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「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【78】大杉漣の映画「教誨師」〜この男は実在した!?〜

大杉漣さん最後の主演作となった映画「教誨師」を観てきました。

大杉さんはエグゼクティブプロデューサーも兼任したということで、

並ならぬ意欲が伝わってきます。

 

まずはパンフレットから、作品の概要を抜粋して紹介します。

■「教誨師とは…」

刑務所や少年院等の矯正施設において、被収容者の宗教上の希望に応じ、所属する宗家・宗派の教義に基づいた宗教教誨活動(宗教行事、礼拝、面接、講話等)を行う民間の篤志の宗教家のこと。

■「解説 INTRODUCTION」

牧師の佐伯は、半年前に着任したばかりの教誨師。彼が面会するのは年齢、境遇、性格の異なる6人の死刑囚。皆、我々と変わらない人間でありながら、どこかで道を誤ったり、ちょっとしたボタンの掛け違いによって取り返しのつかない過ちを犯した人々。

 

公式サイトのリンクも張っておきます。

kyoukaishi-movie.com

 

舞台はほぼ全編を通して拘置所の面会室。

大杉さん演じる教誨師が6人の死刑囚と入れ替わり立ち代わり、

対話を重ねるシーンが2時間近くにわたって続きます。

 泣き叫んで感情を露にしたり、社会を斜めに批判したり、

それぞれに一癖も二癖もある6人。

時にはそれを根気づよく諭し、時には優しく包み込む大杉さん。

迫真の演技を観ていると、心臓が押しつぶされそうな気分です。

ちょっとトボケた感じの拘置所の所長さんも、なかなか良い雰囲気。

教誨師さんははじめてですか。実は私もはじめてなんです…」

というセリフが耳から離れません。

何が “はじめて” なのかは、ぜひ劇場に足を運んで確かめてください。

 

1つだけネタバレを…。

3人を殺害した、男性の死刑囚が登場します。

彼は計画的に犯行を行ったとして、死刑が確定しました。

しかし本当は突発的に殺してしまったのを “用意周到にやったんだろう!” と、

取り調べで厳しく責め立てられ、つい認めてしまった…。

その “真相” を告白された教誨師はすかさず、

“ならば、裁判のやり直しをしましょう!” と声を上げます。

付き添いの拘置所職員に “そういう話は遠慮して” と言われながらも、

「再審」をやりましょうと、アドバイスを送ったのです。

このブログのテーマである「冤罪」とは少し外れますが、

再審制度が取り上げられたことに、つい反応してしまいました。

 

そして本当に、大杉さんのような教誨師がいたことを思い出しました。

古川泰龍(たいりゅう)さん(1920〜2000年)です。

古川さんは妻の美智子さんとともに、

戦後初の死刑冤罪と言われる「福岡事件」(1947年)で、

処刑された西武雄さん(1975年執行)の雪冤に生涯を注ぎました。

実は過去に一度、古川さんについて書きました。

一部を手直しの上、再度紹介させてください。

 

文章は美智子さんの手記『悲願〜「福岡事件」再審運動に捧げた生涯〜』をもとに構成。

 結婚した翌年(1953年)、熊本の住職だった古川泰龍さんは、

福岡拘置所の死刑囚専属の教誨師になりました。

そして死刑台に赴く人々と交流する中で無実を訴える西武雄さんと、

共犯者とされ同じく死刑が確定した石井健治郎さんに出会います。

「2人を何とか助けてあげたいが、一教誨師に何ができるだろう」

一家(8人家族)の生活を支えなければならない責任もある中で、

思い悩む泰龍さんの決意を後押ししたのは美智子さんの一言でした。

「あなたが助けるほかに道はないでしょう。

あなたが立ち上がるなら、私は陰の力となって助けます」

この時、美智子さんの脳裏には母校・東京家政学院の学院長の教え

“世のため人のため尽くせよ” が浮かんだそうです。

 

泰龍さんは福岡事件の冤罪性を広く世に訴えるべく、

『真相究明書』の執筆に取りかかります。

宗教書が大半だった書斎の本棚は、社会問題や裁判に関する書籍一色に。

原稿用紙2000枚以上を書き上げたものの、印刷・出版資金がありません。

そこで泰龍さんは托鉢となって各地を回り、お布施でお金を集めます。

法務省からは “死刑囚を支援するなどトンデモナイ” と、

教誨師を辞めさせらますが(今も昔も法務省やることは…(怒)

『真相究明書』300冊を刷り上げ、法曹関係者や文化人に配布します。

 

しかし活動に没頭するほど一家の生活は火の車に。

ビールを買えず水を「鉄管ビール」と言って飲んだり、

ガスや水道も止められて、家の敷地内に沸く温泉で炊事や洗濯を賄うなど、

想像を絶するドン底生活が続きます。

そんな中でも美智子さんの決意は揺らぐことなく、

お金の工面に駆け回ったり、托鉢に同行したり、

一貫して泰龍さんの活動を支え続けます。

 

苦境にメゲず運動を続けたことで徐々に仲間が増え、

テレビや雑誌で福岡事件が取り上げられ、

1968年の「死刑囚再審特例法案」へと結実します。

これは神近市子議員ら超党派の有志と連携し、

アメリカ占領下で起きた死刑確定事件について、

再審の機会を与える法案を提起するという運動です。

 

現在の再審制度を巡る動きを先取りしたような運動が、

半世紀も前に行われていたことに新鮮な驚きを感じます。

 

法務省の反対で(また法務省…(怒)法案の成立は見送られますが、

恩赦によって共犯者とされた石井さんの、無期懲役への減刑が実現します。

そして西さんも恩赦…!と期待されましたが、

1975年6月17日、あっけなく死刑が執行されてしまいます。

無実を訴えつづけてきた西さんは、60歳で国家権力によって命を奪われました。

まさに不意打ち…遺書を書く時間も与えらなかったといいます。

西さんの処刑に意気消沈しながらも泰龍さんと美智子さんは、

「死後再審」に向けた取り組みを続けます。

そして1989年に仮釈放となった石井さんも運動に加わり、

再審請求がくり返されますが、2009年に第6次請求が棄却。

西さんの雪冤を果たすことなく夫婦は旅立ちます。 

 

現在は長男の住職・古川龍樹さんが、2人の遺志を継いでいます。

龍樹さんは幼い頃か拘置所に面会に行く両親に付いて行ったり、

“おじさん(西さん、石井さん)”が獄中で育てた小鳥をもらったり、

学生時代には托鉢に参加していたそうです。

事件発生から71年、西さんの処刑から43年。

 龍樹さんは福岡事件を語り継ぐとともに、

有志による「再審法」の成立に向けた運動にも参加しています。

 

どうでしょうか…大杉漣さんの主演で、

古川泰龍さんをモデルにした続編を観てみたかった!

と思うのは私だけでしょうか?

大杉さんがいない今、その願いも叶わなくなってしまいました。

 

また名優が1人、旅立ってしまった…。映画パンフレット裏表紙より。

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