Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【124】守大助さんの自由を勝ち取り、日本の“八百長司法制度”を変えましょう!!

◆“再審元年”に向けて、今年もよろしくお願いいたします

新年、明けましておめでとうございます。2020年も引き続き守大助さんの再審無罪に向けて、一支援者として見たこと、感じたことを発信していきます。

昨年11月13日、最高裁は守大助さんの無実を訴える声を門前払いにしました。闘いは第二次再審へと移ります。つまり大助さんの無実を証明する新しい証拠を用意して、仙台地方裁判所へ2度目の再審請求を申し立てることになります。

第二次再審の請求がいつ頃になるかは、明らかになり次第お知らせします。

大助さんのご両親、守勝男さん・祐子さんからの年賀状には“再審元年”と、力強く書かれていました。(記事は写真の下に続きます)

ご両親からの年賀状。“今年も頑張ります”と言わなくて良い正月が、早く来ますように!

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◆大助さんの接見禁止は4年6ヵ月!

年末に元・日産自動車CEOのカルロス・ゴーンさんが、レバノンに密出国しました。12月30日に本人が発表した声明に、私は激しく同意してしまいました。

私はいまレバノンにいる。もう日本の八百長司法制度の人質ではない。そこでは有罪の推定が行われ、差別がまかり通り、そして基本的な人権は否定される。これらは日本が遵守する義務を負っている国際法や条約に基づく義務をあからさまに無視するものである。私は正義から逃れたのではない。私は不正義と政治的迫害から逃れたのである。私はようやくメディアと自由にコミュニケートできるようになった。来週から始めるのを楽しみにしている。

ゴーンさんの行ったことはもちろん違法行為ですが、ツイッター等を見ていると“日本の司法がこんな状態なのだから仕方ない”という声が多いようです。しかも法律を守るべき立場にある弁護士さんを中心に…。この声明が正論すぎて、誰も正面から反論できないのでしょう。

とくにゴーンさんは、身柄を拘束された上に家族とさえ会うことのできない「接見禁止」が相当に堪えたたようです。

しかしこんなモノはまだ序の口。大助さんの場合、何と4年6ヵ月も「接見禁止」が続きました。2001年1月の逮捕から、第二審の裁判の最中の2005年の7月までです。突然身に覚えのない罪で自由を奪われ、弁護士以外の誰とも会えない状態が4年以上。もし自分がこんな状態に置かれたら、とてもじゃありませんが平常心を保っていられないでしょう。

以前にも書きましたが、この間、大助さんの支えになったのは弁護団の存在でした。土日を除くほぼ毎日、弁護団の誰かが必ず拘置所に来てくれたそうです。“あの励ましがあったからこそ、自分は現在まで闘うことができた”と、面会に行った時、大助さんは振り返っていました。

“日本の司法はブラック司法”という事実がゴーンさんによってクローズアップされる結果となってしまいましたが、本来なら海外から指摘される以前に、私たちが声を上げて変えていかなければならないことです。こんなバカなことをこれ以上放置しないためにも、当ブログも引き続き声を大にして訴えていきます!

◆仙台・北陵クリニック事件の流れ

最後に改めて、事件の流れをまとめておきます。 

【事件発生まで】

  • 1971年4月28日 守大助さん、宮城県に生まれる。
  • 1991年10月 「北陵クリニック」開業。
  • 1992年4月 守大助さん、仙台市内の病院で准看護士として働きはじめる。
  • 1997年7月 「北陵クリニック」リストラで薬剤師が退職。
  • 1999年2月 守大助さん「北陵クリニック」で働きはじめる。
  • 「北陵クリニック」経営不審によって負債13億6000万円に。

 【2000年】=守大助さん29歳

  • 4月 「北陵クリニック」救急措置ができる医師が退職。
  • 経営不振、医療体制の不備により、入院患者の急変が多発(98年8件→99年9件→2000年19件)。
  • 12月1日 北陵クリニックオーナー・半田康延・東北大教授からクリニックの状況を聞いた東北大医学部の舟山眞人法医学教授、筋弛緩剤による犯行の疑いを宮城県警に報告。
  • 12月4日 守大助さん、半田教授の要請に応じ「北陵クリニック」を退職。

【2001年】=守大助さん30歳

  • 1月6日 守大助さん、午前8時30分頃、宮城県警に任意同行を求められ県警本部へ。午後8時頃、脅迫・誘導的な取調べで「筋弛緩剤を混入した」という1件の殺人未遂容疑を自白、逮捕。その後、泉警察署へ移送される。
  • 1月7日 新聞、テレビなどのマスメディア、警察発表を受け犯人視報道を垂れ流す。
  • この間、大阪府警科学捜査研究所(科捜研)、5人の急変患者の尿や血液を相次いで鑑定したとされる。すべてから筋弛緩剤の成分が「検出されたことになっている」が、現在に至るまで鑑定データ、ノート、資料受渡簿など、鑑定を行った事実を客観的に証明する証拠は何一つ、提出されていない。
  • 1月9日 守大助さん、否認に転じる。以降現在に至るまで無実を主張。
  • 1月15日 宮城県警、5人の急変患者の診療録(カルテ)を証拠保全。何とカルテの精査さえせず、大助さんを逮捕していた!
  • 1月16日 守大助さん、仙台拘置所に拘留。弁護士以外との接見を禁止される。
  • ・1月26日〜3月30日 他の4人について殺人・殺人未遂容疑で相次いで逮捕・起訴。
  • 2月18日 テレビ朝日ザ・スクープ~仙台・筋弛緩剤混入事件の知られざる真実 ~」。以降2002年9月まで7回にわたって特集を組み、冤罪の疑いを指摘。
  • 3月15日 「北陵クリニック」閉鎖。
  • 7月11日 仙台地方裁判所で初公判。 
  • 9月24日 仙台弁護士会仙台地検宮城県警・仙台拘置所へ「人権侵害の警告・勧告書」
  • 11月18日 仙台弁護士会、新聞4社に守大助さん逮捕当時の報道に勧告書。 河北新報、朝日、読売、毎日)

 【2003年】=守大助さん32歳

  • 7月26日 人権団体「日本国民救援会」、守大助さんの支援を決定。
  • 11月16日 宮城県で「守大助さんを支援する」会結成。以降全国各地で支援する会・守る会が結成。
  • 11月28日 仙台地検、守大助さんに無期懲役を求刑。

 【2004年】=守大助さん33歳

 【2005年】=守大助さん34歳

  • 6月15日 仙台高等裁判所控訴審第1回公判。
  • 7月29日 守大助さんへの接見禁止が解除(逮捕から約4年6ヵ月)
  • 10月5日 仙台高等裁判所、弁護側の証人、鑑定申請を却下、証拠開示を勧告せず4回の公判で結審。

【2006年】=守大助さん35歳

【2008年】=守大助さん37歳

 【2012年】=守大助さん41歳

 【2014年】=守大助さん43歳

【2018年】=守大助さん47歳

【2019年】=守大助さん48歳

  • 11月13日 最高裁判所、再審請求棄却/裁判長=林景一 

【2020年】=守大助さん49歳

  • 第二次再審請求を予定

どうでしょうか? 29歳で自由を奪われた大助さんは今年49歳。失われた20年を想うと、言葉も出ません。また以前面会したとき、大助さんはこう言っていました。

“千葉刑務所に収監された2008年は北京オリンピックの年だった。それからロンドン、リオデジャネイロと2度のオリンピックが塀の中。せめて2020年の東京は…”

大助さんは“40代のうちに塀の外へ”とも言っていました。奇しくも東京オリンピックイヤーが、40代最後の年になります。

この願いが叶わなくなった心中を想うと言葉が出ませんが、前回のブログでお伝えした通り、11月の面会では“今は第二次再審に向けて落ち込んでいる場合じゃない”と、力強く語っていました。

改めて、2020年も守大助さんをよろしくお願いいたします!!