Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【29】何故、検察は再審開始を妨害してはダメなのか?

■再審が決まると“必ず”イチャモンを付けてくる検察

更新が1ヵ月近く滞ってしまいましたが、2018年も、どうぞ宜しくお願いいたします。守大助さんをはじめ無実を訴えて闘う皆さんに、一刻も早く朗報がもたらされますように!

 さて新年1回目は前回予告した通り、“再審と検察” について書きます。

戦後長らく“針の穴にラクダを通す” ほど難しいと言われていた再審を巡る状況に、徐々に変化が起き始めています。2010年代に入ってから、布川(ふかわ)事件(2011年)、東電OL殺人事件(2012年)、東住吉事件(2016年)と、3件もの無期懲役事件が再審によって無罪を勝ち取っています。昨年は大崎事件、松橋(まつばせ)事件、年が押し迫った12月20日には湖東記念病院事件で、次々に再審開始決定が出されました。

 恐らく日本の刑事司法の歴史で、ここまで再審が相次いだのは前代未聞のハズ。

 しかし裁判所が再審開始決定を出すごとに、検察が必ずと言っていいほど、不服(抗告と呼びます)を申し立ててきます。昨年の3事件についても検察が抗告しており、ヘタをすると再審開始が取り消されてしまう恐れがあります。

最初の3事件についても検察の言いがかり(本当にこう呼ぶのがふさわしいです)を退けて、やっとの想いで無罪を勝ち取ることができました。

 ちなみに2014年の再審開始決定によって釈放された袴田巖さんも、検察の抗告によってまだ無罪になっていません。前回のブログ【28】を参照ください。

■ 検察は本来、再審に協力して無実の人を救う立場にある

 前置きが長くなりましたが改めて本題に…。

刑事訴訟法(450条)では確かに、検察は再審開始決定に対して “即時抗告をすることができる” と定めています。だからと言って、法律でOKなんだからいいんじゃない…?

というのは間違いです。

この部分はドイツの刑訴法を手本にした戦前の条文が亡霊のように残ってしまっているもので、本来は真っ先に廃止されるべきなのです。(ドイツは1964年に再審開始に対する検察の抗告を廃止)

 戦前の日本では拷問を伴う取り調べなどによって、たくさんの無実の人が獄中に送られました。 その反省に立っている(ハズの)現在の日本の刑訴法では、“疑わしきは被告人の利益に”と“無辜(無実の人)の救済” が大原則となっています。

中でも再審は誤った裁判で有罪にされてしまった人を救う、ほぼ唯一の機会と位置づけられており、検察が横ヤリを入れるなど許されるハズがないのです。

 刑訴法の大前提となる日本国憲法でも、第31条から第40条まで10条分を使って、無実の人を罰することがないよう定めています。

全99条からなる憲法の中で10条ものスペースが割かれているのは、刑事司法の分野だけです。ここでは紹介しませんが、ぜひ読んでみてください!!

 刑訴法に話を戻すと、再審を請求できるのは有罪を受けた本人、その親族、検察官とされています。つまり検察は本来、無辜の救済に積極的に協力すべき立場にあるのです。2011年に最高検察庁が策定した『検察の理念』では、検察の使命を以下のように謳っています。

公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ,事案の真相 を明らかにし,刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現するため,重大な役割を担ってい る。我々は,その重責を深く自覚し,常に公正誠実に,熱意を持って職務に取り組ま なければならない。

 そして10条からなる条文の第3条では、

無実の者を罰し,あるいは,真犯人を逃して処罰を免れさせることにならないよ う,知力を尽くして,事案の真相解明に取り組む。

 と、無実の者を罰してはならないと、ハッキリ謳っています。

 しかし現実はどうでしょう…。

前回も書きましたが検察のアタマの中には、自分たちのメンツを守ることしかないとしか思えません。“一度起訴して有罪にしたものは絶対に無罪にさせない” という、狂気にも似た執念すら感じさせます。

 守大助さんの北陵クリニック事件も、再審開始決定が出たら必ず検察は抗告してくるでしょう。もはや彼等に自浄作用は期待できないのかもしれません。私たち市民の手で、検察を変えましょう!!

 今回のブログは、昨年11月9日に開催された「くり返すな冤罪!市民集会」の、鴨志田祐美弁護士(大崎事件弁護団・事務局長)の講演「再審開始決定に対する検察の不服申立の禁止」を参考に書きました。鴨志田さん、明快なご講演をありがとうございました! 写真が暗くてスミマセン…。

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