Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【11】こうして守大助さんは“犯人に”〜警察の決めつけ〜

守大助さんは何故、どのようにして、

“筋弛緩剤点滴魔” に仕立て上げられたのか?

警察の捜査について、書きたいと思います。

 

“事件” の発端は大助さんが働いていた「北陵クリニック」で、

患者さんの急変(急に具合が悪くなる)が多発したこと。

1999年までは10件未満だったのが、

2000年は20件近くに増えました。

ちょうどそんな時期、

大助さんが他の病院から転職してきました(99年2月)

そして准看護士として、

患者さんの世話にあたります。

大助さんが逮捕された当初テレビや新聞は、

“守大助容疑者が勤務し始めてから急変が増えた。

守容疑者は急変現場にも多く立ち会っていた”

と報道しました。

 

これだけ見ると “アヤしい” 印象かもしれませんが、

急変が増えたのには明白な理由があります。

少し長くなりますが、背景を説明しましょう。

 

「北陵クリニック」には通常の医療機関のほかに、

東北大学のサテライト研究施設として、

FES(機能的電気刺激)を推進するという、

もう一つの役割がありました。

これは事故や病気でマヒした手足に電気的な刺激を与えて、

運動機能を回復する先端医療です。

ところが手術には苦痛が伴い、

高額な医療費もかかるため患者さんが集まらず、

FESプロジェクトは頓挫します。

 

これにより億単位の負債を抱えたクリニックは、

少しでも赤字を解消しようと、

入院ベッド(全19床)を埋めるため、

なりふり構わず患者さんを受け入れ始めます。

老人ホームから終末期の患者さんを迎え、

看取ることも珍しくなくなりました。

リストラによって薬剤師や、

救急措置ができる医師も退職していました。

 

ただでさえ具合の悪い患者さんを受け入れた上に、

医療の要を担う人材が辞めてしまったわけですから、

急変が多発するのは当たり前です。

実際にクリニック内部でも、

それを特段不審に思う声は上がらなかったそうです。

 

また看護スタッフの大半は、家庭を持つ女性でした。

そこで独身で時間の融通が効く大助さんが、

夜勤も積極的に引き受け、

急変に遭遇することも必然的に多くなりました。

 

そんなクリニックの内情を、

周囲の医療機関は知る由もありません。

“最近、北陵クリニックからの搬送が増えてるけど、

あそこは大丈夫なのか?” という声が上がります。

そして舟山さんという東北大学の法医学の権威が、

“これは患者さんを狙った犯罪かもしれない。

筋弛緩剤のような薬物が使われている恐れもある”と、

宮城県警に通報します。

 

警察にとって、法医学教授の言葉は絶対です。

“何? 筋弛緩剤? それは大変だ! 

守大助という准看護士がアヤしい? よしタイホだ!”

と、色めき立ったに違いありません。

“守大助=犯人” を前提とした捜査が始まります。

しかし不審な点はなく、

犯行を裏付ける証拠も出てきません。

 

それでも捜査班のアタマの中は、

“こいつが犯人だモード”1色。

捕まえて自白させれば何とかなるだろうと、

大助さんの逮捕に踏み切ります。

2001年1月6日のことです。

 

患者さんの急変が筋弛緩剤によるものなのか、

病気など他の原因によるものなのかは、

カルテを調べれば一目瞭然です。

しかし警察がカルテを押収したのは、

逮捕から10日後のことでした…。

もちろんカルテには、

“筋弛緩剤中毒”などと記されていません。 

 

そして大助さんの犯人性を示すため、

警察が提出してきたのが、

大阪府警科学捜査研究所(科捜研)による鑑定書です。

(3本前の投稿をご参照ください)

 

どうでしょうか?

前回の投稿で紹介したドロー博士の指摘が、

これでもか!という程に当てはまっています。

もしイギリスの取り組みが、

日本でも行われていたら、

大助さんは犯人にされなかったハズです。

 

准看護士として希望を持って働いていた頃の大助さん。

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