【148】検察OB意見書に感じた薄気味悪さ
◆しつこいようですが“検察=正義”じゃありません
「検察庁法改正案」、先週の採決は見送られました。“#検察庁法改正案に抗議します”と、たくさんの人が声を上げた成果だと思います。
しかし“アベ政権は許せない!!”という風潮が高まるあまり、その反動で“検察=正義”という誤った認識が広がってしまわないか、心配しています。
冤罪という観点から見ると、検察は自ら法治国家を破壊しているとしか思えない数々の蛮行を行っています。それに歯止めをかけないと大変なことになる…。そんなことを前回・前々回の2回にわけて書きました。
【146】#検察の不正義に抗議します(1) - Free大助!ノーモア冤罪!
【147】#検察の不正義に抗議します(2) - Free大助!ノーモア冤罪!
◆検察OB意見書、気味悪すぎます
先週末には検察OBが、法案改正に反対する意見書を法務省に提出しました。その全文が公開されています。「ハフポスト」(朝日新聞)のリンクを張っておきます。
意見書の内容は、おおむね好感をもって迎えられている感じがします。この問題に積極的にツイートしてきた女優の小泉今日子さんは相当感激したらしく、こんなツイートをしています。
泣いて背筋が伸びたそうです。もしこの感想が平均的な世論だとしたら、状況は相当に危ういです。
私の感想は真逆で、吐き気がするほどの薄気味悪さを覚えました。では何が薄気味悪いのか、考えていきましょう。
◆改めて意見書を読み返して問題点を考えてみる
◆大企業に天下りした人に“政財界の不正”と言われても…
意見書は8つの章で構成され、最後に14名の検察OBが名を連ねています。全文の紹介は上記リンクの記事にゆずって、気になったヵ所を抜粋し、とくに「!?」と思った部分を赤字にしました。
検察官は起訴不起訴の決定権すなわち公訴権を独占し、併せて捜査権も有する。捜査権の範囲は広く、政財界の不正事犯も当然捜査の対象となる。捜査権をもつ公訴官としてその責任は広く重い。時の政権の圧力によって起訴に値する事件が不起訴とされたり、起訴に値しないような事件が起訴されるような事態が発生するようなことがあれば日本の刑事司法は適正公平という基本理念を失って崩壊することになりかねない。
14名の検察OBを代表して意見書を提出した1人が、元検事総長の松尾邦弘さん。この方は2006年に検事総長を退任して弁護士登録。同時にいろいろな企業の監査役や法律顧問を歴任してきました。ざっと調べてみると…。
旭硝子(現AGC)、トヨタ自動車、三井物産、損害保険ジャパン、小松製作所、ブラザー工業、日本取引所グループ、テレビ東京HD、セブン銀行、エイベックス・グループHD(現エイベックス)
これは秘密情報でも何でもなく、検索すれば普通に出てきます。松尾さんに限らず、歴代の検事総長は名だたる大企業に天下りしています。まだ全て調べ切れていませんが、リスト化したらスゴいことになりそうです。
“政財界の不正事犯”を捜査するという立場をわきまえているなら、まずはこうした大企業との関係を断ち切るべきじゃないでしょうか?
“日本の刑事司法は〜崩壊することになりかねない”に至っては、言葉を失うしかありません。このブログで再三書いてきたとおり、すでに日本の刑事司法は崩壊しています。他ならぬ、冤罪を作り続ける検察によって…。
◆「ロッキード事件」は本当に正義の闘いだったのか?
安倍総理大臣は〜(中略)〜フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕(ちん)は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿(ほうふつ)とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる。
「フランス革命」の原因を作ったと言われる王のセリフを、わざわざ引用しています。 フランス革命は市民革命と言われ、自由を求める市民が王政を倒したという歴史的評価がなされています。
安倍政権に対する怒りが高まったのに乗っかって “検察は市民の味方=正義” という印象操作をしようという意図があるのではないか? うがった見方をしてしまいます。
かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。
この後「ロッキード事件」における検察の活躍を自画自賛した文章が、これでもか!というぐらいに続きます。
私は「ロッキード事件」についてはまだまだ不勉強で、多くを語れません。しかし “正義の検察が、巨悪の田中角栄・元首相を倒した” という単純なストーリーでとらえて良いのでしょうか?
この事件は裏でアメリカが糸を引いていたとか、いろいろなことが言われています。それらを単なる陰謀説で片付けて良いのか、私にはよくわかりません。
そして私がもっとも薄気味悪く感じたのが “広くは国民大多数” というくだり。検察は世論の圧倒的な指示を受けていたと言いたいのでしょう。
ではその“世論”はどうやって形成されたのか? 検察自らがメディアに情報をリークして、自作自演で作り上げたことはないでしょうか? 私は当時のテレビや新聞報道をよく知らないので断言できませんが、大事件になるほど捜査当局によるリークが行われるといいます。
私が支援に関わっている守大助さんの「北陵クリニック事件」も、逮捕直後から警察のリークによる洪水のような報道がなされました。これにより“守大助=恐怖の筋弛緩剤点的魔を許すな!”という “世論” が形成されました。
これは他の冤罪事件でも、よくあるパターンです。そんな警察・検察のやり方を知ってしまった私としては、この意見書を額面どおり受け取ることはできません。
◆後輩検事の前に、冤罪犠牲者のトラウマや苦しみを知れ!!
しかし検察の歴史には、捜査幹部が押収資料を改ざんするという天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件もあった。後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。それが今回のように政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないかとの懸念もある。検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。
この事件が「障害者郵便制度悪用事件」(2009年)のことを指すのは、間違いありません。
厚生労働省元局長の村木厚子さんを無理矢理有罪にするために、大阪地検特捜部の検事が証拠のフロッピーディスクを改ざん。メディアも大々的に報じて、検察を揺るがす一大スキャンダルとなりました。
そして事件を機に検察改革の機運が高まりましたが、その直後に起きた東日本大震災や法務官僚の抵抗、さらには民主党から自民党への政権交代が重なり、トーンダウンしてしまいました。
では “天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件”が起きてしまった原因は、何だったのか? 一体何が、担当検事を証拠の改ざんにまで追いつめたのか?
その背景には “検察のメンツにかけて、起訴した以上は何としても有罪にしろ!!” という、組織的なプレッシャーがあったのではないかと思います。
もし、“この起訴には無理があります。この人は無罪です” と言える空気が組織内にあれば、こんな不祥事は起こらなかったでしょう。
この部分を反省もせずにスルーして、“政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないか”というのは、問題のスリカエにしか思えません。
検察組織の内側がどのような雰囲気かについては、元検事で現在は弁護士の市川寛さんの著書『検事失格』に詳しく書かれています。
市川さんが現役の検事だったとき、ある疑獄事件で同じような立場に追い込まれた経験が生々しく描かれており、検察の体質を知る必読の1冊です。
“後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し”に至ってはヒドすぎて…というか怒りのあまり、反論の言葉さえ見付かりません。
検察によって苦しめられている冤罪犠牲者がたくさんいることを、この検察OBたちは認識しているのか?「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝さん、「飯塚事件」の久間三千年さんのように、生命まで奪われた人がいることを、どう思っているのか? ようやく死の恐怖から解放された袴田巌さんを、再び拘置所に連れ戻せと主張しているのは、どこの誰なのか?
冤罪犠牲者が抱えるトラウマや苦しみは、後輩検事の比ではないハズです。
その程度のことを理解する想像力さえ持ち合わせていない人たちに、エラそうに大義を語る資格があるのか?
この検察OBたちが本当に、純粋な正義感に突き動かされて今回の行動に出たのならば、ぜひ現在の検察に対しても苦言を呈して欲しい。
無罪判決に対する不服申立てはやめよ! 再審開始決定に対する抗告はやめよ! 証拠を隠すような卑怯なコトはするな!
こんな声を、検事総長以下現役の検察官に対して投げかけてほしいと思います。しかし今回の意見書を読んだかぎり、その可能性は限りなくゼロに近い気がします…。
5月15日、意見書を提出するため法務省に入る松尾邦弘さん(元検事総長・右)と、清水勇男さん(元最高検察庁検事)。 (写真は朝日新聞)