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「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【117】11年前の今日、冤罪「飯塚事件」久間三千年さんの死刑が執行されました

◆“10.28”を絶対に風化させるな!

仕事の合間に、ブログを更新しています。どうしても今日の早いうちに、書いておきたいことがあるからです。

今日、10月28日は「飯塚事件」の死刑が執行された日です。ちょうど11年前(2008年)、福岡拘置所久間三千年(くまみちとし)さんが殺されました。

一環して無実を訴えた末の処刑でした。刑場へ赴くときの久間さんは一体何を想い、どんな様子だったのか…? 想像するだけで胸が締め付けられます。

飯塚事件」の概要と冤罪のポイントについては、以前の記事を参照ください。

【100】乳腺外科医の無罪判決と「北陵クリニック」「飯塚事件」 - Free大助!ノーモア冤罪!

現在は再審を目指して、久間さんのご遺族と弁護団が奮闘しています。

〈事件発生〜死刑確定〉

  • 1992年2月20日 福岡県飯塚市で登校途中の小学1年生の女児2名が行方不明
  • 1992年2月21日 同県甘木市(現・朝倉市)の崖下で2女児の遺体発見
  • 1994年9月23日 久間さん逮捕、66日間の取調べで、一度も自白せず
  • 1995年2月20日 福岡地裁、第1回公判。久間さんは全面否認
  • 1999年9月29日 福岡地裁(第一審)死刑判決
  • ※徳田靖之弁護士が弁護人に加わる
  • 2001年10月10日 福岡高裁(第二審=控訴審)死刑判決
  • 2006年9月8日 最高裁(第三審=上告審)死刑確定
  • 2008年10月28日 死刑執行

〈再審請求〜現在〉

この通り、地裁、高裁で再審請求が退けられ、現在は最後の望みをかけて最高裁で闘っています。守大助さんの「北陵クリニック事件」と同じ状況です。「北陵クリニック事件」も2018年2月、仙台高裁で即時抗告が棄却されました。まさに時期を同じくして、最高裁での闘いにのぞんでいるわけです。

◆生命続くかぎり闘う…徳田靖之弁護士のお話

10月はじめに「飯塚事件弁護団共同代表を務める徳田靖之弁護士の講演を聴きました。徳田弁護士は、まさに身を削る想いで、久間さんの無念を晴らすべく再審を目指して闘っています。約1時間の講演内容は本当に衝撃的で、胸が詰まるものでした。今回はその一部、死刑が執行された時のお話を紹介します。

※文章はメモを基に作成しています。文責はブログ執筆者の私にあります。

最高裁で上告が棄却されて死刑が確定した後、福岡拘置所に久間さんに面会に行きました。ここで “弁護士を全面的に信頼しています” と、久間さんから再審を依頼された。それが2006年の9月のことでした。

その時点で私は、再審事件の弁護の経験がありませんでした。まったくはじめてのことです。そこで自分なりに法律の教科書をひもとき、あるいは再審事件をやられた弁護士の資料を読む中で、有罪となった事実を覆すに足りる明らかな新証拠を見つけないと、再審請求をできないことを知った。それを必死になって探しました。

そうするうちに、2年という年月が経過してしまいました。

そこで私は主任弁護人と一緒に福岡拘置所を訪ねて、久間さんに死刑確定から2年が経過したのですが、私たちの準備ができていない。何とかして有力な新証拠を見つけたいと思っているのだけれども…という話をしました。

久間さんは獄中でいろんな資料を調べて、日本全国で死刑囚がどれぐらいいるかというリストを作っていた。そして “弁護士さん安心してください。私より先に死刑が確定している人がまだ20人近くいるので、私の順番が回って来るにはまだ時間がある。だからゆっくり構えて、しっかりした新証拠を出してください” と、逆に私を励ましてくれた。

その1ヵ月後、マスコミの記者から法務省が会見を開くという連絡が入りました。“法務大臣が会見で死刑執行を発表するようですが、徳田さんに何か連絡は来てますか?” というんです。 

“いいえ何も来ていません”と、びっくりして久間さんの親族にも電話をしたら、やはり連絡は来ていないと。そして午後になって、同じ記者から久間さんの死刑執行の発表だったと言われた。

法務省は、久間さんが再審請求の準備をしているということを十分に知った上で、死刑を執行しました。もっと早く再審請求をしていれば…私たちの怠慢が、執行を許してしまったと思わざるを得ませんでした。

死刑が確定している人は、国によって命を奪われるという崖っぷちに立たされていることを、蔑ろにしてしまった。これは弁護人として、やってはならない過ちです。

本当に、いたたまれない気持ちしかありません。そんな私たちに、久間さんのご遺族は “亡くなった主人は先生方を本当に信頼していました。ですから無念を晴らすためにも再審請求をして欲しい” と、助け舟を出してくださいました。 

この後、徳田弁護士は冤罪のポイントを丁寧に掘り下げ、 “生命が続く限り、久間さんの無念を晴らすために闘う” という決意で、講演を締めくくりました。この続きは改めて、じっくり書きたいと思います。 

面会から1ヵ月後の、まさかの死刑執行。“モタモタせずに再審請求をしていれば、死刑執行は阻止できたかもしれない” という無念の想いがどれほど重いものか…私にはちょっと想像が付きません。「飯塚事件」の雪冤、絶対に果たして欲しいです。(記事は写真の下に続きます)

徳田靖之弁護士。10月6日、カトリック清瀬協会で行われた公開学習会「死刑とえん罪」で。

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◆久間さんの死刑執行に秘められた法務省の狙い

改めて振り返ると、久間さんの死刑が確定したのが2006年9月で、執行が2008年10月。通常、死刑の確定から執行までは3年〜6年ぐらい、10年以上執行されないケースもあります。確定から “たった2年” の執行は、本当に異例なことです。

なぜこんなことになったのか…? 推測されるのが「足利事件」の存在です。この事件は、1990年に栃木県で発生した幼女誘拐殺人事件。翌年に幼稚園バスの運転手だった菅家利和さんが逮捕され、無為懲役が確定します。

菅家さんを犯人とした根拠は、DNA鑑定でした。しかし2000年代に入ると鑑定技術は飛躍的な進化をとげ、1990年代当時の鑑定方法は精度が低く、信用に値しないことが明らかになります。

そこで2009年、菅家さんのDNAを再鑑定したところ、犯人でないことが明白に。これが決めてとなって2010年に再審無罪を勝ち取りました。足利事件は、世の中が「冤罪」や「再審」に注目するターニングポイントとなった事件でもあります。

そして「飯塚事件」で久間さんを犯人としたのも、足利事件と同一の「MCT118型」と呼ばれる鑑定方法。しかも鑑定を行った時期、鑑定人まで同じだったといいます。このため “東の足利、西の飯塚” などと、称されることもあります。

久間さんの死刑が執行されたのは、まさに足利事件の再審に向けて、DNA再鑑定が行われようとしていた時期でした。

“似たような事件が2つも立て続けに再審無罪になったら、司法のメンツが丸つぶれだ…”。恐らく法務省はこのように考えて、久間さんの死刑執行を急いだのでしょう。しかも足利事件無期懲役に対して「飯塚事件」は死刑事件。死刑制度を維持したい国として、冤罪の発覚を隠そうという狙いもあったのだと思います。

久間さんの死刑執行に関わった当時の法務官僚の現在は、ライターの片岡健さんが追跡取材しています。ぜひ、こちらのリンクをお読みください。

www.data-max.co.jp

一番下の写真は、片岡さんの著書『絶望の牢獄から無実を叫ぶ』鹿砦社から抜粋した、久間さんの死刑執行にあたって作成された文書の一部です。どんな経緯で、どんな意思決定の下で久間さんの命が奪われたのか?肝心の部分は黒塗りにされています。

まさに日本の司法は “ブラック司法”。この真っ黒の下に隠された真相に光をあてるためにも、絶対に「飯塚事件」の再審は実現しなきゃならないんです。

少し長くなりましたが、今回は以上です。これからも出来るかぎり書いていきますので、引き続き読んでいただけると嬉しいです。

飯塚事件」をはじめ、8つの死刑冤罪を紹介。

 

国家権力は1人の無実の人間の生命をどのように奪ったのか?その真相を黒塗りにして開示する姿勢を、許していいのか!!

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