Free大助!

「冤罪・北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【19】自分は何故、冤罪支援をするのか?

今回は私がどうして守大助さん、

ひいては冤罪の支援にかかわるようになったのか?

を書いてみたいと思います。

世の中には “何でそんなコトしてるの?” と、

奇異の目で見る向きも少なくないので、

パーソナルなことではありますが、紹介しましょう。

 (冤罪支援の定義は、このブログの【2】を参照)

 

ハッキリしたきっかけは、私自身も覚えていません。

ただ物心付いた頃には、

“濡れ衣を着せられることって、イヤなことだろうなあ”

という感覚を持っていたように思います。

それが決定的になったのは、

小学5年生の時(1980年)に観た1本のドラマでした。

タイトルは『帝銀事件 大量殺人 獄中32年の死刑囚』テレビ朝日

戦後最大の冤罪事件のひとつに数えられる「帝銀事件」を、

綿密に再現した2時間ドラマです。

(この事件については、またの機会に紹介したいと思います)

そこで田中邦衛が演じる鬼刑事が、

取調室で平沢貞通さん(演:中谷昇)に拷問を加え、

自白を迫るシーンに大変な戦慄と憤りを覚えました。

それから7年後、私がちょうど大学生になった年に、

平沢さんはついに再審無罪がかなうことなく、

八王子医療刑務所で獄死しました。95歳でした。

司法権力とは、一体何なんだ!”

言葉にならない衝撃と怒りで身震いする想いでした。

 

10代の私はマスメディアにも、強い不信感を抱きました。

警察に逮捕された時点で容疑者を呼び捨てにし、

(○○容疑者と付けるようになったのは、1989年からでした)

冤罪の可能性だってあるのに、

あたかも極悪人のように報道する姿勢に、

嫌悪感を覚えました。

1980年代ぐらいまでは、

“否認しているので警察は全面自供に追い込む方針です”

なんていう報道も平然となされていました。

 

しかし私は弁護士を志すわけでもなく、

冤罪に関心を払いつつも普通に社会人になり、

何もしない日々が10年以上続きました。

最初に就職した出版社では、

代用監獄や冤罪の企画を出したものの、

“売れない”と却下されもしました。

 

そんな時に報道で知ったのが、

大助さんの「北陵クリニック事件」でした。

一人の青年を “恐怖の点滴殺人魔” と決めつけた、

センセーショナルな報道には、

薄気味悪さと嫌悪感を覚えました。

 

“この人、もしかして無実じゃないのか?”

と直感的に思っていたところ、

ザ・スクープテレビ朝日や『週刊ポスト小学館など、

冤罪の可能性を冷静に検証するメディアも現れました。

 

ちょうど2000年代の前半は、

痴漢冤罪が社会問題として顕在化した時期でもありました。

何も悪い事をしていないサラリーマンが、

ある日突然 “犯罪者” にデッチ上げられる…。

冤罪は電車の中という身近な空間に存在し、

自分にだって無関係の出来事ではない。

これは何か行動せねばならない!と、

再認識させられました。

 

そしてたまたま縁あって入会したのが、

冤罪支援などを行う人権団体「日本国民救援会」。

 (このブログの【5】参照)

すると何と、気になっていた大助さんの事件も、

支援しているというではありませんか。

2012年の秋には千葉刑務所を訪れ、

初めて大助さんに面会をしました。

そして同じ志を持った活動仲間から、

「東京の会」を立ち上げようと誘われ、

二つ返事で事務局長を引き受け、現在に至ります。

 

大体、以上のような経緯です。

繰り返しになりますが、冤罪は決してヒトゴトではありません。

いつ自分自身、または大切な誰かが巻き込まれるかもしれません。

警察、検察、裁判所(最近は良い判決も見られますが)に自浄作用を期待するのは、

現状ではムズカしいようです。

私たち生活者が、声を上げて何とかしていくしかありません。

刑事司法の専門知識においては、

弁護士などのプロにはかなわないでしょう。

しかしそれは、少しずつ勉強して知識を付ければ良いことです。

大切なのは “人として、こんなこと許していいの?” という、

“司法の素人” ならではの素朴な感覚ではないでしょうか。

 

帝銀事件は来年で発生から70年。昨年には第20次再審請求がなされた。

心理学的な見地からポイントをまとめた書籍『もうひとつの帝銀事件』(講談社)も発売。

著者の浜田寿美男さんは刑事司法と心理学の第一人者。守大助さんの再審請求で意見書も書いている。

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