Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【88】元・警視庁捜査一課長が書いた“取り調べる側”の本音が満載!!の本

■「松橋事件」刑事や検事への怒り

このブログでも何回か紹介している「松橋(まつばせ)事件」が、昨晩のTBSテレビ『1番だけが知っている』で特集されました。私は家にテレビがないので観ていませんが、冤罪が作られる構図や弁護団の奮闘を、丁寧に紹介した内容だったと聞いています。

ただし観た人たちのツイートを見ると、宮田さん犯人にデッチ上げた刑事や検事への追求がほとんどなかったようです。記者クラブで警察・検察とつながっている、テレビというメディアの限界でしょう。

しかしそれよりも、視聴者の多い時間帯で取り上げられたことを素直に喜びたいです。

 “こんなヒドいことをした刑事や検事が、なぜ罰せられないのか(怒)!”と世論が盛り上がってくれれば、大きな前進ですから。

 

日弁連が指摘する取り調べのモンダイ点

さて…先日書いた守大助さんへの取り調べの様子について、

【86】これが取り調べだ!(怒) - Free大助!

“本当にヒドい、警察は何を考えているんだ” という感想をいただきました。

「日本弁護士連合会日弁連」も10月23日に、

『えん罪を防止するための刑事司法改革グランドデザイン』(下記リンク)を公表し、

日本弁護士連合会:えん罪を防止するための刑事司法改革グランドデザイン

取り調べの問題点を、このように指摘しています。

日本の捜査機関は、取調べにおいて、中立的に事情を聴取するのではなく、捜査機関が抱いている犯罪の嫌疑を認めさせるための追求を行っており、その結果、虚偽供述が強要される事態が発生している。〈中略〉捜査機関からは、被疑者の「反省・悔悟」を促すことが取調べの機能であると主張されることがある。しかし、こうした発想は前近代的であり、えん罪の防止が軽んじられていることの表れである。

まったくその通りだと思います。以前紹介した「被疑者取調べ要項」などは、まさにこうした警察の本音の表れでしょう。

【20】これは言わずにいられない〜徳島県警の誤認逮捕〜 - Free大助!

 

■取調室は“聖域”で“道場”と断言する元・捜査一課長

そして今度は、元・刑事が書いたというスゴい本を見つけました。タイトルは『警視庁刑事いのち輝く憂国刑事(ムサシヒラタ)の武士道人生!』。著者の平田冨峰さんは約40年にわたって警視庁に勤め、捜査一課長まで上り詰めたという叩き上げの刑事。

ムサシヒラタ」を名乗っているのは、宮本武蔵の末裔だからだそうです。本は2011年に発行され、現在は中古で入手できます。

「取り調べの可視化について」という項より、一部を抜粋して紹介します。

取調室は刑事にとって最も神聖な場所です。刑事と被疑者との人間対人間、魂と魂のぶつかり合いの聖域です。武道家における道場であり戦場です。常に整理整頓され浄められています。このような聖域に録音・録画の機器を備えるということは言語道断です。

取調室は “人間対人間、魂と魂のぶつかり合いの聖域” 、“道場”…だそうです。

 冤罪「布川事件」の桜井昌司さんは、自分が受けた取り調べの様子をこのように語っていました。

「留置場に入る時は全裸にされて検査され、時計も取り上げられた。取り調べを “する側” と “される側” という圧倒的な力の差を見せつけられた上に “お前がやったんだろう” と責め立てられる。そんな状況が何時間・何日も続いた末、落とし穴にハマるみたいに “私がやりました” とウソの自白をしてしまうんです」

平田さんと桜井さん、正しいことを言っているのはどちらでしょうか?

私は桜井さんのお話の方が、真実味があると思います。多くの場合、被疑者は何の力も持たない一市民です。対する刑事が圧倒的な国家権力を行使できる立場にあることに、平田さんはあまりにも無自覚と言わざるを得ません。

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冤罪「布川事件」の桜井昌司さん。時にはユーモアも交え、自らの獄中体験を語る。

守大助さんを支援するキリスト教団体「一羊会」での講演より。

 

■被疑者を“真人間”にするのが刑事の仕事!? 

 平田さんの本にはこんなコトも書かれています。

「被疑者の供述は証拠の王」です。犯罪を立証する上において、極めて重要な位置を占めます。〈中略〉取調べの眼目は、供述を得ることと同時に犯人を真人間にすることにあります。刑事はカウンセラーであり、精神科医でもあります。

まず供述が “証拠の王” という認識に言葉を失います。こんな考えでは、脅してでも叩いてでも自白を得ようとなるのは無理もありません。

“犯人を真人間にする” に至っては、ツッコミの言葉さえ見当たりません。取調べ本来の目的は、客観的な証拠に基づいて事実を明らかにするために、被疑者から聞き取りを行うことではないでしょうか?

先に紹介した日弁連のグランドデザインでも、

「反省・悔悟」を促すことが取り調べの機能であると主張されることがある。

と、警察のオカしな正義感が冤罪の原因となっていると指摘しています。

 

■あの「東電OL殺人事件」の捜査指揮も

この本が出た2011年は「氷見事件」「志布志事件」「足利事件」など、強引な取り調べによる冤罪事件が次々に明るみになり、当時の民主党・鳩山政権が取り調べの可視化に取り組もうとしていた時期です。

その直後に発生した東日本大震災にともなう混乱や、警察・検察官僚の汚い抵抗に合い、構想は思うように進んでいませんが…。平田さんの本でも、冤罪の話題に触れています。

氷見・志布志足利事件の取調べが違法であったとしても、それは九牛の一毛に過ぎません。三事件が相前後して判明し、大きく報じられたため、違法な取調べによって冤罪が多発しているように国民は錯覚しているやも知れません。しかし、実際のところ、三事件はほんの例外に過ぎないのです。

ということです。

さらに…、

平田さんは、冤罪「東電OL殺人事件」の捜査責任者でもありました。

1997年の事件発生時にエリートOLであった被害者女性の夜の顔がセンセーショナルに報じられたり、犯人とされたネパール人・ゴビンダ・マイナリさんが一貫して無実を訴えたことなど、ご記憶の方も多いでしょう。

この事件、平田さんが捜査一課長になってはじめての特捜本部事件ったそうです。

取調べが難航する一方で、私は捜査員に対して「脳味噌が汗をかくぐらい知恵を出せ。考えろ!!」と心を鬼にして叱咤激励し、捜査員はこれに応えて不眠不休、懸命の捜査をしてくれました。

という捜査指揮の末、いかに無実のゴビンダ・マイナリさんが犯人にデッチ上げられていったのか? 読めば読むほど、よくわかります。

本が出た翌年(2012年)、ゴビンダさんに再審無罪が言い渡されました。これを受け、平田さんはテレビや新聞の取材に対して、“今でもゴビンダが犯人だと思う。刑事のカンだ” とコメントしていました。

警察とくに捜査一課というのは、上の意向には絶対服従と聞いたことがあります。平田さんのような人がトップに立てば、どうなるかは火を見るよりも明らか。無実の証拠が見つかろうが(実際に現場からはゴビンダさんと異なる型の血液がでたりしていた)とにかくゴビンダが犯人だ!で突っ走るしかなかったのでしょう。

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NHKクローズアップ現代』のインタビューに答える平田さん。(写真は番組HPより)

私はこの本を単なる “トンデモ本” で片付けるつもりはありません。

1人でも多くの方に読んでいただきたいと、心から思います。

現職をリタイアしたとはいえ刑事自らが、これほど赤裸々に本音を語った本は、あまり見当たりません。冤罪が生み出される構図を知る手がかりとなる1冊として、ぜひご注文を!

 

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