Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【45】冤罪支援と家族の支え〜福岡事件・古川さん夫婦の活動を振り返る〜

「守大助さん東京の会」で一緒に活動しているIさんから、

嬉しい話を聴きました。

(Iさんについては、このブログの【30】【21】で紹介)

Iさんには奥さんと娘さんがいます。

2人とも冤罪などの社会問題に無関心だったのが、

急に大助さんの事件の資料を読むようになったそうです。

TVドラマ「99.9-刑事専門弁護士」の影響らしい…とのこと。

メディアの力の大きさもさることながら、

家族の理解を得ることの素晴らしさを、

改めて感じさせられました。

 

冤罪の支援活動を続けるにあたって、

家族の応援はとても大切です。

土日や休日に時間を割いて出かけるのを、

快く送り出してくれることに、

本当に感謝しなければなりません。

“身近な人の支えがあってこその活動!” 。

このことを最近、

ある夫婦の物語を読んで実感しました。

 

その夫婦とは、

僧侶の古川泰龍(たいりゅう)さん(1920〜2000年)と、

妻の美智子さん(1918〜2010年)

戦後初の死刑冤罪と言われる「福岡事件」(1947年)で、

無実を訴えながら処刑された西武雄さん(1975年執行)の雪冤に、

一心同体となって力を尽くしました。

美智子さんが遺した手記

『悲願〜「福岡事件」再審運動に捧げた生涯〜』をもとに、

駆け足になりますが2人の軌跡を紹介します。

 (福岡事件の概要や冤罪のポイントについては、ぜひ検索を!)

 

 結婚した翌年(1953年)、住職だった泰龍さんは、

福岡拘置所の死刑囚専属の教誨師になります。

そして死刑台に赴く人々と交流する中で、

無実を訴える西武雄さんと、

共犯者とされ同じく死刑が確定した石井健治郎さんに出会います。

2人を何とか助けてあげたいが、一教誨師に何ができるだろう

一家(8人家族)の生活を支えなければならない責任もある中で、

思い悩む泰龍さんの決意を後押ししたのは、

美智子さんの一言でした。

あなたが助けるほかに道はないでしょう。

あなたが立ち上がるなら、私は陰の力となって助けます

この時、美智子さんの脳裏には、

母校・東京家政学院の学院長の教え

“世のため人のため尽くせよ” が浮かんだそうです。

 

泰龍さんは福岡事件の冤罪性を世に訴えるべく、

『真相究明書』の執筆に取りかかります。

今まで宗教書が大半だった書斎の本棚は、

社会問題や裁判に関する書籍一色に。

原稿用紙2000枚以上を書き上げたものの、

印刷・出版資金がありません。

そこで泰龍さんは托鉢となって各地を回り、

お布施でお金を集めます。

法務省からは

“死刑囚を支援するなどトンデモナイ”と、

教誨師を辞めさせらますが(今も昔も法務省のやることは…(怒)

『真相究明書』300冊を刷り上げ、

法曹関係者や文化人に配布します。

 

しかし活動に没頭するほど一家の生活は火の車に。

ビールを買えず水を「鉄管ビール」と言って飲んだり、

ついにはガスや水道も止められて、

家の敷地内に沸く温泉で炊事や洗濯を賄ったり、

想像を絶するドン底生活が続きます。

それでも美智子さんはブレることなく、

お金の工面に駆け回ったり、托鉢に同行したり、

一貫して泰龍さんの活動を支えます。

口で決意を述べるのは簡単かもしれませんが、

現実的な問題もある中、

それを実行し続けたのは本当にスゴいと思います。

並大抵のことではありません。 

 

苦境にメゲず運動を続けたことで徐々に仲間が増え、

テレビや雑誌で福岡事件が取り上げられ、

1968年には「死刑囚再審特例法案」を提案。

これは神近市子議員ら超党派の有志と連携した運動で、

アメリカ占領下で起きた死刑確定事件について、

再審の機会を与えるという法案です。

半世紀も前に現在の「再審法」を先取りした運動が行われていたことに、

新鮮な驚きを感じます。

(「再審法」については後述します)

法務省の反対で(また法務省…(怒)法案の成立は見送られますが、

その代わり恩赦によって、

共犯者とされた石井さんの、

死刑→無期懲役への減刑が実現します。

そして西さんも恩赦…!と期待されましたが、

1975年6月17日、死刑が執行されてしまいます。

無実を訴えつづけてきた西さんは、

60歳で国家権力によって命を奪われました。

処刑前は遺書を書く時間も与えらなかったといいます。

石井さんは恩赦で減刑西さんは処刑…。

同じ福岡県で発生した「飯塚事件」のケースそっくりです。

(このブログ【34】で紹介しています。ぜひお読みください)

 

ちょっとハナシは逸れますが…

最終的に死刑執行のハンコを押すのは法務大臣ですが、

どの死刑囚の刑を執行するかを決めるのは「法務省刑事局」。

実質的に検察の下請け機関みたいな部署です。

このブログでは検察のことを

“司法マフィア” とか “サイコパス” と批判してきましたが、

どんな意図を以て西さんを処刑したのか…。

やはり検察の皆さんを、

同じ血の通った人間と認めることはできません。

 

話題を戻して…

西さんの処刑に意気消沈しながらも、

泰龍さんと美智子さんは、

「死後再審」に向けた取り組みを続けます。

仮釈放となった石井さんも(1989年)運動に加わり、

再審請求がくり返されますが、

2009年に第6次請求が棄却。

西さんの雪冤を果たすことなく2人は旅立ちます。 

 

現在は長男の住職・古川龍樹さんが遺志を継いでいます。

龍樹さんは幼い頃から拘置所に面会に行く両親に付いて行ったり、

“おじさん(西さん、石井さん)”が獄中で育てた小鳥をもらったり、

学生時代には托鉢に参加していたそうです。

事件発生から71年、西さんの処刑から43年、

風化させまいと活動を続けていることは、

本当にスゴいと思います。

 

龍樹さんは福岡事件を語り継ぐとともに、

有志による「再審法」の成立に向けた運動に参加しています。

刑事訴訟法で再審を請求できるのは、

「本人、親族、検察官」のみとされています。

福岡事件の場合は親族も亡くなっており、

再審請求が非常に困難な状況にあります。

そこで現行の制度を見直し、

三者にも請求権を広げようというわけです。

他にも再審開始決定に対する検察抗告の禁止など、

(このブログ【29】参照)

刑事訴訟法とは独立した再審のルールを作ろうと、

さまざまな冤罪事件の当事者や支援者、弁護団

一部の国会議員も連携した運動へと発展しています。

そして守大助さんの再審無罪を勝ち取るために、

自分も運動に参加していきたいと思っています。

次回はこの “再審法とは?” について紹介します。

 

古川美智子さんの手記。泰龍さんとともに表紙写真に収まる。

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■「再審法」成立を目指す院内集会で「福岡事件」を語る長男・龍樹さん。

 手にしているのは、西武雄さんが獄中でしたためた写経。

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