Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【155】守大助さん&勝又拓哉さんからのメッセージ

◆コロナにも負けず、無実を訴える2人に自由を!

前回のブログで紹介した「大崎事件」のクラウドファンディング

最終的に1240万7,000円が集まりました。

当初の目標額500万円を早々にクリアし、再設定した目標額の1,000万円も200万円以上を上回る結果となりました。本当に素晴らしいことだと思います。

クラウドファンディングを企画した周防正行監督、4回目の再審請求にのぞむ弁護団の皆さんには、ただ頭が下がります。

もちろん伝え方次第ではありますが、真実を伝えれば共感し、応援してくれる人がいることに、とても勇気づけられます。

「北陵クリニック事件」の支援者としても、見習わなければいけないことがたくさんあると思っています。

そして守大助さんと「今市事件」の勝又拓哉さんの2人から、メッセージが届きました。両事件を支援している『再審・えん罪事件全国連絡会』ニュースレターの最新号から紹介します。

●守大助さん(北陵クリニック事件)

“第二次再審請求・仙台地裁で再審開始を勝ち取るため、全国の皆さんのお 力をもう一度お貸しください。私はどの患者さんにも筋弛緩剤を混入していま せん。両親が元気でいるうちに帰りたい。助けてください”

新型コロナウイルスが全国に広がり収束が見えない状況が続いております。 皆さん体調はいかがですか。いつも温かく力強いご支援をいただきありがとう ございます。

4 月の私の誕生日には、お祝い金、誕生日カードが届き、とても 感謝しています。私は 2 月より炊事場・下処理班長となりまして、毎日頑張っ て作業しています。もちろん第二次再審で勝利するために、書類を読み直し確 認作業も続けています。(弁護士の)先生と支援者の方々と第二次のたたかい方 について話し合いもできていますので、どうか安心してください。コロナに負けず戦っています。

私の「自白」というのは「虚偽自白」です。取り調べ刑事による暴力的な言葉が続き、脅迫され、 その時間がとても恐ろしく耐えることができなくなり、「どうせ調べれば分かることだ」という甘い考 えをしてしまい、やってもいないことを認めてしまった。当時の私は父親が警察官だったので、ちゃ んと調べてくれると信じていました今はそれが大間違いだったと反省しています。隠された真実を明 らかにし強制留学を終わらせたいです。

大助さんはいつも、刑務所生活のことを“強制留学”と書いてきます。29歳で逮捕されたのが2001年。無期懲役が確定して千葉刑務所に収監されたのが2008年。すでに“留学”も12年になります。

炊事場の下処理班長に昇進できたこと、コロナに負けず頑張っていることには、少し安心しました。でもやはり、頑張れるにも限界があるでしょう。

来年(2021年)の4月には、大助さんは50歳を迎えます。次の第二次再審で勝つしかありません!!

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●勝又拓哉さん(今市事件)

4 月 16 日に(東京拘置所から移送され)川越少年刑務所に来ました。コロナで作業を中止しておりましたが、5 月 14 日から動作の訓練が始まりました。工場では動作の 訓練、大声を出す訓練、体操を覚えたり工場のルールを教えてもらったり。

基本動作はクリア、大声を出すのも一応クリア、喉が痛い日々でした。敬語を使うように言われ、 これが難しい。今まで敬語と思っていたのとは実が違ったりで参りました。日本語ムズカ シイですね。

工場での作業はストラップを作ることでした。橙色なので、多分神社で売 っているやつかな。

6 月 11 日から部屋移動があり、今独居房で紙袋を作る作業をしています。今は移 送待ちの期間なので、移送されるまで紙袋作りと思います。

東京拘置所にいる間はマスクが使えなかったのですが、こちらでは布マスクを 3 枚も らって洗って使っています。ちなみに 5 月 28 日に面会禁止が解除されました。

4 月から 5 月に(拘置所に)来た手紙 250~300 通。こちら(川越)に来てからは 150 通ほどです。その様子 を見た別の受刑者同士の会話を偶然聞いてしまいましたが、「すごい(たくさん)手紙が来ているけど、どこかの 組織の幹部とかですかね?」という話が聞こえてきて笑ってしまいました。

移送先がどこになるのか、気になって仕方がない日々です。

拓哉さんとは、3月東京拘置所で面会しました。

(その時の様子はこちら)

【135】「今市事件」④勝又拓哉さんに面会してきました - Free大助!ノーモア冤罪!

現在は訓練のため川越少年刑務所におり、ここからさらに他の刑務所に移送され、そこで刑に服することになります。一体どこの刑務所になるのか、本当に不安でしょう。慣れない日本語の敬語に奮闘している様子もうかがえます。

拓哉さんも大助さんと同じく、無期懲役。再審に向けて、これから長い闘いを強いられることになります。少しでも早く自由を取り戻すために何ができるか? 支援者として引き続き知恵を絞ります。

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◆思い上がりに自戒の念を込めて

まったく話題が変わりますが、昨年の8月に投稿した記事に対して、お叱りのコメントをいただきました。

(こちらの記事です)

【114】8月15日に思ったこと、守大助さん全国集会 - Free大助!ノーモア冤罪!

ちょうど終戦記念日の直後だったので、先の戦争に対して思ったことを書きました。日本人が空襲や特攻で命を落としたのは、ある意味自業自得だと…。

実は私自身も、かなり独善的なことを書いてしまったと思っています。それに対して、こんなレスポンスをいただきました。

その考え方は大変危険です。それは、小泉改革以降の日本に蔓延する自己責任論となんら変わりません。戦時中は売国奴、アカ。戦後は反動、ファシストといった言葉が飛び交いました。それらの発言をした人は自らを正義だと信じていたことでしょう。

司法への批判自体は必要でしょう。しかし、あなたは今の日本の検察や裁判所それ自体を絶対悪とみなし、自らの活動を絶対的正義だと思っていませんか?

まったくご指摘の通りで、ただ反省する他ありません。

とくに “検察や裁判所それ自体を絶対悪とみなし、自らの活動を絶対的正義だと思っていませんか?” という問いは、厳粛に受け止めます。

実際に冤罪の支援活動をしていると、日本の司法には怒りを感じてばかりです。そして“許せない!”という感情がたかぶるあまり、自分の活動こそが正義だと思い上がってしまうたことも、正直言ってあります。

しかしこれは危険なこと。それこそ冤罪を生む警察や検察、裁判所と一緒になってしまいます。“正義の押し売り”だけは絶対にしないよう、より一層の自覚を持って活動にのぞみたいと思います。

◆正義の正体とは? 市川森一さんのメッセージ

“正義”という言葉の危うさについて考えるとき、私は脚本家・市川森一さん(1941年〜2011年)のエピソードを思い出します。冤罪支援とは直接関係ありませんが、自戒の意を込めて紹介します。

市川さんはNHK大河ドラマなどで知られていますが、キャリアのスタートは子ども番組でした。

デビュー作の『快獣ブースカ』(1966年)を皮切りに『ウルトラセブン』、『帰ってきたウルトラマン』、『シルバー仮面』、『ウルトラマンA(エース)』(1972年)と執筆を続けました。

 『ウルトラマンA』は全52話。クリスチャンである市川さんの考えが色濃く出た作品と、ファンに評価されている。

さらに市川さんは、ウルトラマンと双璧をなす人気変身ヒーローとなる『仮面ライダー』(1971年)の企画会議にも参加。そこでこんな提案をしたといいます。

「正義のために戦うなんて言うのは止めましょう。ナチスだって正義を謳ったんだから、正義って奴は判らない。悪者とは、どんなお題目を掲げていても人間の自由を奪う奴が悪者です。仮面ライダーは、我々人間の自由を奪う敵に対し人間の自由を守るために戦うのです」

 (『仮面ライダー名人列伝』平山亨・著/139ページより)

 当時のプロデューサーが、仮面ライダーの誕生秘話を綴った1冊。 

この市川さんの提案から、オープニング主題歌の最後にかかる、あの有名なナレーションが誕生したといいます。

仮面ライダー本郷猛(ほんごうたけし)は改造人間である。彼を改造したショッカーは世界制覇を企む悪の秘密結社である。仮面ライダー人間の自由のためにショッカーと戦うのだ! 

なぜ “正義のため” ではなく “自由のため” というちょっと凝った表現になったのか? その裏には、深い理由があったのですね。

実は「守大助さん東京の会」の母体となる人権団体・日本国民救援会も、よく自由という言葉を使います。

私もウルトラマン仮面ライダーで育った世代。今こそ市川さんの言葉を胸に刻み、そこに込められたスピリットを正しく活動に活かさなければと思います。

仮面ライダー』は1971年4月に放送がスタートし73年2月まで全98話、2年近く続く人気番組となった。市川森一さんは1本のみ脚本を担当し、ウルトラシリーズに戻る。俳優・藤岡弘、出世作としても有名。

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