Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【102】片岡健さんの新刊『平成監獄面会記』を読んで

とにかく会ってみる&行ってみる” 

今回は、おすすめの新刊本を紹介します。

タイトルは『平成監獄面会記』(笠倉出版社)。著者の片岡健さんは、冤罪を含むさまざまな事件を取材しているフリーライター。本著では死刑を宣告された8人との面会を通して、報道では見えなかった彼等の素顔に迫っています。

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 8人の中には「津久井やまゆり園」で19人の入所者を殺害した植松聖被告、鳥取連続不審死事件の上田美由紀死刑囚など、誰もが知るような事件の当事者も含まれています。

 本著の執筆に際し、改めて数えてみたところ、これまでに会った殺人犯は全部で39人だった(まだ裁判で有罪が確定していない者や冤罪の疑いがある者も含む)。刑務官や警察官、検察官、弁護士など一部の専門職(?)の人たちを除けば、これだけの人数の殺人犯に会ったことがある人間は、おそらく、日本にあまりいないだろう。(まえがき より)

という片岡さん。実際に会ってみなければわからないことがたくさんあるので、拘置所に通い続けるといいます。

取材を重ねる中、常々感じるのは、報道のイメージ通りだと思える犯人が1人もいないということだ。報道では、絵に描いたような凶悪殺人犯という印象だった人物でも、面会してみると、たいていは普通の人である。むしろ、普通より弱々しい人物も珍しくない。報道では、身勝手極まりない印象だった殺人犯が実際は礼儀正しかったり、腰が低かったりするというのもよくあることだ。(まえがき より)

私は守大助さん以外に面会の経験がないので断定できませんが、本当にこの通りかもしれません。とくに逮捕当初は、犯人(容疑者)の凶悪さを強調した報道が洪水のようになされます。そのネタ元のほとんどが、捜査機関のリークです。凶悪犯を捕まえたことをアピールしたい警察、厳罰を課したい検察、そのPR役を担うマスメディア。この3者によって作られた、実際とは異なる犯人像を私たちは見せられているのです。

“でも人を殺したんだから、悪い奴であることに変わりないだろう” という反論のある方は、ぜひこの本を読んでください。

ネタバレになるので内容の詳説は避けますが、私は読んでみて「本当に誰でも、ちょっとしたボタンのかけちがいで人を殺してしまう可能性がある」という感想を持ちました。もちろん殺人を肯定しているわけではありません。でも偏った正義感であったり、思い込みであったり、焦燥感であったり絶望感であったり…誰もが殺人犯になるスイッチは、意外に身近に存在しているのではないかと感じます。

そして感銘を受けたのは、片岡さんの取材姿勢。報道を鵜呑みにするのでなく、まずは当事者に会いに行く。事件が起きた現場に行ってみる。裁判記録にも目を通す。とにかく “自分の足で確かめる” という姿勢を貫いています。

面会してみたいと思う殺人犯がいた時、私が最初にするのは、取材依頼の手紙を書くことだ。(中略)では、手紙はどこい出せばいいのか。警察に逮捕された殺人犯は通常、最初はそのまましばらく警察署で拘留される。そして起訴されると、しばらくしてから刑務所や拘置所に移される。つまり、手紙を出す場所は、警察署か刑務所、拘置所のいずれかということになる。(中略)手紙を出してみて、本人から返事の手紙が届けば、あとは簡単だ。「面会してもいい」という返事なら会いに行けばいい。(殺人犯たちと面会するにはどうすればいいのか より)

片岡さんは何か特殊なネットワークを使ったワケではなく、手紙を出すという、ある意味誰でもできる手順を踏んだに過ぎません。ただそれを「やる」か「やらない」かは、ものスゴく大きな違いだと思います。

もし新聞記者が捜査機関のリークだけで記事を書くのを止めて、容疑者の言い分も聴いて現場に足を運べば “これはオカしい” と気づくことがたくさんあるでしょう。自分の足で稼いだ情報をもとに冷静な報道をしてくれれば、冤罪だって減るでしょう。守大助さんの逮捕当初も、メディアは本来の仕事をちゃんとして欲しかったと思います。

こちらは片岡さんの既刊。テーマは「冤罪死刑囚」。本ブログでも紹介した「飯塚事件」では、死刑執行にかかわった法務官僚らへの取材も行うなど、相手が国家権力でも「当事者に当たる」スタンスを貫いている。

 

 袴田巖さんも!「逮捕後のニコニコは無実の証

本著では8人との面会を紹介していますが、表紙では「7人と1人」と表記しています。「1人」は冤罪の可能性が極めて高く、他の7人と区別しているからです(ネタバレごめんなさい)

その1人とは「横浜・深谷親族殺害事件」の新井竜太さん。共犯とされた従兄弟に全ての責任を押し付けられ、無実を訴えたまま死刑が確定してしまいました。ちなみにウソを重ねて新井さんに責任を押し付けた従兄弟は、無期懲役になりました。

逮捕直後、警察のクルマに乗せられた新井さんがニコニコと笑みを浮かべている写真が配信されました。

私にはそれが「余裕の笑み」のように見え、心に引っかかったのだ。(中略)冤罪で逮捕された人物は最初のうち、「証拠などないのだから、すぐに疑いは晴れるだろう」などと、自分の未来を楽観視している場合が少なくない。(中略)ひょっとして新井もそのパターンではないか……私はふとそんなことを考えたのだ。

と、片岡さんは取材を始めたきっかけを綴っています。面会で真意を聞かれた新井さんも、このように答えています。

「そうですね。裁判で無罪判決が出ると思っていましたから、僕を逮捕した警察や検察が恥をかくと思い、笑っていたんです。」

これを読んで、袴田巖さんと一緒じゃないか!と思いました。今でこそ “無実の死刑囚” と好意的な報道が多いのですが、逮捕当初の犯人視報道は本当に醜いものでした。

逮捕を報じた1966年8月18日の「毎日新聞」(夕刊)では、警察のクルマの後部座席でニッコリ微笑む袴田さんの写真が大きく紹介されています。

左上にボクサーの記事が出ていますが、無関係です。ボクシング漫画の金字塔『あしたのジョー』が世に出るのは2年後。まだイメージの悪かった“ボクサー崩れ”への偏見も、袴田さんの犯人視を後押ししたのだろう。

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人を殺した上に “不敵なうす笑い” を浮かべる狂気の殺人者というトーンで報道されていますが、これはクルマの窓の外に顔見知りになった記者の姿を見つけて、ホッとしてニコニコしというのが真相のようです。 

実は警察は早い段階から「従業員Hがアヤシい」として、袴田さん逮捕の可能性をリークしていました。これを受けた記者が逮捕前に袴田さんに接触し、取材をしていました。

逮捕翌日8月19日の「毎日新聞」は、その時の様子を一問一答で紹介。袴田さんは「自分は元・ボクサーなのだから(凶器とされた)小刀は使いません。バーンとアゴをなぐれば起き上がれませんから」など、自分の無実を切々と訴えています。しかし記事は“自分の罪を認めず言い訳をするケシカラン奴”というトーンで報じています。

この時の袴田さんは、まさかその後48年にわたって自由が奪われるなどとは、夢にも思っていなかったでしょう。そして新聞記者のことは、自分の無実を公平に伝えてくれる味方と思っていたのでしょう。“不敵なうす笑い” は、無実の何よりの証拠なのです。

また「袴田はウソつきだ。“フィリピンに行った” などとウソを言っている」と、警察のリークをそのまま報じた記事もあります。袴田さんが現役時代の1961年にフィリピン遠征していることは、裏を取ればスグわかることであるにもかかわらず…。

毎日新聞」は袴田さん逮捕に多くの誌面をさき、センセーショナルな犯人視報道を繰り広げました。守大助さん逮捕当初の「朝日新聞」と同じです。マスコミは50年前も現在も、同じ愚行を繰り返しているのです。

というわけで思ったコトを取りとめもなく書いてきましたが、とにかく報道を鵜呑みにせず、当事者に会ったり現場に行くことの大切さを改めて痛感させられました。本ブログでも守大助さんの面会に足を運んだり事件の現場を歩いて、真実を伝えるよう努力したいと思います。

 死刑や冤罪に関心のある方にも、ない方にも広く読んでいただきたい。1380円+税。

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