かり所。撮影や録音は禁止されており、

ここでカメラや携帯・スマホ、録音機を預けます。

(なのでここから先の写真はありません…ご容赦ください)

240人を20人ぐらいずつの班に分けて、

2列に並んで前後を職員さんに挟まれて見学の始まりです。

 

以下、見られた施設を回った順番に紹介します。

◆金属工場

 自動車の洗車機など、小さな金属部品を製造。

 旋盤機などが整然と並び、いかにも“工場”という雰囲気。

◆浴場

 白いタイル基調で、普通の銭湯のように清潔感ある空間。

 1回40名が入浴でき、入浴時間は15分。

 入口に注意事項が詳細に列挙されており、

 その最初に“交談は厳禁”と赤字で書かれていた。

 他に60名が入浴できる浴場もあるとのこと。

◆書類工場(建物外観のみ見学)

 政府で使う書類、名刺などを作っている。

 へ〜と思った。

◆紙工場

 高齢者や障害を持った受刑者がメインの工場。

 (千葉刑務所の受刑者の平均年齢は53.2歳、高齢化が進んでいる)

◆革工場

 紳士靴や剣道の道具を製造。

 ワックスのような(?)いい香りがした。

 守大助さんも今年上旬まで靴職人として勤務。

 ここで働いているのは刑期10年以上や無期刑の受刑者。

 そのため熟練工が多い。

 (千葉刑務所の受刑者の65%が無期刑)

◆炊事場(建物外観のみ見学)

 アイボリーの外壁の真新しい建物。

 守大助さんは現在ここで、食材の下ごしらえに奮闘。

◆運動場

 周囲を高いコンクリートの壁で囲まれている以外は、

 ごく普通の砂地のグランド。

 毎日30分の運動が行われる。

 年1回の運動会を心待ちにしている受刑者も多い。

 

以上です。見学時間は15分ぐらいでした。

複数の建物がコンクリートの通路で結ばれており、

ちょっと大きな学校の中を歩いているような印象でした。

ただしすべての建物の窓には格子状のフレーム。

(漫画などに出るような大げさなモノではありません)

高い柵の上には有刺鉄線が張られており、

ここが外部と隔離された空間であることを、

思い知らされます。

実際に罪を犯したならまだしも、

無実でありながらここで過ごす心境は…。

収監から9年、一刻も早く大助さんを出さねば!

と決意を新たにした施設見学でした。

 

最後に大助さんが塀の中で詠んだ詩を紹介します。

今日、自分が見た風景、内側からはこんなふうに見えるんです。

 

『窓の外』(2011年2月)

部屋の窓には

鉄格子が付いている

外を見ようと思っても

一番に目が付くのは

鉄格子

青空よりも

曇り空よりも

雨よりも

一番に目が付くのは

鉄格子

早く鉄格子のない

生活がしたい

僕はいつも窓の外を見ている

鉄格子のない外を見ている

今日も明日も…

部屋の窓には

鉄格子が付いている

 

一般開放されたエリアの奥にそびえる壁。右下の鉄扉から施設見学へ。

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【22】守大助さんの等級、上がりました!

 約1ヵ月ぶりの更新となってしまいましたが、

ちょっと嬉しいニュースを。

千葉刑務所での守大助さんの等級が、

この10月に「3」から「2」に上がりました。

これにより面会できる回数は、

月3回→5回に、

守大助さんが手紙を発信できる回数は、

月5通→7通となりました。

 

炊事班での刑務作業も、

重たいヤカンを持っての配膳作業から、

食材の下処理になりました。

タマネギの皮を剥いたり、

ジャガイモの芽を取ったり、

包丁を握りながら奮闘しています。

 

以前にも書きましたが、患者さんの点滴に、

毒物の筋弛緩剤を入れるような人に、

大切な食べ物を扱う作業を任せるでしょうか?

刑務所サイドも、守大助さんが無実であることを、

わかっているのではないのか…?

 

今回の等級アップは嬉しいニュースですが、

「おめでとう」という言葉をかけるのは、

再審無罪を勝ち取るまでおあずけです。

現在争っている再審請求の即時抗告審について、

仙台高等裁判所は年度内に結論を出すと言われています。

 

 そして守大助さんは、

差し入れてもらった看護の本を読んだり、

再び白衣に袖を通すという強い決意を以て、

自由になった日に備えて勉強しています。

 

無期懲役囚に聞き取りを行った、

心理学者のレポートを読んだことがありますが、

ほとんどの場合、

将来に絶望して無気力になっているそう。

しかし守大助さんは違います。

自分は無実で、絶対に塀の外に出る!

という希望があるからこそ、

しっかり毎日を過ごすことができるのでしょう。

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「僕はやってない!」の叫びを、支援者として社会に広げよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【21】想いをともに!「国民救援会・東京都本部」大会に参加して

昨日10月1日は「守大助さん東京の会」の母体である人権団体、

日本国民救援会・東京都本部」の大会でした。

同大会は年1回開催され、

大会プログラムの中には

さまざまな冤罪事件や弾圧事件の関係者が、

裁判の状況を語ったり、

支援強化を訴える時間が設けられています。

 

「守大助さん東京の会」も、

毎年そこに参加してきました。

これまでの訴えは、

事務局長の私が行ってきましたが、

今回はじめて一緒に活動しているIさんが壇上に立ち、

事件の概要、大助さんが無実である理由、再審にかける想いなど、

とても分かりやすく、熱い想いとともに訴えてくれました。

 

 Iさんは旅客機の整備士として、空の安全・安心を守ってきました。

しかし親会社による会社潰しと不当解雇によって職を失い、

解雇撤回を求めて裁判を闘ってきました。

結局、この裁判は負けてしまいますが、

“自分は今までいろいろな人に支えられてきた。

今度は自分が支える側に”と、

現在は新しい仕事に就きながら、

守大助さんの支援活動に取り組んでいます。

想いを共にする仲間の存在は、とても心強いものです。

Iさんのような存在を一人でも多く作ることは、

守大助さんの自由を勝ち取るカギになります。

 

世の中的には冤罪事件の支援というのは、

まだまだマイナーです。

“何故、犯人かもしれない奴の支援なんかするの?”という声も、

よく聞きます。

こういうことを言う人は、

“警察が逮捕し、検察が起訴し、裁判所が有罪にしたのだから間違いない”

という幻想にしがみついているに過ぎません。

この常識の壁をどうやって乗り越え、

世の中に共感の環を広げていくか……、

「東京の会」はチャレンジを続けます。

 

 Iさんをはじめ会場の様子を撮ったのですが、写った皆さんの承諾を忘れたため写真ナシでお届けします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【20】これは言わずにいられない〜徳島県警の誤認逮捕〜

気が付けば、1ヵ月近く更新が滞っていました。

ブログは何よりも続けるのがタイヘン…

というのを身にしみて感じています。

“いい記事を書かなきゃ!”という気負いも、

更新を滞らせた原因なので、

これからは少し気軽に(もちろん真剣に)

日頃の支援活動の中で思ったことを綴っていきます。

 

一昨日に報道された徳島県警の誤認逮捕。

コンサートのチケット転売にからむ詐欺で、

真犯人の少女がなりすました女性を、

19日間も拘留したというものです。

この間 “お前がやったんだろう!” と、

ひたすら自白を強要する取調べが行われたことでしょう。

女性は本当によく否認を貫いたと思います。

 

この女性の口座にお金が降り込まれたことが、

警察が疑いを持った発端だったようですが、

“詐欺がわざわざ自分の口座にお金を振り込ませるだろうか?”

というそもそもな疑問を、

どの捜査員も持たなかったのでしょうか?

 

 一度 “こいつがアヤしい” と思い込んだら、

ひたすら取調室に監禁して自白を強要し、

証拠をデッチ上げてでも犯人に仕立て上げようとする。

それが警察という組織。

守大助さんのケースもまったく同じです。

大助さんの時も患者さんのカルテを調べ、

担当医から聞き取りを行えば、

筋弛緩剤による凶悪犯罪などでないことは、

すぐにわかったはずです。

しかし宮城県警は法医学者の

“筋弛緩剤が使われた犯行の疑いがある”

という情報提供を鵜呑みにし、

“守大助がアヤしい”という思い込みだけで、

基本的な裏付け捜査も行わずに逮捕しました。

以前にも書きましたが、

県警がカルテを押収したのは逮捕の10日後でした…。 

 

思い込みがいかに恐ろしいモノで、

冤罪の温床になっているかについては、

以前このブログでも紹介しました。

 

 

残念ながら日本の警察には冤罪を防止するどころか、

とにかく自白させれば良いという文化が、

(とても文化と呼べるシロモノではありませんが)

いまだに蔓延しているようです。

たとえば愛媛県警の「被疑者取調べ要項」。

10年ほど前に同県警のパソコンから誤って流出し、

各地の弁護士会などから大変な非難を受けました。

 

13項目ある内容を一部抜粋すると…。

◆粘りと執念を持って「絶対に落とす」という気迫が必要。

 調べ官の「絶対に落とす」という、自信と信念に満ちた気迫が必要である。

◆調べ室に入ったら自供させるまで出るな

 被疑者の言うことが正しいのではないかという疑問を持ったり、

 調べが行き詰まると逃げたくなるが、その時に取調べ室から出たら負けである。

◆被疑者は、できる限り調べ室に出せ

 否認被疑者は朝から晩まで調べ室に出して調べよ。

 (被疑者を弱らせる意味もある

 

どうでしょうか?

原文そのままに引用・紹介しました。

本当に冗談ではなく、

“被疑者を弱らせる意味もある”、ハッキリ書かれています。

この要項はベテラン捜査官が、

警察学校での講義のために作成したものだそう。

こんな教育を受けて犯罪捜査の現場に出れば、

一体どんなことになるでしょうか…?

 

 

こんなオカしな警察の在り方を正すには、

まず私たち市民が声を上げること。

守大助さんの再審無罪を勝ち取ることは、

日本の刑事司法を変える運動でもあります。

 

これが愛媛県警の「被疑者取調べ要項」。ネットで検索したら出てきました。

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【19】自分は何故、冤罪支援をするのか?

今回は私がどうして守大助さん、

ひいては冤罪の支援にかかわるようになったのか?

を書いてみたいと思います。

世の中には “何でそんなコトしてるの?” と、

奇異の目で見る向きも少なくないので、

パーソナルなことではありますが、紹介しましょう。

 (冤罪支援の定義は、このブログの【2】を参照)

 

ハッキリしたきっかけは、私自身も覚えていません。

ただ物心付いた頃には、

“濡れ衣を着せられることって、イヤなことだろうなあ”

という感覚を持っていたように思います。

それが決定的になったのは、

小学5年生の時(1980年)に観た1本のドラマでした。

タイトルは『帝銀事件 大量殺人 獄中32年の死刑囚』テレビ朝日

戦後最大の冤罪事件のひとつに数えられる「帝銀事件」を、

綿密に再現した2時間ドラマです。

(この事件については、またの機会に紹介したいと思います)

そこで田中邦衛が演じる鬼刑事が、

取調室で平沢貞通さん(演:中谷昇)に拷問を加え、

自白を迫るシーンに大変な戦慄と憤りを覚えました。

それから7年後、私がちょうど大学生になった年に、

平沢さんはついに再審無罪がかなうことなく、

八王子医療刑務所で獄死しました。95歳でした。

司法権力とは、一体何なんだ!”

言葉にならない衝撃と怒りで身震いする想いでした。

 

10代の私はマスメディアにも、強い不信感を抱きました。

警察に逮捕された時点で容疑者を呼び捨てにし、

(○○容疑者と付けるようになったのは、1989年からでした)

冤罪の可能性だってあるのに、

あたかも極悪人のように報道する姿勢に、

嫌悪感を覚えました。

1980年代ぐらいまでは、

“否認しているので警察は全面自供に追い込む方針です”

なんていう報道も平然となされていました。

 

しかし私は弁護士を志すわけでもなく、

冤罪に関心を払いつつも普通に社会人になり、

何もしない日々が10年以上続きました。

最初に就職した出版社では、

代用監獄や冤罪の企画を出したものの、

“売れない”と却下されもしました。

 

そんな時に報道で知ったのが、

大助さんの「北陵クリニック事件」でした。

一人の青年を “恐怖の点滴殺人魔” と決めつけた、

センセーショナルな報道には、

薄気味悪さと嫌悪感を覚えました。

 

“この人、もしかして無実じゃないのか?”

と直感的に思っていたところ、

ザ・スクープテレビ朝日や『週刊ポスト小学館など、

冤罪の可能性を冷静に検証するメディアも現れました。

 

ちょうど2000年代の前半は、

痴漢冤罪が社会問題として顕在化した時期でもありました。

何も悪い事をしていないサラリーマンが、

ある日突然 “犯罪者” にデッチ上げられる…。

冤罪は電車の中という身近な空間に存在し、

自分にだって無関係の出来事ではない。

これは何か行動せねばならない!と、

再認識させられました。

 

そしてたまたま縁あって入会したのが、

冤罪支援などを行う人権団体「日本国民救援会」。

 (このブログの【5】参照)

すると何と、気になっていた大助さんの事件も、

支援しているというではありませんか。

2012年の秋には千葉刑務所を訪れ、

初めて大助さんに面会をしました。

そして同じ志を持った活動仲間から、

「東京の会」を立ち上げようと誘われ、

二つ返事で事務局長を引き受け、現在に至ります。

 

大体、以上のような経緯です。

繰り返しになりますが、冤罪は決してヒトゴトではありません。

いつ自分自身、または大切な誰かが巻き込まれるかもしれません。

警察、検察、裁判所(最近は良い判決も見られますが)に自浄作用を期待するのは、

現状ではムズカしいようです。

私たち生活者が、声を上げて何とかしていくしかありません。

刑事司法の専門知識においては、

弁護士などのプロにはかなわないでしょう。

しかしそれは、少しずつ勉強して知識を付ければ良いことです。

大切なのは “人として、こんなこと許していいの?” という、

“司法の素人” ならではの素朴な感覚ではないでしょうか。

 

帝銀事件は来年で発生から70年。昨年には第20次再審請求がなされた。

心理学的な見地からポイントをまとめた書籍『もうひとつの帝銀事件』(講談社)も発売。

著者の浜田寿美男さんは刑事司法と心理学の第一人者。守大助さんの再審請求で意見書も書いている。

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