【125】“急変の守”というフェイク・ニュース
◆“2001.1.6” をから、時計は止まったまま
昨日の1月6日は、仕事始めだった方も多いと思います。
19年前の2001年1月6日、当時29歳だった守大助さんは宮城県警に逮捕されました。この日の朝 “患者の急変のことでクリニックのみんな(スタッフ)に話を聞いているので、来て欲しい” と、アパートを訪ねてきた刑事の言葉を信じてパトカーに乗って宮城県警本部に向かった大助さんは、今年の4月に49歳…。まさか20年も塀の中で過ごすことになるなど、想像すらできなかったでしょう。
ちょうど1年前にも紹介しましたが、大助さんが獄中で綴った詩をもう一度アップします。タイトルは『止まったままです』(2015年8月)。
2001年1月6日から今日まで
止まることなく月日は流れている
29歳だった私は 44歳になった (※2015年当時)
30代は社会での生活はできなかった
40代は社会復帰すると信じている
歳は取ります 時間は過ぎます
でも私の心の中の時計は
2015年になっても
2001年1月6日で止まったままです
歳は取ります 時間は過ぎます
でも私の心の中の時計は
止まったままです
この詩から5年近くを経た現在、40代の社会復帰も叶わない状況になった大助さんは、さらに歳を重ねようとしています。
支援者である私にとって “1.6” という数字は、東日本大震災の “3.11” や、アメリカ同時多発テロの “ 9.11” と同等の重みを持っています。これは決して大げさな表現ではありません。冤罪によって1人の人間の自由が奪われ、尊厳が踏みにじられることは、大量の犠牲者を出す災害やテロにも劣らぬ悲劇。少なくとも私は本気で、そう思っています。
9.11があったのも2001年。その延長線上でアメリカが起こした戦争も、発端は “イラクに大量破壊兵器がある” という、デッチ上げの “冤罪” でした。まさに狂気じみたフェイクとともに幕を開けた21世紀。やって来たのは『2001年宇宙の旅』で描かれたような人類の革新でなく、ディストピアとしか呼べない未来でした。
そして2020年、またアメリカが中東で戦争を始めようとしています。しかし世界各地で、この蛮行を止めようと人々が声を上げていることに微かな光明を見出せそうです。未来を変えるのも私たち。「守大助さん東京の会」も日本のブラック司法を変えるため、引き続き声を上げていきます!!
◆元同僚スタッフの証言“急変の守…?はじめてききました”
さて、大助さんが逮捕された2001年1月6日からの数週間、マスメディアは宮城県警のリークを鵜呑みにして大助さんを犯人と決めつけ、これでもかと報道合戦を繰り広げました。
当時の私は報道がセンセーショナルにエスカレートするほど“これは冤罪じゃないか?”と、疑念を深めていきました。そしてマスメディアという権力が寄ってたかって1人の人間を凶悪犯に仕立て上げる様に、嫌悪感を抱きました。
例えば、1月9日の朝日新聞朝刊。
「えっ、また守さんなの?」(中略)患者の担当が守容疑者になったとたん、容態が急変する。「急変の守」ーー。関係者によると、守容疑者がいない時に、こんなあだ名で呼んでいた人もいたという。
本当に“急変の守”なんて呼ばれていたのでしょうか?
“いえ、私も他のスタッフも、そんなふうに呼んでいませんでした。大々的に報道されて、はじめて知りました”
キッパリ否定するのは、北陵クリニックで看護スタッフとして、大助さんと2年近く一緒に働いていたSさん。現場で身近に接していたスタッフが “急変の守なんて聴いたことがない” というのです。これは完全なフェイク報道でしょう。大助さんを凶悪犯にデッチ上げたい県警のリークが、そのまま報じられてしまったに違いありません。そもそも記事中の “関係者” っていうのがアヤシいですよね。
「守大助さん東京の会」は昨年の9月、Sさんを招いて当時のお話を伺いました。次回、その内容をアップします。冤罪がデッチ上げられていく過程が、手に取るように分かると思います。今回は予告まで…ではまた、よろしくお願いします。
2001年1月9日『朝日新聞』朝刊。このフェイク報道が作られた過程も、探ってみたいですね。