Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【96】18年前の1月6日、守大助さんは自由を奪われました。

本年も宜しくお願いいたします。引き続き守大助さんの自由を目指す活動を紹介するとともに、日本の司法に想うこと、冤罪をなくすためにできることなどを、一市民の素朴な目線で書いていきたいと思います。

2001年の今日、守大助さんは宮城県警に身柄を拘束されました。それから18年、今日に至るまで自由を奪われています。2019年最初の投稿は、守大助さんの詩を紹介します。

タイトルは『止まったままです』(2015年8月)

 

2001年1月6日から今日まで

止まることなく月日は流れている

29歳だった私は 44歳になった

30代は社会での生活はできなかった

40代は社会復帰すると信じている

歳は取ります 時間は過ぎます

でも私の心の中の時計は

2015年になっても

2001年1月6日で止まったままです

歳は取ります 時間は過ぎます

でも私の心の中の時計は

止まったままです

 

この詩が書かれてから3年が経ちました。今年の4月、大助さんは48歳になります。“40代の社会復帰” の実現を目指して、支援者として頑張ります。

そしてこの「北陵クリニック事件」の決着を付けることなしに、平成を終わらせることなど、とてもできません。

大助さんの詩は、こちらのインターネットラジオで毎週朗読されています。支援者仲間のちーぼーさんがパーソナリティです。一度聴いてみてください!!

・ラジオ放送局ゆめのたね

・『笑顔のチカラヂオちぽびたんでー』

・毎週日曜日22:30〜23:00

www.yumenotane.jp

 

守大助さんの詩集『僕は無実です』。大助さんを支援するキリスト教系の団体「日本聖公会東京教区 人権委員会」が発行。

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【95】守大助さんからのメッセージ “2019年、勝利と幸せへ向かって”

千葉刑務所の守大助さんから、一足早い新年のメッセージが届きました。弁護団経由で、FAXで送られたものです。大助さんは月に出せる手紙が7通までと制限されているため、全国の支援者に一斉にメッセージを送る場合にはこのような方法が取られています。もちろん刑務所ではスマホもメールもLINEも使えません。全文を紹介します。

※カッコ内は当方による補足です。

 

2019年、勝利と幸せへ向かって!脇目も振らずがんばります。

私は無実です。絶対に筋弛緩剤を混入していません!!

なにとぞ本年もご支援を宜しくお願い致します。

昨年(2018年)は仙台高裁・嶋原不当決定後も、温かく力強いご支援をいただきまして、本当に有り難うございました。本年は私の年です。「猪突猛進」で闘います(※1)

地裁・高裁で(再審請求が)棄却され、正直裁判所不信に陥りましたが、最高裁第三小法廷・林(景一)裁判長は “先入観にとらわれず、証拠に基づいた裁判をしていく” “最高裁判事として、重大な責任を心にとめ、公正・公平な審理を尽くしてゆく” との発言(※2)を信じています。今度こそ信じて良かったと、心から思えるような決定をいただきたいです。

土橋鑑定(※3)を信用できるという科学者は、一人もいません。裁判所だけ、信用できると判断しているだけです。弁護団が提出した意見書・補充書では、仙台市立病院が「ミトコンドリア病」の症例報告をしてること、その症例がA子ちゃんとほぼ同じであること(※4)、これを知っても裁判所は、筋弛緩剤の症状だと!認定しつづけるのでしょうか?クリニックへの受診前からの症状(※5)を無視しないでほしいです。

全国の皆さん、どうか最高裁へ「差し戻し・再審開始」という風を吹かせて下さい。私は一度も公正な裁判を受けてません。今年4月で48歳になります(※6)。両親は毎日ただ私の救出のための人生を送ってます。元気でいる内に!ここから出る手助けをお願いします。

2019年1月 無実の守大助

 

〈補足〉

※1:大助さんは1971年4月28生まれの亥(いのしし)年。

※2:最高裁HPの裁判官紹介ページに同種の発言あり。

http://www.courts.go.jp/saikosai/about/saibankan/hayashi/index.html

※3:大阪府警科捜研の土橋均吏員(当時)による鑑定。被害者とされる患者5人の資料(尿・血液・点滴液)から筋弛緩剤の成分を検出したとされているが、科学的に不自然な点が多い上、資料が全量消費されて残っていない、実験データや実験ノートが提出されていないなど、鑑定を行ったことを客観的に証明するものが存在しない。このため、鑑定自体がねつ造された疑いさえ持たれている。

※4:被害者とされる1人であるAこちゃん(当時11歳)の急変の原因は、筋弛緩剤ではなく難病「ミトコンドリア病メラス」である疑いが強く持たれている。これを再審請求の柱の1つとして闘っていたところ、A子ちゃんとよく似た10歳女児の症例が仙台市立病院で報告され、同病院はミトコンドリア病と結論づけている。

※5:A子ちゃんは点滴から5分後に「モノが二重に見える」「喉が渇く」「呂律が回らない」などを経て心肺停止状態に。このため警察は急変の原因を点滴と決めつけ、大助さんを逮捕した。しかし点滴前のA子ちゃんは腹痛や嘔吐を発症しおり、これら一連の症状をトータルで検証すると、ミトコンドリア病である疑いがより一層強まっている。

※6:大助さんは2001年1月6日、29歳で逮捕された。それ以来、警察の留置場、拘置所、2008年からは千葉刑務所と、一度も塀の外へ出ていない。 無実でありながら突然身柄を拘束され、気が付いたら20近く歳を重ねていた…もし、こんなことが自分の身に起きたら?想像できるだろうか。

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【94】2018年冤罪ニュース〜この1年間を振り返る〜

2018年も残すところ5日となりました。今年も読んでいただいてありがとうございました。年内にもう1〜2本、記事を更新したいと思いますが、冤罪事件についてどんなことがあったか、1年を振り返ってみます。

※守大助さん関連は赤字にしてあります。

 

1月26日 帝銀事件発生(1948年)から70年→現在は東京高裁で第20次再審請求

2月4日 「北陵クリニック事件・守大助さんの再審開始決定を求める全国集会」@仙台弁護士会

2月6日 飯塚事件福岡高等裁判所、再審請求棄却→闘いは最高裁

2月28日 「北陵クリニック事件」仙台高等裁判所、再審請求棄却→闘いは最高裁

3月12日 「大崎事件」福岡高裁宮崎支部、再審請求(第3次)を認める→検察が特別抗告、闘いは最高裁

3月20日 「恵庭OL殺人事件」札幌地方裁判所、再審請求(第2次)棄却

3月24日 ドキュメンタリー映画『獄友』上映スタート

4月7日 「再審における証拠開示シンポジウム」日弁連)@霞が関弁護士会

4月28日 守大助さん、千葉刑務所で47歳に。29歳で自由を奪われて約17年半に

5月9日 高知白バイ事件最高裁、再審請求を棄却

6月11日 袴田事件東京高裁、再審開始決定(14年・静岡地裁を取り消し。ただし袴田巖さんの釈放は維持

6月21日 「くりかえすな冤罪!市民集会Ⅱ検察は再審を妨害するな!」@文京区民センター

7月4日 鈴鹿事件」最高裁、棄却。→懲役17年が確定、加藤映次さん長野刑務所へ

7月11日 「日野町事件」津地方裁判所、再審開始決定→検察が即時抗告、闘いは大阪高裁へ

7月25日 検事総長交代、西川克行→稲田伸夫(東京高検検事長

8月3日 「今市事件」東京高裁、2審も無期懲役→闘いは最高裁

8月12日 「恵庭OL殺人事件」受刑者のOさん、札幌刑務所を満期出所

8月18日 「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会・第4回総会」@平和と労働センター

8月25日 「日本母親大会」@高知、守大助さんのお母様・祐子さん、息子の無実を訴える

8月27日 「恵庭OL殺人事件」札幌高等裁判所、再審請求(第2次)の即時抗告棄却→闘いは最高裁

10月4日 「司法総行動」最高裁「無実の守大助さんを守る東京の会」代表として冤罪事件の根絶を訴える

10月10日 「松橋事件」最高裁、検察の特別抗告を棄却→再審開始が確定

10月28日 飯塚事件久間三千年さん無実を訴えながらの死刑執行から10年→現在は遺族による再審請求が最高裁で闘われている

10月29日 「北陵クリニック事件」初の単独最高裁要請

12月12日 「冤罪根絶の国会一日行動」「死刑判決から50年〜袴田さん再収監を許さないアピール行動」衆議院議員会館

12月20日 「松橋事件」検察が有罪を立証しないと明言。→2019年に開かれる再審公判で無罪がほぼ確実に

 

以上です。私が知っているだけで、これだけの出来事がありました。まだ見落とした事件・出来事もあるかもしれませんが、再審を求めて闘う事件がこんなに同時に最高裁に係属するのは、異例の事態です。

もう平成も終わろうとしていますが、無実の人が苦しめられている状況は変わっていません。こんなバカなことは許すな!と2019年も引き続き声を上げ続けます。

 

以前も紹介しましたが、10月4日の「司法総行動」から1枚。宣伝カーの屋根に乗り、最高裁に向かって冤罪根絶を訴えました。

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【93】いよいよ再審無罪!「松橋事件」勝利を導いた弁護団のチーム力

■検察は「有罪立証しない」だって

「松橋(まつばせ)事件」で、嬉しいニュースが飛び込んで来ました。年明けの早いうちに熊本地裁で再審公判が開かれ、宮田浩喜(こうき)さんの無罪が確定する見通しとなりました。

 少し前にも書きましたが(下記リンク)、予想通りと言うか…検察は「有罪立証しない」という曖昧な態度に出て来ました。

本来であれば宮田さんの無罪を素直に認め謝罪をするべきですが、今回も公益の代表者という責任を放棄し、自分たちのメンツを保とうという愚行を繰り返すことになりそうです。こんな検察の在り方を許すのか、それとも徹底的に正すのか? それは私たちがどれだけ司法に関心を持ち、声を上げ続けるかにかかっています。

【89】再審無罪までもう一歩!!「松橋事件」検察の態度に注目 - Free大助!ノーモア冤罪!

 ■約20年かけて入念に準備、満を持して再審請求

検察の問題についてはこれからも書いていきたいと思いますが、今回は宮田さんの再審開始に心血を注いだ弁護士さんたちの活躍をクローズアップします。最高裁が再審開始を確定させた直後の10月26日に、弁護団の一員である齋藤誠弁護士からお話を伺う機会がありました。一部を紹介します。

※文章は録音を基に編集の上、作成しています。文責は当方にあります。

  「私が松橋事件の弁護人となったのは、上告審を闘っている時(※)でした。滅多刺ししているはずなのに宮田さんの着衣からも、凶器とされた小刀からも血液反応が出ておらず、明らかにおかしいと感じました。これは“再審しかない”と、最高裁で上告が棄却された直後から再審請求の準備に取りかかりました」

 ※松橋事件・裁判の流れ

  •  1985年1月 事件発生、宮田さん逮捕
  •  1986年12月 熊本地裁、宮田さんに懲役13年の有罪判決
  •  1988年6月 控訴審福岡高裁、宮田さんの控訴を棄却
  •         齋藤弁護士が国選弁護人に
  •  1990年1月 上告審・最高裁、宮田さんの上告を棄却(上で斎藤弁護士が語った上告棄却はこのこと)
  •  1999年3月 宮田さん仮出所
  •  2012年3月 熊本地裁に再審請求

 「再審開始を後押しした布切れ(※)を発見したのは1997年。検察庁の小部屋でバラバラの布切れを合わせたところ欠けたカ所がなく、自白では焼却したとされる部分も存在していました。 この時の“これで自白が虚偽であることを証明できる!”という喜びと興奮は、今も忘れられません」

 ※「布切れ」を含む事件の概要は、こちらに書きました。

【27】冤罪「松橋事件」どうする検察!? 12月4日に注目! - Free大助!ノーモア冤罪!

 「しかし布切れだけでは勝てないだろうと法医学鑑定も行い、凶器とされた小刀と刺し傷の矛盾も明らかにしました。法医学の先生は、パッと頼んだらすぐにやってくれるものではありません。何故その鑑定が必要なのか?どんな実験をやるべきか?など、弁護団と何度も検討を重ねて信頼関係を築いた上でやらないと、裁判所を納得させる鑑定書は書けません」

 「こうして約20年かけて準備をして、2012年3月に再審請求しました。弁護団には他の再審事件を手がける弁護士も入り、長く一緒にやるうちに互いにツーカーの関係を築けて、議論がかみ合う弁護団を形成できました。さらに日弁連の『再審弁護団会議』や『九州再審弁護団連絡会』に参加して他事件の弁護団とも交流し、アドバイスも受けました」

斎藤誠弁護士。 10月26日、再審を闘う冤罪事件の支援者に、松橋事件の闘いの軌跡を語る。

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以上、齋藤弁護士のお話でした。私は布切れの発見は再審請求後のことだとばかり思っていましたが、20年以上も前だったことに驚きました。

“疑わしきは被告人の利益に”という刑事裁判の鉄則を考えれば、布切れが見つかった時点で再審請求に踏み切っても良かったと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし1つの新証拠だけでは、なかなか無罪を勝ち取れないのもまた現実です。あらゆる方向から疑問点を潰し、裁判所が寸分の疑問も抱かずに再審開始決定を出せるよう準備を怠らなかった弁護団に、ただ頭が下がる思いです。

弁護団の結束の高さやチームワークの良さ、他事件の弁護団との交流も素晴らしいと思います。同じチームで長く続けていると、大切なポイントを見落とすこともあります。とにかくマンネリに陥らず、常に新しい視点はないか、外部の力も借りて模索し続けることは大切ですね。

 三者協議を活用して裁判所をその気に

再審請求後の取り組みについては、三角恒(みすみこう)・主任弁護人が、書籍『緊急提言!刑事再審法改正と国会の責任』(九州再審弁護団連絡会・編)で詳細に書いています。一部を抜粋して紹介します。

そもそも再審請求というのは確定判決の誤りを正すというものであり、最高裁まで争われて確定した判断が誤っているという弁護側の主張に裁判所が簡単に乗ってくるはずはないであろう。

 裁判所をいかに説得して、その気にさせるのかが問題である。すなわち裁判所を証拠開示に積極的になるようにしなければならない。

 再審請求から決定が出るまでに4年間の年月(※)を費やしたが、その間の三者協議は20回を超えた。

※2012年3月、再審請求→2016年6月、熊本地裁が再審開始決定。

 三者協議には弁護士が毎回少なくとも10名以上は必ず出席し、1〜2名の検察官に対して数の上で圧倒した。

 さらに、三者協議の後では毎回マスコミへのレクチャーを行い、その内容が必ず報道されていたので、報道内容については裁判官の眼にも留まっていたはずである。このような経過を経て、裁判所が少しずつ心証を固めていったのではないかと思われる。

 熊本地方裁判所は、弁護側が求めていた証拠開示の申し立てに対して、2013年12月9日、検察官に対して証拠開示勧告を出した。(中略)犯行現場に残された血痕や指紋、足跡などに関する鑑定書等の客観的な証拠や未提出の関係者の供述書等11項目についてのものである。

全文はこちらで!! 「松橋事件」の他にも「大崎事件」「飯塚事件」など九州で再審を求めて闘っている冤罪事件の取り組みや、法制度改革に向けた提言など、再審をめぐる最前線を知ることのできる1冊です。

 検察が隠し持っている証拠を開示させるのも、再審開始決定を出すのも、無罪を言い渡すのも、すべて裁判所。なのでいかに裁判所を味方に付けるかが、とても重要です。“裁判所はわかってくれるだろう”ではなく、マスメディアも使って積極的に情報を提供して働きかけたことが、再審を勝ち取れた要因に違いありません。“1〜2名の検察官に対して10人の弁護士”というのも、裁判所に強烈な印象を与えたでしょう。

ジャンルは全く異なりますが、私はある空手の先生の言葉を思い出しました。

「試合に勝つためには、自分のことだけを考えていてはダメ。勝ち負けを決めるのは審判であり、観客の反応も判定に影響を及ぼす。だから審判と観客を味方に付けるにはどうするか、試合場全体に視野を広げて、戦略を立てなければならない」

審判=裁判所、観客=マスメディアを含む世論と、そのまま読み替えることができると思います。「松橋事件」弁護団の取り組みは、ビジネスやスポーツでも参考になると感じました。私も見習いたいと思います。

 「松橋事件」弁護団。左端が三角恒弁護士。2017年11月29日、福岡高裁の再審開始決定後の記者会見で。写真は「日本国民救援会」HPより。

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【92】袴田事件・袴田巖さんの再収監を許さないアピール(全文紹介)

12月12日に国会前で行われた「袴田巖さんの再収監を許さないアピール」。

声明文も発表されましたので、全文を紹介します。

 

袴田事件」は、1966年に静岡県で一家4人が殺害され、元プロボクサーの袴田巖さん(82歳)の死刑判決がいったん確定した事件です。袴田さんは裁判で一貫して無実を主張しましたが、受け入れられませんでした。

 それが2014年3月、静岡地方裁判所は「再審(裁判のやり直し)開始」を認め、袴田さんは約48年ぶりに拘置所から釈放されました。再審開始決定は「無罪」が前提で、決定文には「これ以上の身柄拘束は、耐えがたいほど正義に反する」とまで記されています。

 ところが、再審開始決定に対する検察の不服申し立てを受けた東京高等裁判所は、2018年6月、静岡地裁の決定を180度転換し、再審開始決定を取り消しました。つまり、袴田さんには「死刑」が相当だというのです。

わずか4年の間に「無罪」と「死刑」の相反する判断が下される異常事態です。袴田さんの弁護団は、最高裁判所に対して不服申し立てを行い、再審開始を認めるよう求めています。

 静岡地裁の決定を覆した東京高裁は、袴田さんをあらためて拘置所に収容すること(再収監)までは認めませんでした。しかし、検察は袴田さんの再収監を認めるよう、最高裁に強く求めています。最高裁の判断によっては、袴田さんはいつ拘置所に逆戻りさせられてもおかしくない、とても危険な状況に置かれています。

 注意しなければならないのは、袴田さんが再収監されるということは、死刑の執行を前提とするということです。一度は無罪を前提に釈放された人間が、わずか4年後に「お前はやはり死刑だ」と再収監されるなどということが許されてよいのでしょうか。

 もし、そんなことが現実に起これば、弁護団も訴えているとおり、「世界にも例を見ない前近代的、非人道的な事態」です。人命を弄ぶにも等しい行為であり、最高裁だけでなく司法全体に対する国民の信頼を著しく失墜させるに違いありません。

 袴田巖さんは無実です。絶対に袴田さんを再収監させないよう、私たちは最高裁をはじめとする司法機関だけでなく、他の関係諸機関にも強く求めていきます。多くの皆様からの賛同を心からお願いします。

Free HAKAMADA!

2018年12月12日

 

≪呼びかけ人≫(五十音順)

赤堀政夫(島田事件・冤罪被害者)    青木惠子(東住吉事件・冤罪被害者)    

纐纈あや(映画監督)          李政美(ミュージシャン)       

宇井眞紀子(フォトグラファー)     太田昌国(民族問題研究・編集者)   

金聖雄(映画監督)           きむきがん(劇団石(トル))  

鎌田慧ルポライター)         神田香織(講談師)

神谷広志(将棋棋士8段)        河野“菌ちゃん”俊二(ミュージシャン) 

小室等(ミュージシャン)        こむろゆい(ミュージシャン)   

櫻井昌司(布川事件・冤罪被害者)     佐藤優(作家)

周防正行(映画監督)               菅家利和足利事件・冤罪被害者)     

陣内直行(プロデューサー)        谷川賢作(ミュージシャン) 

ダースレイダー(ラッパー)          趙 博(ミュージシャン)      

豊田直巳(フォトジャーナリスト)       中川五郎(ミュージシャン)      

中村一成(ジャーナリスト)            中山千夏(作家)                

新田渉世(日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会委員長)

野田正彰(精神科医)                  福島泰樹歌人

朴 保(ミュージシャン)               松山千春(ミュージシャン)          

松元ヒロ(コメディアン)            南椌椌(絵本作家)              

免田榮・玉枝(免田事件・冤罪被害者)   森達也(映画監督・作家)            

吉村喜彦(作家)                       輪島功一(元世界ジュニアミドル級王者)
渡辺均(日本プロボクシング協会協会長)

 

プロボクサーとして活躍していた頃の袴田巖さん。右は1961年のフィリピン遠征時と言われている。写真は支援団体HPなどより。

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【91】袴田巖さんを死刑台に連れ戻すな!!再収監を許さないアピールに180人

■取り急ぎ、昨日の様子をお知らせします

38年前の今日、袴田巖さんの死刑が確定しました。1980年12月12日、最高裁判所は袴田さんの無実を訴える声を退けました。これにより袴田さんは死刑囚として東京拘置所に閉じ込められ、いつ刑が執行されるかもしれないという恐怖と来る日も来る日も闘ううちに、精神を病んでしまいました。

2014年3月、静岡地裁が「再審開始」と「刑の執行停止」という大英断を下し、自由の身となった袴田さん。しかし直後に検察が抗告、今年6月に東京高裁で再審開始が取り消され、再び再審開始を勝ち取るべく闘いは最高裁へ。

検察は何と “袴田さんを拘置所に再収監すべき” つまり “死刑台に連れ戻せ” という意見書まで提出してきました。最高裁が今度はどんな判断を下すのか、予断を辞さない状況です。

というわけで、このブログでも予告した「袴田さん再収監を許さないアピール行動」が予定通り行われました。

【84】12月12日「冤罪根絶の国会一日行動」やります! - Free大助!ノーモア冤罪!

衆議院会館前の路上に約180人が集結。有志が入れ替わり立ち替わりマイクを手にリレートークを行いました。

袴田さんの弁護団輪島功一さんはじめボクシング関係者、冤罪被害者の桜井昌司さん布川事件、青木恵子さん(東住吉事件)菅家利和さん足利事件、国会からは二比聡平さん日本共産党福島瑞穂さん社民党、静岡の支援者の皆さん、そして…、

“50年闘ってきても巖の無罪が勝ち取れなかった。ならば100年でも闘う” と、胸を張り決意を語った姉の袴田秀子さん。

どの皆さんのトークも、本当に胸に響くものでした。そしてどのアピールからも危機感がハンパでないことが、ヒシヒシと伝わってきました。

今年6月に、まさかの再審開始決定の取り消し。今度だって “まさか再収監なんてないだろう” なんて楽観視していたら、その “まさか” が本当になってしまう…ということになりかねません。何をしでかすか分からないのが、日本の刑事司法です。

無実が明らかな袴田さんを死刑台に連れ戻してまで再審を認めようとしない検察と、全くのブラックボックスで何を考えているのかわからない最高裁。司法の狂気を食い止めるのは、私たち1人ひとりの良心しかありません。今こそ力を結集させる時です。

以上取り急ぎの報告でした。トークの内容は改めて追加していきます。

不撓不屈の袴田秀子さん。その右は二比聡平議員、左から秀子さんを覗き込むのは輪島功一さん。人、人、人…の中で必死に撮ったので雑な写真になってしまいました。

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【90】「東名あおり運転」裁判と、守大助さん・無期懲役の判決文に想うこと

■“極刑にしろ!!”と言いたくなる気持ちはわかりますが…

「東名あおり運転事故」の裁判員裁判が始まりました。案の定というか、被告人の非道ぶりを強調した報道が始まり、ネットニュースのコメント欄は “極刑にしろ!!” という書き込みで埋め尽くされています。こうした状況に、本当に背筋が寒くなります。

私だって 、亡くなったご夫婦、目の前で両親を殺された姉妹、巻き添えになったトラックドライバーのことを思うと、被告人の行為には言葉にできない憤りを覚えます。だからこそ冷静になって、過激なことを口にするのを控えたいのです。

何故こんなことを書いたかというと、守大助さんを無期懲役にした仙台地方裁判所の判決文(2004年3月)を改めて読んで、本当に恐ろしいと感じたからです。

 

被害者感情を煽り “極刑もあり得た” という判決文 

とくに「結論」の章が大助さんへの敵意むき出しで、これが本当に裁判所が出した公文書(判決文は立派な公文書です)なのか?と、目を疑ったほどです。一部を抜粋して紹介します(一部カ所の赤字化、カッコ内補足説明は筆者による)

 

本件は、多数の入通院患者に対し継続的に医療行為を実施していた相当規模の病院である北陵クリニックにおいて、合計5名の患者に対し、未必的な殺意を有しながら、それぞれ、犯行時施行されていた点滴の点滴ルートを介して、それ自体極めて危険な作用を伴う筋弛緩剤であるマスキュラクス溶液を当該患者の体内に注入し、いずれも容態の急変を生ぜしめ、1名を死亡させ、1名を死亡させるに至らなかったものの、回復見込みのないいわゆる植物状態に陥れ、他の3名についても、死の危機に直面させたという、医療施設内において、医療行為を装って敢行された殺人、同未遂事件としては、前代未聞の重大極まりない凶悪事犯である。

(中略)

本件死亡被害者であるS子(※89歳女性)は、身体は不自由であるものの、他人との会話等は普通にでき、被害者なりに平穏な余生を楽しもうとしていた矢先、突如として、むしろ親しく言葉をかけるなどして、他の看護職員以上に信頼を寄せていた被告人から、予想もしない凶行の対象とされ、極度の無念さと苦しみのうちにその生涯を閉じざるを得なかったものであり、その孫に当たる遺族が被害者の無念さ、悔しさを代弁すべく、意見陳述において、その気持ちを吐露し、被告人に対する極刑を求めている

また被害者A子(※植物状態になった11歳女児)は、当時小学6年生で、その未来は無限に広がっていたはずであるのに、やはり、誠に理不尽にも、被告人の凶行の的となり、突然に襲ってきた身体の変調の中でもがき苦しみ、かつ、恐らくは絶望をも感じながら、ついに、否応なく脳に重度の障害を負わされ、前途にあった全生活を一挙に奪われ、自らは何もできず、絶えず完全かつ細心の注意を払った介護が必要な状況に陥れられたのである。(中略)両親は、本件当初から消えることのない愕然たる思いとやり場のない怒り、悲しみに耐える中、共に証人として出廷し、被害者人の思いや家族のみじめな状況等を絞り出すようにして、切々と訴えた上で、被告人に対する極刑を切望している

 (中略)

以上の重大な罪を犯したことに対し、被告人は、反省、悔悟の表出がないばかりか、かえって、当公判廷において、多岐にわたる不合理な弁解を重ねており、これが被害者等の被害感情をいたずらに増幅させていることは明らかというべく、また、いかにも、半田夫妻(※北陵クリニックのオーナー)や同僚看護婦等多数の関係者の方に非や虚偽があるような供述を繰り返したものであって、この点が、別途各関係者に与えた精神的苦痛や社会生活上の影響も計り知れない。

(中略)

このように見てくると、被告人に有利に解すべき事情としては、せいぜい、被告人に前科前歴がないことが挙げられるにとどまり、仮に、被告人において十分な反省悔悟の情を表したとしても、その責任の重さは、有期の懲役刑では賄えないほどのものと言い得るところ、被告人は実際には、前示のとおり、かえって被害者感情を増幅させ、多数の関係者に深刻な打撃、影響を及ぼしており、この点からして、極刑をも視野に入れた検討を必要とするほどの状況があるといえる。

しかし結局、極刑の選択自体は、極めて慎重であるべく、反面、無期懲役刑で処断すべき罪責に大きな幅が存することは否定し難く、以上に触れたほか、諸般の情状を総合勘案の上、被告人に対しては、主文掲記のとおり無期懲役刑を科し、生涯をもって長くそのしょく罪の道を歩ませるのが相当であるとの結論に達した。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 無期懲役)平成16年3月30日 仙台地方裁判所第1刑事部

裁判長裁判官 畑中英明

裁判官 佐々木直

裁判官 阿閉正則

 

 どうでしょうか? いたずらに被害者感情を煽り、 無実を訴える大助さんの切実な声を “不合理な弁解” と切り捨て、“極刑をも視野に入れた” など、正気の沙汰とは思えません。仙台地裁は私刑(リンチ)を代行する場になってしまったのでしょうか?

判決文はこの「結論」の前に約150ページを使い、あれこれ理屈をこねて大助さんや弁護団の主張を退ける一方で、マトモな裏付けもない警察・検察の言い分だけを採用し、無期懲役という判決を導いています。

全文はこちらのリンクでご覧いただけます。

裁判資料: 仙台北陵クリニック・筋弛緩剤冤罪事件全国連絡会

 大助さんと弁護団は当然判決を不服として闘いを続けますが、仙台高裁(控訴審/2006年)、最高裁(上告審/2008年)ともに無期懲役を支持。再審請求は事実調べもマトモな審理もされないまま棄却され(2014年、2018年)、現在は再び最高裁で闘っているという状況です。

 

■あの冤罪事件の死刑判決を後押ししたのも世論だった

しかし私は、裁判所だけを非難する気にはなれません。こんな判決文が生まれた背景に “守大助を許すな” という社会の空気があったのは間違いありません。大助さんが逮捕された当時、マスメディアは “恐怖の点滴殺人事件” として大々的に報道。それに吊られるように世論が形成されました。冤罪の可能性を報じたメディアもありましたが、まだ少数派でした。

メディアと群集心理が一体となったプレッシャーに、裁判所がまったく無関係でいられるでしょうか?この事件、裁判員裁判だったら(当時はまだ制度がなかった)無罪が取れたと言う方もいますが、トンでもないと思います。厳罰を望む声に押され、それこそ極刑になっていたかもしれません。

以前も紹介した「北陵クリニック事件」の全体像が網羅された1冊。メディア報道の問題についても書かれています。

 

 

たとえば「袴田事件」だってそうです。今こそ袴田巖さんは無実という認識が広まっていますが、事件発生当初の報道は本当にヒドく “ボクサー崩れの極悪人” という空気が万延していったといいます。死刑判決を下した裁判官の1人は後に “やはり報道の影響は大きかったと思う” と語ったそうです。

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袴田さん逮捕を報じる毎日新聞(1966年8月18日)。“不敵なうす笑い”などと、完全に極悪人扱い。「人権と報道・連絡会」資料より。

 だから、いたずらに被害者感情を煽り “極刑にしろ!!” と叫ぶのは止めて欲しい。これは冤罪を訴えている事件であろうと、本当に罪を犯している事件であろうと(後になって冤罪が明らかになるケースも多いのですが)関係ありません。

私たち1人ひとりが冷静でいるよう自分を律しなければ、日本は本当に恐ろしい野蛮国家になってしまいます。冤罪も続くでしょうし、自分自身や大切な誰かが、いつその当事者になってしまうかもしれません。

 

日本国民救援会」が2015年に発行した「裁判資料集」。仙台地裁の判決文も全文を収録。判決文の文章表現はとにかく分かりにくく、全文読み通すのは苦行です。真実でないことを書いているから、分かりにくい表現にしてゴマカして煙に巻くしかないのでしょう。

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