【18】守大助さんに面会してきました(後編)
アクリル板の向こう側に現れた守大助さん。
右手を上げて、陽気な笑顔で迎えてくれます。
前回(昨年5月)面会したとき、
「自分にとって支援者と会えるのは、本当に貴重な時間です。
面会の間は笑顔でいたい」と言っていたのを思い出しました。
前回はグレーの作業着でしたが、
今回は青いジャージのような上着に膝丈のズボン。
体育の授業の学生さんみたいです。
(夏服なのか刑務作業の服なのか、訊くの忘れました)
“学生”というのは決してオーバーな表現でなく、
46歳の現在も29歳で逮捕される前の写真と、
ほとんど変わらない印象です。
裏を返せばずっと社会から隔離され、
時間を奪われている証かもしれません…。
大助さんは昨年の10月から、炊事班で働いています。
長年従事したオーダーメイド紳士靴工場からの配転でした。
約1000人分の収容者にお茶を配ったり、
とにかく汗だくの毎日ということです。
「炊事班は体力勝負ということもあり、
20代の若い受刑者が選ばれます。
40代の自分が何故…?と思いました」
静かな空間で一人靴づくりに向き合う以前の環境から一転、
チームワークの中で作業を覚えるのが大変で、
歳下の受刑者から注意を受けることも多く、
苦労が続く毎日だといいます。
「それでも耐えられるのは、オレは無実だから絶対にここから出る!
という信念があるからです」と、力強く語ってくれました。
大助さんが何故、炊事班になったのか?
一枚の皮から靴を作り上げるスキルは、
かなりのレベルに達していたと聞いたことがあります。
にもかかわらず何故…?
ハッキリした理由はわかりません。
しかしそもそも、点滴に筋弛緩剤を混入するような人に、
大切な食べ物を扱う刑務作業を任せるでしょうか?
調理では包丁も扱うため、
信頼された受刑者しか選ばれないと聞いたことがあります。
もしかすると刑務所サイドも、
大助さんの無実を信じているのかも…
というのは私の妄想ですが、そうであって欲しいものです。
「とにかく一刻も早く、ここから出して欲しい。
自分は逃げも隠れもせず、再審裁判を闘うから。
“いつか出られる”じゃあダメなんです。
(無期懲役で仮釈放になるのは、一般的に約30年と言われています)
何としても両親が元気なうちに、40代のうちに出たい」
と、大助さんは繰り返し語ります。
そして「裁判所は検察の言いなりにならず、
しっかり証拠調べをして公正な判断をして、
速やかに再審を開始して欲しい」とも。
極めて真っ当な想いです。
この事件で警察、検察、裁判所がやったことは、
とても“捜査、起訴、裁判”と呼べる代物ではありませんでした。
(このブログの【7】【8】参照)
自分が無実なのは、大助さん自身が一番わかっているでしょう。
にもかかわらずズサンなブラック司法によって、
今まさにこの瞬間も、貴重な時間を奪われている…。
“いついつで終わるから、もう少し頑張ろう”
という見通しがない中で過ごす毎日がどれだけ過酷なものか、
私にはまったく想像が付きません。
「千葉刑務所に来た2008年は、北京オリンピックの年でした。
“短期留学”だったつもりが、すっかり長期化してしまいました」
と言われた時は、失われた時間の長さにハッとしました。
あれから「ロンドン」「リオデジャネイロ」と、
2度もの夏期オリンピックが開催されています。
2020年の「東京」は絶対に塀の外で!
あっという間に面会時間の30分が終了。
「自分は元気ですからと(支援者の)皆さんに伝えてください」
「ではまた」と、アクリル板にハイタッチをして、
大助さんは扉の向こうに消えていきました。
刑務所を出ると、外は青い夏空。
たった今、面会してきたのは幻だったのか…
という不思議な気分になります。
まさに娑婆に帰ってきたという感覚です。
もし大助さんの身に起きたことが自分自身、
または大切な誰かの身に起きたら…?
冤罪は決してヒトゴトじゃありません。
大助さんの再審無罪を勝ち取ることは、
私たち自身で日本の司法を健全にしていくこと。
引き続き「東京の会」は闘います。
逮捕前、20代の大助さん。髪の毛が短くなった以外は今もこんな感じです。