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「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【151】「飯塚事件」(前編)法務省が無実の人を “確信犯的” に処刑!?

◆死刑執行を裏でお膳立てする法務省

今回は前回の予告どおり、法務省と死刑執行について書きます。

死刑執行の流れは2012年、「毎日新聞」が法務省に情報公開請求して明らかにしました。記事をまとめると、以下のようになります。

この毎日新聞の元記事(『クローズアップ2012:死刑順位、基準は闇 決済に13人関与、起案内容黒塗り』2012年06月01日 東京朝刊)はリンクが削除されています。しかし検索すると記事を転用したブログがいくつかあり、読むことができます。

また、ジャーナリスト・青木理(おさむ)さんの著書『絞首刑』(講談社文庫)では、このように書かれています。

死刑囚の刑が確定すると、当該事件を管轄する高等検察庁(地裁段階で確定した場合は当該の地方検察庁)からの上申を受け、法務省では刑事局総務課が差配して(裁判の)一審段階からの公判記録などをあらためて精査する作業が行われる。

実際にこの任にあたるのが刑事局付の検事であり、刑事局総務課の幹部である参事官がこれを総括する。ここで執行停止や再審、あるいは恩赦の事由があるか否かなどをチェックし、問題がないと判断すれば、刑事局付の検事が「死刑執行起案書」を作成することになる。(241ページより)

 近年はどこかの拘置所で死刑が執行されると、その日のうちに報道されるようになりました。そこでカメラの前に出てきてコメントするのは法務大臣です。

なので私たちは法務大臣が死刑執行を主導しているように思いがちですが、実は裏で法務省刑事局がお膳立てをしているのです。

また、検察がいろいろと実務に関わっていることも、改めて分かります。起訴から求刑、そして死刑執行まで、まさに検察がワンストップで仕切っているのが現状です。

現在、日本国内には死刑が確定した人(確定死刑囚)が100人以上います。その中から誰の死刑を執行するか? どういう順番で選んでいるについては完全なブラックボックスですが、死刑が確定してから5〜6年ぐらいで執行されるケースが多いようです。

ただし冤罪が疑われ、再審請求を繰り返している事件は例外。「袴田事件」の袴田巖さんや、「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝さん、「帝銀事件」の平沢貞通(さだみち)さんなどは、まさにその典型です。

袴田さんは死刑確定(1980年)から30年以上も死刑が執行されないまま、2014年に釈放を勝ち取りました。奥西さんは死刑確定(1972年)から40年以上無実を叫び続けたまま、2015年に獄死。平沢さんも死刑確定(1955年)から約30年後の1987年に獄死しました。

奥西さんと平沢さんは、ともに八王子医療刑務所で息を引き取りました。

3事件とも冤罪が強く疑われ、再審請求が繰り返されたため、法務省も検察も死刑執行に踏み切れなかったのでしょう。ならばすみやかに再審に協力しろ!!と声を大にして言いたいです。

しかし…。

  • 死刑確定からわずか2年で執行
  • 再審を請求しようとしていた矢先の執行だった
  • 処刑される日まで一貫して無実を主張し、冤罪を疑う声も多い

という事件があります。それが福岡県で起きた「飯塚事件」です。

◆「飯塚事件」ってこんな事件

飯塚事件」については、過去にこのブログで紹介しています。

【117】11年前の今日、冤罪「飯塚事件」久間三千年さんの死刑が執行されました - Free大助!ノーモア冤罪!

ではどんな事件だったのか? 過去記事を編集の上、改めて紹介します。

●「飯塚事件」の流れ

〈事件発生〜死刑確定〉

  • 1992年2月20日 福岡県飯塚市で登校途中の小学1年生の女児2名が行方不明に
  • 1992年2月21日 同県甘木市(現・朝倉市)の崖下で2女児の遺体発見
  • 1994年9月23日 飯塚市に住む久間三千年(くまみちとし)さん逮捕、66日間の取調べで、一度も自白せず
  • 1995年2月20日 福岡地裁、第1回公判。久間さんは全面否認
  • 久間さんを“犯人”とする最大の証拠は、被害者女児の体内から発見されたDNA型が久間さんと一致したという、警察科総研の鑑定(後述します)
  • 1999年9月29日 福岡地裁(第一審)死刑判決
  • 2001年10月10日 福岡高裁(第二審=控訴審)死刑判決
  • 2006年9月8日 最高裁(第三審=上告審)死刑確定
  • 2008年10月28日 死刑執行

〈再審請求〜現在〉

  • 2009年10月28日 久間さんの遺族が福岡地裁へ再審請求
  • 2014年3月31日 福岡地裁、再審請求を棄却
  • 2014年4月3日 福岡高裁へ即時抗告
  • 2018年2月6日 福岡高裁、即時抗告を棄却
  • 2018年2月13日 最高裁へ特別抗告

このように地裁、高裁で再審請求が退けられ、現在は最後の望みをかけて最高裁で闘っています。

◆生命続くかぎり闘う…徳田靖之弁護士のお話

私は昨年10月に、「飯塚事件弁護団共同代表を務める徳田靖之弁護士の講演を聴きました。まさに身を削る想いで、久間さんの無念を晴らすべく再審を目指して闘う様子がヒシヒシと伝わってきました。

約1時間の講演内容は本当に衝撃的で、胸が詰まるものでした。今回はその一部、死刑が執行された時のお話を紹介します。

※文章は講演を聴きながら取ったメモを基に作成しています。文責は私にあります。

最高裁で上告が棄却されて死刑が確定した後、福岡拘置所に久間さんに面会に行きました。ここで “弁護士を全面的に信頼しています” と、再審を依頼された。それが2006年の9月のことでした。

その時点で私は、再審事件の弁護の経験がありませんでした。まったくはじめてのことです。そこで自分なりに法律の教科書をひもとき、あるいは再審事件をやられた弁護士の資料を読む中で、有罪となった事実を覆すに足りる明らかな新証拠を見つけないと、再審請求できないことを知った。それを必死になって探しました。

そうするうちに、2年という年月が経過してしまいました。

そこで私は主任弁護人と一緒に福岡拘置所を訪ねて、久間さんに死刑確定から2年が経過したのですが、私たちの準備ができていない。何とかして有力な新証拠を見つけたいと思っているのだけれども…という話をしました。

久間さんは獄中でいろんな資料を調べて、日本全国で死刑囚がどれぐらいいるかというリストを作っていた。そして “弁護士さん安心してください。私より先に死刑が確定している人がまだ20人近くいるので、私の順番が回って来るにはまだ時間がある。だからゆっくり構えて、しっかりした新証拠を出してください” と、逆に私を励ましてくれた。

その1ヵ月後、マスコミの記者から法務省が会見を開くという連絡が入りました。“法務大臣が会見で死刑執行を発表するようですが、徳田さんに何か連絡は来てますか?” というんです。 

“いいえ何も来ていません”と、びっくりして久間さんの親族にも電話をしたら、やはり連絡は来ていないと。そして午後になって、同じ記者から久間さんの死刑執行の発表だったと言われた。

法務省は、久間さんが再審請求の準備をしているということを十分に知った上で、死刑を執行しました。もっと早く再審請求をしていれば…私たちの怠慢が、執行を許してしまったと思わざるを得ませんでした。

死刑が確定している人は、国によって命を奪われるという崖っぷちに立たされていることを、蔑ろにしてしまった。これは弁護人として、やってはならない過ちです。

本当に、いたたまれない気持ちしかありません。そんな私たちに、久間さんのご遺族は “亡くなった主人は先生方を本当に信頼していました。ですから無念を晴らすためにも再審請求をして欲しい” と、助け舟を出してくださいました。

 この後、徳田弁護士は冤罪のポイントを丁寧に掘り下げ、 “生命が続く限り、久間さんの無念を晴らすために闘う” という決意で、講演を締めくくりました。

面会から1ヵ月後の、まさかの死刑執行。“モタモタせずに再審請求をしていれば、死刑執行は阻止できたかもしれない” という無念の想いがどれほど重いものか…私にはちょっと想像が付きません。

(記事は写真の下に続きます)

徳田靖之弁護士。2019年10月6日、カトリック清瀬協会で行われた公開学習会「死刑とえん罪」で。

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◆久間さんの死刑執行に秘めた法務省の狙い

改めて振り返ると、久間さんの死刑が確定したのが2006年9月で、執行が2008年10月。通常、死刑の確定から執行までは5〜6年ぐらい、10年以上執行されないケースもあります。確定から “たった2年” の執行は、本当に異例です。

なぜこんなことになったのか…? 推測されるのが「足利事件」の存在です。この事件は、1990年に栃木県で発生した幼女誘拐殺人事件。翌年に幼稚園バスの運転手だった菅家利和さんが逮捕され、無期懲役が確定します。

菅家さんを犯人とした根拠は、DNA鑑定でした。しかし2000年代に入ると鑑定技術は飛躍的な進化をとげ、1990年代当時の鑑定方法は精度が低く、信用に値しないことが明らかになります。

そこで2009年、菅家さんのDNAを再鑑定したところ、犯人でないことが明白に。これが決めてとなって2010年に再審無罪を勝ち取りました。足利事件は、世の中が「冤罪」や「再審」に注目するターニングポイントとなった事件でもあります。

そして「飯塚事件」で久間さんを犯人としたのも、足利事件と同一の「MCT118型」と呼ばれる鑑定方法。しかも鑑定を行った時期も、鑑定人もほぼ同じだったといいます。

このため “東の足利、西の飯塚” などと、称されることもあります。

久間さんの死刑が執行されたのは、まさに足利事件の再審に向けて、DNA再鑑定が行われようとしていた時期でした。

“似たような事件が2つも立て続けに再審無罪になったら、司法のメンツが丸つぶれだ…”。

恐らく法務省はこのように考えて、久間さんの死刑執行を急いだのでしょう。しかも足利事件無期懲役に対して「飯塚事件」は死刑事件。死刑制度を維持したい国として、冤罪の発覚を隠そうという狙いもあったのだと思います。

さらに…弁護団が「飯塚事件」の再審請求を進める中で、DNA鑑定に改ざんされた跡があることが明らかになりました。

  • 鑑定書に添付された写真に、久間さん以外の「誰か」(真犯人?)DNAが写っていた。しかし裁判には、その部分が切り取られて提出されていた!!
  • 写真には鑑定エラーがあった。そのヵ所をゴマカすため、わざと露出オーバー(※)にして焼き付けて見えなくした。※当時はデジタルでなくアナログのネガを使用

その他にも目撃証言のねつ造など、久間さんを犯人に仕立て上げるため、いくつかのデッチ上げが行われた疑いが持たれています。これについては長くなるので、また別の機会に書きたいと思います。

ひとまずまとめると、こういう結論になります。

  • 飯塚事件」は冤罪であるがゆえに、死刑が執行された。
  • 同じDNA鑑定で有罪となった「足利事件」に社会の注目が集まる中、次は「飯塚事件」が注目されるのは間違いない。
  • でも死刑制度を維持する(日本の治安を守る)上で、それは良くない。だったら注目される前にサッサと処刑してしまえ…という法務省の思惑が働いた。

これは私個人の妄想などでなく、「飯塚事件」を知る多くの人が考えていることです。たとえばジャーナリストの青木理さん。

青木さんは現地取材も行っており、実は先ほど紹介した『絞首刑』の一節は「飯塚事件」の章から抜粋したたものです。この本には久間さんを犯人にデッチ上げていく警察の捜査や、死刑執行の裏側が詳細に書かれています。

法務省の官僚が森英介法務大臣(当時)に、死刑執行の決済を迫るシーンの描写もあります。

森は、久間への死刑執行命令を発することに一抹の不安がよぎったのか、眼前の刑事局幹部にこう告げて再確認を迫った。

「間違いないのか」

しかし、痩せ顔の刑事局幹部はこう断言し、森に決断を促した。

「間違いありません。大丈夫です」(245〜246ページより)

 

また、評論家・宮台真司さんとのトークでは、私が書いてきたのと同じポイントを指摘しています。YouTubeのリンクを張っておきますので、ぜひご覧ください。

では久間さんの生命を奪った「法務省刑事局」幹部の素顔とは? 

次回に続きます。

www.youtube.com

 久間三千年(くまみちとし)さん。一貫して無実を訴えながら、法務省によって殺された。写真は『死刑執行された飯塚事件』(現代人文社)裏表紙より。

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