【99】千葉刑務所の食事
丸々1ヵ月、更新が滞ってしまいました。また頑張って守大助さんのこと、冤罪のこと、日本の司法の問題を伝えていきますので、宜しくお願いいたします!!
この1ヵ月の間に、冤罪を取り巻くいろいろな動きがありました。
- 1月17日「大崎事件」検察が最高裁に突然の意見書提出(怒)
- 1月19日「イノセンス刑事弁護士」(日本テレビ)放送開始
- 1月25日「豊川幼児殺人事件」名古屋高裁が再審請求を棄却(怒)
- 2月8日「布川事件」の桜井昌司さんら「冤罪被害者の会」結成(3月)を発表
- 2月8日「松橋(まつばせ)事件」熊本地裁で再審公判開。無罪確定の見通し(喜)
- 2月10日「カンニング竹山の土曜 The Night」(Abema TV)で「飯塚事件」紹介
それぞれの出来事については、また機会を設けて書きたいと思います。
■守大助さんのお正月@千葉刑務所
千葉刑務所の守大助さんから便りが届き、年末年始の様子が書かれていました。ちょっと季節外れになりますが、紹介します。
年末年始は仕事でした。12/31、1/1、1/3、1/4と…。なんだか正月という感じがなかったです。今年の年賀状は全国から850通届きました。皆さんからの温かく力強いメッセージが、塀の中に一人でいる私を心強くさせてくれました。嬉しかったです!
正月メニューは1月1日が おせち、ぞう煮(モチ2個)、1月2日がモチ2個(あんこ、きなこ)。
これだけなので寂しいですネ。紅白かまぼこ、伊達巻など正月を感じる物が入ってなく、とりから、魚、照焼きとレトルト?ばかり入っていて…年々悪くなっています。
早く外で新年を迎えたいです。
大助さんの「仕事」というのは炊事係。約1000人分の収容者の食事を作る作業に従事しています。もし大助さんが患者さんの点滴液に筋弛緩剤を入れるような犯罪を犯していたら、大切な食材を扱う仕事を任されるでしょうか? これも立派な「無実の証拠」だと思います。
そしてこの手紙で何よりも身につまされるのが、食事。もちろん贅沢が許されないのは分かりますが…。大助さんが千葉刑務所に収監されたのは2008年8月。塀の中で11回目の正月を迎えました。何としても再審を実現させ、一刻も早く娑婆の正月を味わってもらわねば!と思います。
普段の食事はさらに質素です。一昨年(2017年)の11月、千葉刑務所の「矯正展」で写真を撮ったので紹介します。一角に展示されていました。
ちなみに千葉刑務所の受刑者は以下のような方々です(2017年11月当時のデータ)。
- 約65%が無期刑受刑者(守大助さんもこの1人)
- 平均年齢53.2歳(無期刑は56.9歳)
- 65歳以上が約24%
- 70歳以上が約14%
- 最高齢90歳
高齢化する受刑者の体を考えると、このぐらいの食事が健康的で良いのでしょうから、もちろん刑務所は悪くありません。しかしやはり、これは無実の人間が味わうものではありません。引き続き大助さんの再審無罪の実現に向けて、そして冤罪の撲滅のために運動を盛り上げていきます。
千葉刑務所の正門。1907(明治40)年築。受刑者が過ごす建物はもっと新しいです。
【98】検察に冤罪救済部門が!?『アメリカにおけるえん罪救済の最前線』
■26年間で2300人以上の無実が明らかに!!
1月12日(土曜日)、立命館大学 大阪いばらきキャンパスで行われたシンポジウム『アメリカにおけるえん罪救済の最前線』に参加してきました。
アメリカでは「イノセンス・プロジェクト」と呼ばれる、科学者や弁護士が中心となった冤罪救済活動が1992年にスタート。それから約26を経た現在までに、2300人以上もの有罪確定者の無実が明らかになっています。この中には死刑や終身刑を宣告されていた事例も多く含まれています。
1年間で何と、平均約90人が雪冤を果たしている計算になります。日本で再審無罪を勝ち取ったのは、1910年代から現在までの間でわずか16件…。アメリカの数字は本当に驚異的です。今回は「イノセンス・プロジェクト」を推進する3人のキーパーソンが来日し、取り組みの最前線を報告しました。
左から、アイラ・ベルキン教授(ニューヨーク大学教授、アジア法研究所US-ALI事務局長)、クリス・ファブリカント弁護士(イノセンス・プロジェクト訴訟戦略部門長)、サイモン・A・コール教授(カリフォルニア大学アーバイン校教授)。
■データベースで2300件以上の冤罪の原因を可視化
実はアメリカでも “充実した司法制度の下で冤罪事件など起きるはずがない” という神話が、長年にわたって信じられてきました。しかし1989年、最初のDNA鑑定による雪冤をきっかけに冤罪の存在が次々に明るみに。これを受けて始まった「イノセンス・プロジェクト」は、検察や裁判所も巻き込んだ一大ムーブメントとなります。
「イノセンス・プロジェクト」の目的は、大きく2つあります。
- 過去の冤罪事件の発見と救済
- 冤罪を生まない制度改革や政策提言
過去を教訓に、2度と同じ過ちを起こさない未来を創ろうというわけです。実際この26年の間に、いろいろな進展がありました。
- DNA資料(証拠)への弁護側のアクセスを保証。警察・検察による資料の保管も義務付けられる。
- 警察・検察による取調べ全課程の録音・録画の義務付け。
- 検察による全ての証拠開示の義務付け。
- 検察庁内部に過去の冤罪事件を調査する部門を設置。
- 裁判所内に冤罪捜査委員会を設置(ノースカロライナ州)。
- 州によっては死刑制度を廃止(イリノイ州など)…など。
冤罪救済部門のある検察庁は全米約2300のうちまだ23ヵ所だそうですが、設置されたという事実自体がスゴいと思います。今後も流れは止まらないでしょう。
もうひとつ、スゴいと思ったのが「全米雪冤者データベース」の存在。2300件以上の事例がすべてデータベースに登録され、冤罪の原因が定量的・統計的ににわかようになっているといいます。日本では信じられないハナシです。
日本人の参加者の1人は “まるで飛行機の事故防止策のようだ” と感想を述べていました。1件の墜落事故が起きると原因が徹底的に究明され、同じ原因による事故は2度と発生しないよう万全の策が取られる。「イノセンス・プロジェクト」の取り組みもソックリだと言うのです。 本当にその通りです。
データベースによって分析された冤罪の原因。「偽証・誤った告訴」「裁判官・検察官・警察官等の非違行為」が多いのは、ある意味で日本ソックリ。
■もっと早く『冤罪』を学んでいれば、もっと良い検察官になっていた
報告者の1人、アイラ・ベルキン教授は元・連邦検察官。質疑応答の時間に “現役の検察官時代『冤罪がある』という認識を持っていたか?” と質問してみました。
日本では “自分たちは絶対に正しい。一度起訴したら100%有罪にするし、再審も認めない” という検察の異常な傲慢さが冤罪を生む原因になっています。そこでアメリカの検察官はどんな気持ちで仕事にのぞんでいるのかを聴いてみたかったのです。
アイラ教授はしばらく考え込んだ後、このように答えました。
「誰もが無実の人間を訴追したくて検察官になるワケではありません。ただし人間の性(さが)として、自分の過ちを認めたくないものだし、実際に検察官が過ちを認めないケースもたくさんあります。
私自身もキチンと調査し、十分な証拠を積み上げた上で起訴していたし、自分が誤っているという認識はありませんでした。おそらく検察官の意識は、日本もアメリカも大きく変わらないと思います。それを変えていくには、イノセンス・プロジェクトのような運動しかありません。すべての検察官の意識を変えるのは難しいかもしれませんが…」
しめくくりに “もし現役時代に冤罪について研修を受ける機会があったら、私はもっと良い検察官になっていたかもしれません” とも語ったアイラ教授。答えにくい質問に、正面から答えてくれました。果たして日本で、こうした誠実さと謙虚さを持っている検察官はいるのでしょうか? いると信じたいものですが…。
元・検察官としての心情を語ったアイラ・ベルキン教授。
■台湾、韓国、中国も動き始めている
「イノセンス・プロジェクト」が進んでいるアメリカでさえ、まだたくさんの問題があるといいます。全米230万人の服役囚のうち、20万人以上が冤罪の可能性があること、警察の鑑定人による証拠のねつ造や、検察が過ちを認めないケースも依然としてあるなど…。日本とソックリな部分もありますが “こんな状況はダメだ、何とかしなきゃ!” という意識の高さは雲泥の差です。
冤罪根絶に向けた動きは世界各地でも生まれており、アジアでは台湾が「イノセンス・プロジェクト」にいち早く取りかかっています。昨年その総会に参加した布川事件の桜井昌司さんは “検事総長が出席して挨拶を述べたことに大きな感銘を受けた” と振り返ります。
韓国でも、取調べへの弁護人の立ち会いや録音・録画が始まっています。また自由な言論や活動が制限されている中国でも、北京の弁護士有志などによって冤罪をなくそうという取り組みが始まっているそうです。
日本でも、今回のシンポジウムを主催した『えん罪救済センター』(日本版イノセンス・プロジェクト)が立ち上がるなど、他国に遅れを取りながらも状況が動きはじめています。この流れを断ち切らないよう、できることにチャレンジしていきましょう!(了)
日本版イノセンス・プロジェクト「えん罪救済センター」のHPはこちら!!
【97】強姦えん罪、国賠棄却(怒)裁判所が裁判所を裁くのは無理だった…。
■“検察も裁判所も悪くない” と開き直って国賠を棄却
ありもしない強姦の犯人とされ、再審無罪となった男性が起こしていた国家賠償請求(国賠)が、大阪地方裁判所で棄却されました。夕方のニュースで報道されたので、怒りを覚えた方も多くいらっしゃるでしょう。私も「怒怒怒怒…」です。
おさらいすると、こんな事件です。2008年、当時65歳だった男性が、同居していた14歳の少女に性的被害を与えたとして逮捕・起訴されました。少女は男性の奥さんの連れ子の子どもで、孫のような存在だったといいます。
逮捕のきっかけは “乱暴された” という、少女の被害届。男性は 一貫して無実を訴えますが、警察、検察、裁判所は “勇気を持って訴え出た少女がウソをつくハズがない” というバカの一つ覚え(冤罪量産の典型的パターン)で少女の言葉を鵜呑みにし、懲役12年の刑が確定してしまいます。
その後、成人した少女が男性の弁護人に“本当は被害を受けていない” と告白。男性は刑務所から再審請求し2015年10月、晴れて無罪に。逮捕から約7年の時間が失われていました。
今回の国賠では冤罪を作り上げた検察や裁判所の責任を問うべく、国と大阪府に(後述します)賠償を求めていました。ところが大阪地裁・大島雅弘裁判長は “少女がウソの供述をする動機を見出すことは困難で、検察は通常要求される捜査を怠ったとは言えない” “裁判でも少女がウソを告白したという証拠は提出されていない” と、男性の訴えを門前払い。当時の状況で無実を信じることができなかったのは仕方ない…というわけです。
国賠棄却を伝える夕方のニュース。「報道ランナー」(関西テレビ)より。大島裁判長の心中はいかに…?
■守大助さんのケースにソックリ!最低限の事実調べもせずに有罪
では本当に有罪は不可抗力だったのでしょうか? 再審を進める中で、驚くべき事実が明らかになりました。
・男性が逮捕された2008年の時点で、“少女は性的被害を受けていない” という産婦人科のカルテが存在していた。
・懲役12年の判決を受けた2009年の時点で、すでに少女が “被害はウソ” と打ち明けていた。
実は弁護人も早くから “カルテがあるはずだから調べて欲しい” “少女に話を聴かせて欲しい” と、裁判所に求めていました。しかし大阪高裁・湯川哲嗣(てつし)裁判長(2016年定年退官)は、これらの訴えを門前払いにして男性を有罪にしました。
どうでしょうか…守大助さんの「北陵クリニック事件」にソックリです。このブログでも繰り返し書いてきましたが、カルテを調べれば、医師に聞き取りを行えば、大助さんの無実はスグ明らかになるでしょう。しかし裁判所は事実調べをカタクナに拒み、大助さんを無期懲役囚として刑務所に閉じ込め続けています。
これが日本の裁判の現実です。
ちなみに湯川哲嗣・元裁判長、発売中の雑誌『冤罪File』に登場しています。驚かれるかもしれませんが、冤罪の専門誌があるのです。誌面では本人に直撃インタビューを試みていますが “ノーコメント” を連発して逃げ回っています。これがその写真です。
『冤罪File』2018年冬号・82ページより。この人、ウィキペディアにも出てきます。裁判官を退いた後、国の勲章のひとつである「瑞宝重光章」を受章したらしいです。『冤罪FIle』の購入は写真下のリンクから!!
■冤罪を作った警察、検察、裁判所に懺悔させる仕組みづくりを
今回の件で改めて考えさせられるのが、国賠制度そのものの在り方。公正中立なんてタテマエ。そもそも裁判所が裁判所自身や、同じ国の機関である検察を裁くなど無理なハナシです。国賠を提起する先が裁判所という制度自体、見直さなければなりません。
そして先ほども書きましたが “国と大阪府を相手に賠償を求める” って、ヘンじゃありませんか? 裁判所や検察の責任を問うのに、なぜ国や自治体が相手なのか…? それに “国” って誰のことを指すのか?
要するに警察、検察、裁判所は責任を取らなくて良い仕組みになっているのです。萎縮して職務遂行できなくなるのを防ぐため、個人は免責されるという理屈らしいです。これではイイカゲンな捜査も裁判も野放しし放題、冤罪がなくなるハズありません。
もし一般企業で手抜き仕事をして事故や損失を出したら、その担当者は当然ペナルティを受けるでしょう。しかし刑事司法の世界では、このアタリマエが通用しないようです。
いろいろな冤罪の例を見聞きしても、無実の可能性も含めて証拠を精査して、あらゆる角度から審理を尽くして…それでも無実の人を誤って罰してしまった…という例はほとんどありません。
予断と偏見で最初から犯人と決め付け、基本的な裏付け捜査も事実調べも行わず、強引に自白を迫り、時にはウソの証拠をデッチ上げて無実の人を陥れる、というのが冤罪の現実です。
「布川事件」で29年を獄中で過ごし、再審無罪を勝ち取った桜井昌司さんは “冤罪を作り上げた当事者に責任を取らせる制度づくりが必要” と言います。
「足利事件」で17年を獄中で過ごし、同じく再審無罪となった菅家利和さんも “自分を冤罪に陥れた挙げ句、無実が明らかになっても謝らない刑事を絶対に許せない” と怒りを込めて訴えます。
やはり冤罪救済の第三者機関が必要です。そして冤罪被害を受けた人々への補償費用は湯川哲嗣・元裁判長のような人たちの財産を没収して充てるべきでしょう。(了)
【96】18年前の1月6日、守大助さんは自由を奪われました。
本年も宜しくお願いいたします。引き続き守大助さんの自由を目指す活動を紹介するとともに、日本の司法に想うこと、冤罪をなくすためにできることなどを、一市民の素朴な目線で書いていきたいと思います。
2001年の今日、守大助さんは宮城県警に身柄を拘束されました。それから18年、今日に至るまで自由を奪われています。2019年最初の投稿は、守大助さんの詩を紹介します。
タイトルは『止まったままです』(2015年8月)。
2001年1月6日から今日まで
止まることなく月日は流れている
29歳だった私は 44歳になった
30代は社会での生活はできなかった
40代は社会復帰すると信じている
歳は取ります 時間は過ぎます
でも私の心の中の時計は
2015年になっても
2001年1月6日で止まったままです
歳は取ります 時間は過ぎます
でも私の心の中の時計は
止まったままです
この詩が書かれてから3年が経ちました。今年の4月、大助さんは48歳になります。“40代の社会復帰” の実現を目指して、支援者として頑張ります。
そしてこの「北陵クリニック事件」の決着を付けることなしに、平成を終わらせることなど、とてもできません。
大助さんの詩は、こちらのインターネットラジオで毎週朗読されています。支援者仲間のちーぼーさんがパーソナリティです。一度聴いてみてください!!
・ラジオ放送局ゆめのたね
・『笑顔のチカラヂオちぽびたんでー』
・毎週日曜日22:30〜23:00
守大助さんの詩集『僕は無実です』。大助さんを支援するキリスト教系の団体「日本聖公会東京教区 人権委員会」が発行。
【95】守大助さんからのメッセージ “2019年、勝利と幸せへ向かって”
千葉刑務所の守大助さんから、一足早い新年のメッセージが届きました。弁護団経由で、FAXで送られたものです。大助さんは月に出せる手紙が7通までと制限されているため、全国の支援者に一斉にメッセージを送る場合にはこのような方法が取られています。もちろん刑務所ではスマホもメールもLINEも使えません。全文を紹介します。
※カッコ内は当方による補足です。
2019年、勝利と幸せへ向かって!脇目も振らずがんばります。
私は無実です。絶対に筋弛緩剤を混入していません!!
なにとぞ本年もご支援を宜しくお願い致します。
昨年(2018年)は仙台高裁・嶋原不当決定後も、温かく力強いご支援をいただきまして、本当に有り難うございました。本年は私の年です。「猪突猛進」で闘います(※1)。
地裁・高裁で(再審請求が)棄却され、正直裁判所不信に陥りましたが、(最高裁)第三小法廷・林(景一)裁判長は “先入観にとらわれず、証拠に基づいた裁判をしていく” “最高裁判事として、重大な責任を心にとめ、公正・公平な審理を尽くしてゆく” との発言(※2)を信じています。今度こそ信じて良かったと、心から思えるような決定をいただきたいです。
土橋鑑定(※3)を信用できるという科学者は、一人もいません。裁判所だけ、信用できると判断しているだけです。弁護団が提出した意見書・補充書では、仙台市立病院が「ミトコンドリア病」の症例報告をしてること、その症例がA子ちゃんとほぼ同じであること(※4)、これを知っても裁判所は、筋弛緩剤の症状だと!認定しつづけるのでしょうか?クリニックへの受診前からの症状(※5)を無視しないでほしいです。
全国の皆さん、どうか最高裁へ「差し戻し・再審開始」という風を吹かせて下さい。私は一度も公正な裁判を受けてません。今年4月で48歳になります(※6)。両親は毎日ただ私の救出のための人生を送ってます。元気でいる内に!ここから出る手助けをお願いします。
2019年1月 無実の守大助
〈補足〉
※1:大助さんは1971年4月28生まれの亥(いのしし)年。
※2:最高裁HPの裁判官紹介ページに同種の発言あり。
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/hayashi/index.html
※3:大阪府警科捜研の土橋均吏員(当時)による鑑定。被害者とされる患者5人の資料(尿・血液・点滴液)から筋弛緩剤の成分を検出したとされているが、科学的に不自然な点が多い上、資料が全量消費されて残っていない、実験データや実験ノートが提出されていないなど、鑑定を行ったことを客観的に証明するものが存在しない。このため、鑑定自体がねつ造された疑いさえ持たれている。
※4:被害者とされる1人であるAこちゃん(当時11歳)の急変の原因は、筋弛緩剤ではなく難病「ミトコンドリア病メラス」である疑いが強く持たれている。これを再審請求の柱の1つとして闘っていたところ、A子ちゃんとよく似た10歳女児の症例が仙台市立病院で報告され、同病院はミトコンドリア病と結論づけている。
※5:A子ちゃんは点滴から5分後に「モノが二重に見える」「喉が渇く」「呂律が回らない」などを経て心肺停止状態に。このため警察は急変の原因を点滴と決めつけ、大助さんを逮捕した。しかし点滴前のA子ちゃんは腹痛や嘔吐を発症しおり、これら一連の症状をトータルで検証すると、ミトコンドリア病である疑いがより一層強まっている。
※6:大助さんは2001年1月6日、29歳で逮捕された。それ以来、警察の留置場、拘置所、2008年からは千葉刑務所と、一度も塀の外へ出ていない。 無実でありながら突然身柄を拘束され、気が付いたら20近く歳を重ねていた…もし、こんなことが自分の身に起きたら?想像できるだろうか。
【94】2018年冤罪ニュース〜この1年間を振り返る〜
2018年も残すところ5日となりました。今年も読んでいただいてありがとうございました。年内にもう1〜2本、記事を更新したいと思いますが、冤罪事件についてどんなことがあったか、1年を振り返ってみます。
※守大助さん関連は赤字にしてあります。
1月26日 「帝銀事件」発生(1948年)から70年→現在は東京高裁で第20次再審請求
2月4日 「北陵クリニック事件・守大助さんの再審開始決定を求める全国集会」@仙台弁護士会館
2月6日 「飯塚事件」福岡高等裁判所、再審請求棄却→闘いは最高裁へ
2月28日 「北陵クリニック事件」仙台高等裁判所、再審請求棄却→闘いは最高裁へ
3月12日 「大崎事件」福岡高裁宮崎支部、再審請求(第3次)を認める→検察が特別抗告、闘いは最高裁へ
3月20日 「恵庭OL殺人事件」札幌地方裁判所、再審請求(第2次)棄却
3月24日 ドキュメンタリー映画『獄友』上映スタート
4月7日 「再審における証拠開示シンポジウム」(日弁連)@霞が関弁護士会館
4月28日 守大助さん、千葉刑務所で47歳に。29歳で自由を奪われて約17年半に
6月11日 「袴田事件」東京高裁、再審開始決定(14年・静岡地裁)を取り消し。ただし袴田巖さんの釈放は維持
6月21日 「くりかえすな冤罪!市民集会Ⅱ検察は再審を妨害するな!」@文京区民センター
7月4日 「鈴鹿事件」最高裁、棄却。→懲役17年が確定、加藤映次さん長野刑務所へ
7月11日 「日野町事件」大津地方裁判所、再審開始決定→検察が即時抗告、闘いは大阪高裁へ
7月25日 検事総長交代、西川克行→稲田伸夫(東京高検検事長)に
8月3日 「今市事件」東京高裁、2審も無期懲役→闘いは最高裁へ
8月12日 「恵庭OL殺人事件」受刑者のOさん、札幌刑務所を満期出所
8月18日 「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会・第4回総会」@平和と労働センター
8月25日 「日本母親大会」@高知、守大助さんのお母様・祐子さん、息子の無実を訴える
8月27日 「恵庭OL殺人事件」札幌高等裁判所、再審請求(第2次)の即時抗告棄却→闘いは最高裁へ
10月4日 「司法総行動」@最高裁「無実の守大助さんを守る東京の会」代表として冤罪事件の根絶を訴える
10月10日 「松橋事件」最高裁、検察の特別抗告を棄却→再審開始が確定
10月28日 「飯塚事件」、久間三千年さん無実を訴えながらの死刑執行から10年→現在は遺族による再審請求が最高裁で闘われている
10月29日 「北陵クリニック事件」初の単独最高裁要請
12月12日 「冤罪根絶の国会一日行動」「死刑判決から50年〜袴田さん再収監を許さないアピール行動」@衆議院議員会館
12月20日 「松橋事件」検察が有罪を立証しないと明言。→2019年に開かれる再審公判で無罪がほぼ確実に
以上です。私が知っているだけで、これだけの出来事がありました。まだ見落とした事件・出来事もあるかもしれませんが、再審を求めて闘う事件がこんなに同時に最高裁に係属するのは、異例の事態です。
もう平成も終わろうとしていますが、無実の人が苦しめられている状況は変わっていません。こんなバカなことは許すな!と2019年も引き続き声を上げ続けます。
以前も紹介しましたが、10月4日の「司法総行動」から1枚。宣伝カーの屋根に乗り、最高裁に向かって冤罪根絶を訴えました。
【93】いよいよ再審無罪!「松橋事件」勝利を導いた弁護団のチーム力
■検察は「有罪立証しない」だって
「松橋(まつばせ)事件」で、嬉しいニュースが飛び込んで来ました。年明けの早いうちに熊本地裁で再審公判が開かれ、宮田浩喜(こうき)さんの無罪が確定する見通しとなりました。
少し前にも書きましたが(下記リンク)、予想通りと言うか…検察は「有罪立証しない」という曖昧な態度に出て来ました。
本来であれば宮田さんの無罪を素直に認め謝罪をするべきですが、今回も公益の代表者という責任を放棄し、自分たちのメンツを保とうという愚行を繰り返すことになりそうです。こんな検察の在り方を許すのか、それとも徹底的に正すのか? それは私たちがどれだけ司法に関心を持ち、声を上げ続けるかにかかっています。
【89】再審無罪までもう一歩!!「松橋事件」検察の態度に注目 - Free大助!ノーモア冤罪!
■約20年かけて入念に準備、満を持して再審請求
検察の問題についてはこれからも書いていきたいと思いますが、今回は宮田さんの再審開始に心血を注いだ弁護士さんたちの活躍をクローズアップします。最高裁が再審開始を確定させた直後の10月26日に、弁護団の一員である齋藤誠弁護士からお話を伺う機会がありました。一部を紹介します。
※文章は録音を基に編集の上、作成しています。文責は当方にあります。
「私が松橋事件の弁護人となったのは、上告審を闘っている時(※)でした。滅多刺ししているはずなのに宮田さんの着衣からも、凶器とされた小刀からも血液反応が出ておらず、明らかにおかしいと感じました。これは“再審しかない”と、最高裁で上告が棄却された直後から再審請求の準備に取りかかりました」
※松橋事件・裁判の流れ
- 1985年1月 事件発生、宮田さん逮捕
- 1986年12月 熊本地裁、宮田さんに懲役13年の有罪判決
- 1988年6月 控訴審・福岡高裁、宮田さんの控訴を棄却
- 齋藤弁護士が国選弁護人に
- 1990年1月 上告審・最高裁、宮田さんの上告を棄却(上で斎藤弁護士が語った上告棄却はこのこと)
- 1999年3月 宮田さん仮出所
- 2012年3月 熊本地裁に再審請求
「再審開始を後押しした布切れ(※)を発見したのは1997年。検察庁の小部屋でバラバラの布切れを合わせたところ欠けたカ所がなく、自白では焼却したとされる部分も存在していました。 この時の“これで自白が虚偽であることを証明できる!”という喜びと興奮は、今も忘れられません」
※「布切れ」を含む事件の概要は、こちらに書きました。
【27】冤罪「松橋事件」どうする検察!? 12月4日に注目! - Free大助!ノーモア冤罪!
「しかし布切れだけでは勝てないだろうと法医学鑑定も行い、凶器とされた小刀と刺し傷の矛盾も明らかにしました。法医学の先生は、パッと頼んだらすぐにやってくれるものではありません。何故その鑑定が必要なのか?どんな実験をやるべきか?など、弁護団と何度も検討を重ねて信頼関係を築いた上でやらないと、裁判所を納得させる鑑定書は書けません」
「こうして約20年かけて準備をして、2012年3月に再審請求しました。弁護団には他の再審事件を手がける弁護士も入り、長く一緒にやるうちに互いにツーカーの関係を築けて、議論がかみ合う弁護団を形成できました。さらに日弁連の『再審弁護団会議』や『九州再審弁護団連絡会』に参加して他事件の弁護団とも交流し、アドバイスも受けました」
斎藤誠弁護士。 10月26日、再審を闘う冤罪事件の支援者に、松橋事件の闘いの軌跡を語る。
以上、齋藤弁護士のお話でした。私は布切れの発見は再審請求後のことだとばかり思っていましたが、20年以上も前だったことに驚きました。
“疑わしきは被告人の利益に”という刑事裁判の鉄則を考えれば、布切れが見つかった時点で再審請求に踏み切っても良かったと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし1つの新証拠だけでは、なかなか無罪を勝ち取れないのもまた現実です。あらゆる方向から疑問点を潰し、裁判所が寸分の疑問も抱かずに再審開始決定を出せるよう準備を怠らなかった弁護団に、ただ頭が下がる思いです。
弁護団の結束の高さやチームワークの良さ、他事件の弁護団との交流も素晴らしいと思います。同じチームで長く続けていると、大切なポイントを見落とすこともあります。とにかくマンネリに陥らず、常に新しい視点はないか、外部の力も借りて模索し続けることは大切ですね。
■三者協議を活用して裁判所をその気に
再審請求後の取り組みについては、三角恒(みすみこう)・主任弁護人が、書籍『緊急提言!刑事再審法改正と国会の責任』(九州再審弁護団連絡会・編)で詳細に書いています。一部を抜粋して紹介します。
そもそも再審請求というのは確定判決の誤りを正すというものであり、最高裁まで争われて確定した判断が誤っているという弁護側の主張に裁判所が簡単に乗ってくるはずはないであろう。
裁判所をいかに説得して、その気にさせるのかが問題である。すなわち裁判所を証拠開示に積極的になるようにしなければならない。
再審請求から決定が出るまでに4年間の年月(※)を費やしたが、その間の三者協議は20回を超えた。
※2012年3月、再審請求→2016年6月、熊本地裁が再審開始決定。
三者協議には弁護士が毎回少なくとも10名以上は必ず出席し、1〜2名の検察官に対して数の上で圧倒した。
さらに、三者協議の後では毎回マスコミへのレクチャーを行い、その内容が必ず報道されていたので、報道内容については裁判官の眼にも留まっていたはずである。このような経過を経て、裁判所が少しずつ心証を固めていったのではないかと思われる。
熊本地方裁判所は、弁護側が求めていた証拠開示の申し立てに対して、2013年12月9日、検察官に対して証拠開示勧告を出した。(中略)犯行現場に残された血痕や指紋、足跡などに関する鑑定書等の客観的な証拠や未提出の関係者の供述書等11項目についてのものである。
全文はこちらで!! 「松橋事件」の他にも「大崎事件」「飯塚事件」など九州で再審を求めて闘っている冤罪事件の取り組みや、法制度改革に向けた提言など、再審をめぐる最前線を知ることのできる1冊です。
検察が隠し持っている証拠を開示させるのも、再審開始決定を出すのも、無罪を言い渡すのも、すべて裁判所。なのでいかに裁判所を味方に付けるかが、とても重要です。“裁判所はわかってくれるだろう”ではなく、マスメディアも使って積極的に情報を提供して働きかけたことが、再審を勝ち取れた要因に違いありません。“1〜2名の検察官に対して10人の弁護士”というのも、裁判所に強烈な印象を与えたでしょう。
ジャンルは全く異なりますが、私はある空手の先生の言葉を思い出しました。
「試合に勝つためには、自分のことだけを考えていてはダメ。勝ち負けを決めるのは審判であり、観客の反応も判定に影響を及ぼす。だから審判と観客を味方に付けるにはどうするか、試合場全体に視野を広げて、戦略を立てなければならない」
審判=裁判所、観客=マスメディアを含む世論と、そのまま読み替えることができると思います。「松橋事件」弁護団の取り組みは、ビジネスやスポーツでも参考になると感じました。私も見習いたいと思います。
「松橋事件」弁護団。左端が三角恒弁護士。2017年11月29日、福岡高裁の再審開始決定後の記者会見で。写真は「日本国民救援会」HPより。