Free大助!ノーモア冤罪!

「北陵クリニック事件・無実の守大助さんを守る東京の会」事務局長の備忘録〜素人の素朴な目線から冤罪を考える〜

【91】袴田巖さんを死刑台に連れ戻すな!!再収監を許さないアピールに180人

■取り急ぎ、昨日の様子をお知らせします

38年前の今日、袴田巖さんの死刑が確定しました。1980年12月12日、最高裁判所は袴田さんの無実を訴える声を退けました。これにより袴田さんは死刑囚として東京拘置所に閉じ込められ、いつ刑が執行されるかもしれないという恐怖と来る日も来る日も闘ううちに、精神を病んでしまいました。

2014年3月、静岡地裁が「再審開始」と「刑の執行停止」という大英断を下し、自由の身となった袴田さん。しかし直後に検察が抗告、今年6月に東京高裁で再審開始が取り消され、再び再審開始を勝ち取るべく闘いは最高裁へ。

検察は何と “袴田さんを拘置所に再収監すべき” つまり “死刑台に連れ戻せ” という意見書まで提出してきました。最高裁が今度はどんな判断を下すのか、予断を辞さない状況です。

というわけで、このブログでも予告した「袴田さん再収監を許さないアピール行動」が予定通り行われました。

【84】12月12日「冤罪根絶の国会一日行動」やります! - Free大助!ノーモア冤罪!

衆議院会館前の路上に約180人が集結。有志が入れ替わり立ち替わりマイクを手にリレートークを行いました。

袴田さんの弁護団輪島功一さんはじめボクシング関係者、冤罪被害者の桜井昌司さん布川事件、青木恵子さん(東住吉事件)菅家利和さん足利事件、国会からは二比聡平さん日本共産党福島瑞穂さん社民党、静岡の支援者の皆さん、そして…、

“50年闘ってきても巖の無罪が勝ち取れなかった。ならば100年でも闘う” と、胸を張り決意を語った姉の袴田秀子さん。

どの皆さんのトークも、本当に胸に響くものでした。そしてどのアピールからも危機感がハンパでないことが、ヒシヒシと伝わってきました。

今年6月に、まさかの再審開始決定の取り消し。今度だって “まさか再収監なんてないだろう” なんて楽観視していたら、その “まさか” が本当になってしまう…ということになりかねません。何をしでかすか分からないのが、日本の刑事司法です。

無実が明らかな袴田さんを死刑台に連れ戻してまで再審を認めようとしない検察と、全くのブラックボックスで何を考えているのかわからない最高裁。司法の狂気を食い止めるのは、私たち1人ひとりの良心しかありません。今こそ力を結集させる時です。

以上取り急ぎの報告でした。トークの内容は改めて追加していきます。

不撓不屈の袴田秀子さん。その右は二比聡平議員、左から秀子さんを覗き込むのは輪島功一さん。人、人、人…の中で必死に撮ったので雑な写真になってしまいました。

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【90】「東名あおり運転」裁判と、守大助さん・無期懲役の判決文に想うこと

■“極刑にしろ!!”と言いたくなる気持ちはわかりますが…

「東名あおり運転事故」の裁判員裁判が始まりました。案の定というか、被告人の非道ぶりを強調した報道が始まり、ネットニュースのコメント欄は “極刑にしろ!!” という書き込みで埋め尽くされています。こうした状況に、本当に背筋が寒くなります。

私だって 、亡くなったご夫婦、目の前で両親を殺された姉妹、巻き添えになったトラックドライバーのことを思うと、被告人の行為には言葉にできない憤りを覚えます。だからこそ冷静になって、過激なことを口にするのを控えたいのです。

何故こんなことを書いたかというと、守大助さんを無期懲役にした仙台地方裁判所の判決文(2004年3月)を改めて読んで、本当に恐ろしいと感じたからです。

 

被害者感情を煽り “極刑もあり得た” という判決文 

とくに「結論」の章が大助さんへの敵意むき出しで、これが本当に裁判所が出した公文書(判決文は立派な公文書です)なのか?と、目を疑ったほどです。一部を抜粋して紹介します(一部カ所の赤字化、カッコ内補足説明は筆者による)

 

本件は、多数の入通院患者に対し継続的に医療行為を実施していた相当規模の病院である北陵クリニックにおいて、合計5名の患者に対し、未必的な殺意を有しながら、それぞれ、犯行時施行されていた点滴の点滴ルートを介して、それ自体極めて危険な作用を伴う筋弛緩剤であるマスキュラクス溶液を当該患者の体内に注入し、いずれも容態の急変を生ぜしめ、1名を死亡させ、1名を死亡させるに至らなかったものの、回復見込みのないいわゆる植物状態に陥れ、他の3名についても、死の危機に直面させたという、医療施設内において、医療行為を装って敢行された殺人、同未遂事件としては、前代未聞の重大極まりない凶悪事犯である。

(中略)

本件死亡被害者であるS子(※89歳女性)は、身体は不自由であるものの、他人との会話等は普通にでき、被害者なりに平穏な余生を楽しもうとしていた矢先、突如として、むしろ親しく言葉をかけるなどして、他の看護職員以上に信頼を寄せていた被告人から、予想もしない凶行の対象とされ、極度の無念さと苦しみのうちにその生涯を閉じざるを得なかったものであり、その孫に当たる遺族が被害者の無念さ、悔しさを代弁すべく、意見陳述において、その気持ちを吐露し、被告人に対する極刑を求めている

また被害者A子(※植物状態になった11歳女児)は、当時小学6年生で、その未来は無限に広がっていたはずであるのに、やはり、誠に理不尽にも、被告人の凶行の的となり、突然に襲ってきた身体の変調の中でもがき苦しみ、かつ、恐らくは絶望をも感じながら、ついに、否応なく脳に重度の障害を負わされ、前途にあった全生活を一挙に奪われ、自らは何もできず、絶えず完全かつ細心の注意を払った介護が必要な状況に陥れられたのである。(中略)両親は、本件当初から消えることのない愕然たる思いとやり場のない怒り、悲しみに耐える中、共に証人として出廷し、被害者人の思いや家族のみじめな状況等を絞り出すようにして、切々と訴えた上で、被告人に対する極刑を切望している

 (中略)

以上の重大な罪を犯したことに対し、被告人は、反省、悔悟の表出がないばかりか、かえって、当公判廷において、多岐にわたる不合理な弁解を重ねており、これが被害者等の被害感情をいたずらに増幅させていることは明らかというべく、また、いかにも、半田夫妻(※北陵クリニックのオーナー)や同僚看護婦等多数の関係者の方に非や虚偽があるような供述を繰り返したものであって、この点が、別途各関係者に与えた精神的苦痛や社会生活上の影響も計り知れない。

(中略)

このように見てくると、被告人に有利に解すべき事情としては、せいぜい、被告人に前科前歴がないことが挙げられるにとどまり、仮に、被告人において十分な反省悔悟の情を表したとしても、その責任の重さは、有期の懲役刑では賄えないほどのものと言い得るところ、被告人は実際には、前示のとおり、かえって被害者感情を増幅させ、多数の関係者に深刻な打撃、影響を及ぼしており、この点からして、極刑をも視野に入れた検討を必要とするほどの状況があるといえる。

しかし結局、極刑の選択自体は、極めて慎重であるべく、反面、無期懲役刑で処断すべき罪責に大きな幅が存することは否定し難く、以上に触れたほか、諸般の情状を総合勘案の上、被告人に対しては、主文掲記のとおり無期懲役刑を科し、生涯をもって長くそのしょく罪の道を歩ませるのが相当であるとの結論に達した。

よって、主文のとおり判決する。

(求刑 無期懲役)平成16年3月30日 仙台地方裁判所第1刑事部

裁判長裁判官 畑中英明

裁判官 佐々木直

裁判官 阿閉正則

 

 どうでしょうか? いたずらに被害者感情を煽り、 無実を訴える大助さんの切実な声を “不合理な弁解” と切り捨て、“極刑をも視野に入れた” など、正気の沙汰とは思えません。仙台地裁は私刑(リンチ)を代行する場になってしまったのでしょうか?

判決文はこの「結論」の前に約150ページを使い、あれこれ理屈をこねて大助さんや弁護団の主張を退ける一方で、マトモな裏付けもない警察・検察の言い分だけを採用し、無期懲役という判決を導いています。

全文はこちらのリンクでご覧いただけます。

裁判資料: 仙台北陵クリニック・筋弛緩剤冤罪事件全国連絡会

 大助さんと弁護団は当然判決を不服として闘いを続けますが、仙台高裁(控訴審/2006年)、最高裁(上告審/2008年)ともに無期懲役を支持。再審請求は事実調べもマトモな審理もされないまま棄却され(2014年、2018年)、現在は再び最高裁で闘っているという状況です。

 

■あの冤罪事件の死刑判決を後押ししたのも世論だった

しかし私は、裁判所だけを非難する気にはなれません。こんな判決文が生まれた背景に “守大助を許すな” という社会の空気があったのは間違いありません。大助さんが逮捕された当時、マスメディアは “恐怖の点滴殺人事件” として大々的に報道。それに吊られるように世論が形成されました。冤罪の可能性を報じたメディアもありましたが、まだ少数派でした。

メディアと群集心理が一体となったプレッシャーに、裁判所がまったく無関係でいられるでしょうか?この事件、裁判員裁判だったら(当時はまだ制度がなかった)無罪が取れたと言う方もいますが、トンでもないと思います。厳罰を望む声に押され、それこそ極刑になっていたかもしれません。

以前も紹介した「北陵クリニック事件」の全体像が網羅された1冊。メディア報道の問題についても書かれています。

 

 

たとえば「袴田事件」だってそうです。今こそ袴田巖さんは無実という認識が広まっていますが、事件発生当初の報道は本当にヒドく “ボクサー崩れの極悪人” という空気が万延していったといいます。死刑判決を下した裁判官の1人は後に “やはり報道の影響は大きかったと思う” と語ったそうです。

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袴田さん逮捕を報じる毎日新聞(1966年8月18日)。“不敵なうす笑い”などと、完全に極悪人扱い。「人権と報道・連絡会」資料より。

 だから、いたずらに被害者感情を煽り “極刑にしろ!!” と叫ぶのは止めて欲しい。これは冤罪を訴えている事件であろうと、本当に罪を犯している事件であろうと(後になって冤罪が明らかになるケースも多いのですが)関係ありません。

私たち1人ひとりが冷静でいるよう自分を律しなければ、日本は本当に恐ろしい野蛮国家になってしまいます。冤罪も続くでしょうし、自分自身や大切な誰かが、いつその当事者になってしまうかもしれません。

 

日本国民救援会」が2015年に発行した「裁判資料集」。仙台地裁の判決文も全文を収録。判決文の文章表現はとにかく分かりにくく、全文読み通すのは苦行です。真実でないことを書いているから、分かりにくい表現にしてゴマカして煙に巻くしかないのでしょう。

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【89】再審無罪までもう一歩!!「松橋事件」検察の態度に注目

■宮田さんは85歳、命あるうちに無罪を!!

先週は600以上ものアクセスをいただき、ありがとうございました!!  TBSテレビ『1番だけが知っている』で「松橋(まつばせ)事件」が取り上げられた影響が大きかったようです。

 その「松橋事件」、あとは熊本地方裁判所での再審公判を待つのみとなりました。日本での “再審開始” は、ほぼ “無罪” を意味します 。冤罪を主張している事件で再審を開いたものの有罪が覆らなかった…という事例は、私が知る限りありません。

99.9%という有罪率を誇る(いや、誇りではない)、日本の裁判において、最高裁までが再審開始を支持したということは、もう無罪以外ないということでしょう。

事件発生から33年。逮捕当時50代前半だった宮田浩喜(こうき)さんは85歳となり、脳梗塞認知症を患っています。本当に一刻の猶予もありません。何としても命あるうちに無罪判決を!!

 ■検察は再審公判で何を主張するか?

「松橋事件」の再審無罪が間違いない(終わるまで安心できませんが)となると、あとは検察がどんな態度に出るか? ぜひ注目いただきたいと思います。

 これまで検察は2度にわたって、再審開始を妨害してきました。

  • 2012年3月 熊本地裁に再審請求
  • 2016年6月 熊本地裁、再審開始決定→検察は即時抗告※(怒)
  • 2017年11月 福岡高裁、再審開始決定を支持→検察は特別抗告※(怒)
  • 2018年10月 最高裁、再審開始決定を支持→ようやく熊本地裁で再審公判へ

※即時抗告=地裁の決定を不服として高裁に抗告すること。特別抗告=高裁での決定を不服として最高裁に抗告すること。このようなバカな権限は検察から取り上げるべきです。

せめて再審公判ではこれまでの愚行を悔い改め、一刻も早く無罪判決が出るよう協力して欲しいと思います。冤罪は国家権力による人権蹂躙です。ならば冤罪被害を受けた方の名誉回復も、国家権力が率先して行うべきです。その担い手が検察であることは、以前も書きました。

【46】検察官こそ再審請求を!〜内田博文教授の講演録から〜 - Free大助!

しかし残念ながら近年の再審無罪の事例を見る限り、検察に多くは期待できないでしょう。

 ■「布川事件」と「東住吉事件」の検察の開き直り

例えば「布川(ふかわ)事件」。1967年に発生した強盗殺人事件の犯人とされた桜井昌司さんと杉山卓男さんは、無期懲役で収監された後、2011年5月に再審無罪を勝ち取りました。

強引な自白、目撃証言のねつ造、無実の証拠の隠蔽など “冤罪のデパート” と呼ばれた事件ですが、検察は再審公判においても “自白は信用できる” などといった論告を3時間にわたって読み上げ、改めて無期懲役を主張。そのあまりのバカバカしさに桜井さんは “ご苦労さん” と拍手を送ったほどです。

そして2016年8月に再審無罪を勝ち取った「東住吉事件」。1995年、自動車のガソリン漏れによる火災で長女を失った青木恵子さんは、内縁の夫・朴龍皓さんとともに、放火犯というありもしない濡れ衣を着せられ無期懲役に。弁護団が決死の再現実験を行い、警察が単なる事故を放火事件にデッチ上げたことを明らかにし、再審開始につながりました。

とくに “7リッターのガソリンをまいて、ターボライターで火をつけた” という自白どおりの犯行方法を再現したところ大爆発が発生。これでは放火した人間が焼死してしまい、犯行など不可能なことが証明されたことは、裁判所に大きなインパクトを与えたようです。

この事件の再審公判でも検察は、“有罪の主張はしない” “裁判所に判断をゆだねる”と曖昧な態度に終始し、最後まで無罪を認めようとしませんでした。

逮捕から再審無罪を勝ち取るまで、青木さんの闘いを追った1冊。平易で読みやすい文章ながら、とても想いが伝わって来ます。

 

 「布川事件」「東住吉事件」ともに、警察のズサンな捜査と検察のデタラメな起訴が引き起こした冤罪であることは明らか。にもかかわらず検察は “裁判所が無罪判決を出したけど、俺たちは今でも彼等が犯人だと思っている” と、開き直っています。桜井さんと青木さんは、そんな警察・検察の責任を追求するため、国家賠償請求を起こして闘っています。本当に応援しています!!

しかし「松橋事件」の宮田さんは、お2人のように国賠を起こす体力が残っていません。ともに再審を闘ってきたご長男の貴浩さんは2017年9月、病気のため61歳で亡くなりました。高齢の父の再審の行方を気にかけたままの他界、どんなに無念だったことでしょう。貴浩さんが生前、新聞の取材に語ったコメントを紹介します。

「捜査に当たった警察、検察の関係者も、父と同じ期間を刑務所で過ごして欲しい。そうでなければ冤罪はなくならない」(2016年7月1日、毎日新聞

 検察はいつまで愚行蛮行を繰り返すのか? 引き続き厳しい目を注いでください。

 

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【88】元・警視庁捜査一課長が書いた“取り調べる側”の本音が満載!!の本

■「松橋事件」刑事や検事への怒り

このブログでも何回か紹介している「松橋(まつばせ)事件」が、昨晩のTBSテレビ『1番だけが知っている』で特集されました。私は家にテレビがないので観ていませんが、冤罪が作られる構図や弁護団の奮闘を、丁寧に紹介した内容だったと聞いています。

ただし観た人たちのツイートを見ると、宮田さん犯人にデッチ上げた刑事や検事への追求がほとんどなかったようです。記者クラブで警察・検察とつながっている、テレビというメディアの限界でしょう。

しかしそれよりも、視聴者の多い時間帯で取り上げられたことを素直に喜びたいです。

 “こんなヒドいことをした刑事や検事が、なぜ罰せられないのか(怒)!”と世論が盛り上がってくれれば、大きな前進ですから。

 

日弁連が指摘する取り調べのモンダイ点

さて…先日書いた守大助さんへの取り調べの様子について、

【86】これが取り調べだ!(怒) - Free大助!

“本当にヒドい、警察は何を考えているんだ” という感想をいただきました。

「日本弁護士連合会日弁連」も10月23日に、

『えん罪を防止するための刑事司法改革グランドデザイン』(下記リンク)を公表し、

日本弁護士連合会:えん罪を防止するための刑事司法改革グランドデザイン

取り調べの問題点を、このように指摘しています。

日本の捜査機関は、取調べにおいて、中立的に事情を聴取するのではなく、捜査機関が抱いている犯罪の嫌疑を認めさせるための追求を行っており、その結果、虚偽供述が強要される事態が発生している。〈中略〉捜査機関からは、被疑者の「反省・悔悟」を促すことが取調べの機能であると主張されることがある。しかし、こうした発想は前近代的であり、えん罪の防止が軽んじられていることの表れである。

まったくその通りだと思います。以前紹介した「被疑者取調べ要項」などは、まさにこうした警察の本音の表れでしょう。

【20】これは言わずにいられない〜徳島県警の誤認逮捕〜 - Free大助!

 

■取調室は“聖域”で“道場”と断言する元・捜査一課長

そして今度は、元・刑事が書いたというスゴい本を見つけました。タイトルは『警視庁刑事いのち輝く憂国刑事(ムサシヒラタ)の武士道人生!』。著者の平田冨峰さんは約40年にわたって警視庁に勤め、捜査一課長まで上り詰めたという叩き上げの刑事。

ムサシヒラタ」を名乗っているのは、宮本武蔵の末裔だからだそうです。本は2011年に発行され、現在は中古で入手できます。

「取り調べの可視化について」という項より、一部を抜粋して紹介します。

取調室は刑事にとって最も神聖な場所です。刑事と被疑者との人間対人間、魂と魂のぶつかり合いの聖域です。武道家における道場であり戦場です。常に整理整頓され浄められています。このような聖域に録音・録画の機器を備えるということは言語道断です。

取調室は “人間対人間、魂と魂のぶつかり合いの聖域” 、“道場”…だそうです。

 冤罪「布川事件」の桜井昌司さんは、自分が受けた取り調べの様子をこのように語っていました。

「留置場に入る時は全裸にされて検査され、時計も取り上げられた。取り調べを “する側” と “される側” という圧倒的な力の差を見せつけられた上に “お前がやったんだろう” と責め立てられる。そんな状況が何時間・何日も続いた末、落とし穴にハマるみたいに “私がやりました” とウソの自白をしてしまうんです」

平田さんと桜井さん、正しいことを言っているのはどちらでしょうか?

私は桜井さんのお話の方が、真実味があると思います。多くの場合、被疑者は何の力も持たない一市民です。対する刑事が圧倒的な国家権力を行使できる立場にあることに、平田さんはあまりにも無自覚と言わざるを得ません。

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冤罪「布川事件」の桜井昌司さん。時にはユーモアも交え、自らの獄中体験を語る。

守大助さんを支援するキリスト教団体「一羊会」での講演より。

 

■被疑者を“真人間”にするのが刑事の仕事!? 

 平田さんの本にはこんなコトも書かれています。

「被疑者の供述は証拠の王」です。犯罪を立証する上において、極めて重要な位置を占めます。〈中略〉取調べの眼目は、供述を得ることと同時に犯人を真人間にすることにあります。刑事はカウンセラーであり、精神科医でもあります。

まず供述が “証拠の王” という認識に言葉を失います。こんな考えでは、脅してでも叩いてでも自白を得ようとなるのは無理もありません。

“犯人を真人間にする” に至っては、ツッコミの言葉さえ見当たりません。取調べ本来の目的は、客観的な証拠に基づいて事実を明らかにするために、被疑者から聞き取りを行うことではないでしょうか?

先に紹介した日弁連のグランドデザインでも、

「反省・悔悟」を促すことが取り調べの機能であると主張されることがある。

と、警察のオカしな正義感が冤罪の原因となっていると指摘しています。

 

■あの「東電OL殺人事件」の捜査指揮も

この本が出た2011年は「氷見事件」「志布志事件」「足利事件」など、強引な取り調べによる冤罪事件が次々に明るみになり、当時の民主党・鳩山政権が取り調べの可視化に取り組もうとしていた時期です。

その直後に発生した東日本大震災にともなう混乱や、警察・検察官僚の汚い抵抗に合い、構想は思うように進んでいませんが…。平田さんの本でも、冤罪の話題に触れています。

氷見・志布志足利事件の取調べが違法であったとしても、それは九牛の一毛に過ぎません。三事件が相前後して判明し、大きく報じられたため、違法な取調べによって冤罪が多発しているように国民は錯覚しているやも知れません。しかし、実際のところ、三事件はほんの例外に過ぎないのです。

ということです。

さらに…、

平田さんは、冤罪「東電OL殺人事件」の捜査責任者でもありました。

1997年の事件発生時にエリートOLであった被害者女性の夜の顔がセンセーショナルに報じられたり、犯人とされたネパール人・ゴビンダ・マイナリさんが一貫して無実を訴えたことなど、ご記憶の方も多いでしょう。

この事件、平田さんが捜査一課長になってはじめての特捜本部事件ったそうです。

取調べが難航する一方で、私は捜査員に対して「脳味噌が汗をかくぐらい知恵を出せ。考えろ!!」と心を鬼にして叱咤激励し、捜査員はこれに応えて不眠不休、懸命の捜査をしてくれました。

という捜査指揮の末、いかに無実のゴビンダ・マイナリさんが犯人にデッチ上げられていったのか? 読めば読むほど、よくわかります。

本が出た翌年(2012年)、ゴビンダさんに再審無罪が言い渡されました。これを受け、平田さんはテレビや新聞の取材に対して、“今でもゴビンダが犯人だと思う。刑事のカンだ” とコメントしていました。

警察とくに捜査一課というのは、上の意向には絶対服従と聞いたことがあります。平田さんのような人がトップに立てば、どうなるかは火を見るよりも明らか。無実の証拠が見つかろうが(実際に現場からはゴビンダさんと異なる型の血液がでたりしていた)とにかくゴビンダが犯人だ!で突っ走るしかなかったのでしょう。

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NHKクローズアップ現代』のインタビューに答える平田さん。(写真は番組HPより)

私はこの本を単なる “トンデモ本” で片付けるつもりはありません。

1人でも多くの方に読んでいただきたいと、心から思います。

現職をリタイアしたとはいえ刑事自らが、これほど赤裸々に本音を語った本は、あまり見当たりません。冤罪が生み出される構図を知る手がかりとなる1冊として、ぜひご注文を!

 

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【87】守大助さんのメッセージ

千葉刑務所の守大助さんから、支援者にメッセージが届きました。

全文を紹介します(カッコ内は当方で補足)

 

(現在最高裁判所で闘っている)第一次特別抗告審で、

必ず「差し戻し・再審開始」を勝ち取るため、

私は負けずに無実を訴え、必死になって闘いつづけます!

2018年も、皆さんの暖かく力強いご支援のおかげで闘うことができました。

本当にに有り難うございます。

寒気日増しにつのり、冷え込みの厳しい毎日ですが、

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

常日頃から「仙台北陵冤罪事件」のために貴重な時間を費やしてご支援下さり、

心より感謝しております。

仙台高裁・嶋原不当決定(2月28日・再審請求棄却)への怒りは消えません。

あのようなとんでもない判断が、いつまで許されるのでしょうか。

患者さんの血液検査を私たちがどうやって調べられるのでしょう!

鑑定データを全て開示しない中で、どうやって同じ方法で実験できるのでしょう!

いったい裁判所というのは何を考えているのか?

本件での鑑定大阪府警科捜研が筋弛緩剤の成分を検出したと主張する)は証言だけで、

具体的な物証(実験データなど)は何も提出されていません。

裁判所は一度も証拠開示を認めてません。全くアンフェアです。

土橋鑑定人(元・大阪府警科捜研)の証言が偽証だったことも、

弁護団は明らかにしたのです。

それでも裁判所は、無実の訴えを無視しつづけます。

こんな裁判が公正なのですか。暗黒時代が現在もつづいています。

私は看護師として一日でも早く社会復帰したいんです。

誰が何と言おうが、絶対に筋弛緩剤を混入していません。

両親は毎日ただ私の救出のために人生を送っています。

2人が元気でいる内に、この高い塀の中から出る手助けをお願いします。

2019年もどうかお力を貸して下さい。

 

やるせなさと司法への怒り、イタズラに時間が過ぎていくことへの焦り、本当に言葉になりません。

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【86】これが取り調べだ!(怒)

〈前回から続く〉

■ある朝、家に刑事が

2001年1月6日の朝、守大助さんが彼女(同僚で婚約者の看護士)と暮らすアパートに、宮城県警の2人の刑事がやって来ました。

“A子ちゃんの急変について、北陵クリニックの職員に順番に話を聞いているので来て欲しい”

と言う刑事の言葉に、大助さんは何の不信感も抱かず、警察の車に乗って県警本部に向かいます(その後、泉警察署に移送)

県警は父・勝男さんの職場でもあり、大助さんは警察に対して親近感を持っていました。むしろ捜査に協力しようという気持ちだったといいます。

しかし取調室に入ったとたんに刑事は、

“おまえがやったんだ”

“A子ちゃんの急変の原因を知っているのはお前だ” 

“マスキュラックス(筋弛緩剤の商品名)だな” と、

大声で怒鳴りはじめます。

最初は何のことだかまったく分からなかった大助さんは、

自分がありもしない事件の犯人に間違われていることが次第にわかり、

“何もやっていない” と否認を続けますが、まったく聞き入れられません。

朝8時30分頃から始まった取り調べは夜8時過ぎまで続き、ついに大助さんは耐えられなくなりました。

そして刑事に誘導されるままに、A子さんの点滴にマスキュラックスを混入したというウソの自白をしてしまいます。

 

■お前が否認するなら彼女を逮捕する

大助さんが自白に追い込まれる決定打となったのが、

 “お前じゃなければ(婚約者の)彼女を逮捕する” という脅し。

否認する被疑者に対して、家族などの大切な人をネタにして自白を迫るのは、取り調べの常套手段です。

大助さんは自白時の心情を、このように振り返っています。

「今になれば、どんな形であれ、認めてしまうことは恐ろしいことだと判断できますが、当時は怒鳴られ、話を聞いてもらえないことに耐えられなくなり、「楽になりたい」とばかり考え、そのあとどうなるか、なんて考えられなかった。その場、その時から「楽になりたい」の一心でした。」(ジャーナリスト・山口正紀さんに宛てた手紙より)

〈手紙の全文はこちらの本に収録〉 

 

事件の全貌と冤罪のポイントを知る必読書。阿部泰雄弁護団長、警察の鑑定の誤りを指摘した化学分析の第一人者・志田保夫博士、A子さんの病状がミトコンドリア病メラスであることを明らかにした池田正行医師、“何故やってもいない犯行を自白するのか?”という、恐らく多くの人が抱いている疑問に明確に答える供述心理学鑑定の第一人者・浜田寿美男教授、そして守大助さん本人など“北陵クリニック事件のオールキャスト”による渾身の1冊です。

ヒドい取り調べを受けながらも、

大助さんは父の職場である宮城県警を信じていました。

“調べ直してくれれば自分の疑いは晴れるだろう” と思うと同時に、

“刑事さんがここまで言うのなら、もしかすると自分の処置にミスがあったのかもしれない” と感じたといいます。

A子さんの急変は2000年10月31日と、逮捕の3ヵ月近く前。そんな前の日の自分の一挙手一投足を、正確に覚えていられるでしょうか?

外部の情報が遮断された取調室という密室の中、朝から晩まで10時間以上にわたって刑事に責め立てられれば “ひょっとして俺は何かやったのかもしれない” と、ウソの自白をしてしまうのも無理はありません。

 

■“安らかに死刑を受けろ”

大助さんは1月9日に自白を撤回。A子さん以外の4人の急変患者についても逮捕・起訴が繰り返されますが、現在に至るまで “やっていない” と否認を貫いています。

転機になったのは、後に弁護団長となる阿部泰雄弁護士が接見したことでした。

阿部弁護士は大助さんと初対面した時の様子を、このように振り返ります。

「はじめて守君に会ったのは、逮捕から2日後の2001年1月8日。拘留されている泉警察署で接見しました。守君ほとんど眠れていない様子で、“自分がやりました”と言っていました。翌9日も接見して、“やったなら、どんなふうに筋弛緩剤を入れたんだ?”と質問をしても、守君はほとんど具体的に答えられませんでした。こうして会話を重ねるうちに “ああ、オレはやっぱりやっていないんだ…”と、マインドコンロールから覚めて、そこからは完全に否認に転じたんです」

 

否認に転じた大助さんへの取り調べは、さらに苛烈を極めました。

大助さんは拘留されている間の様子を克明に日記に残しており、出版もされました。

現在は古本でしか手に入りませんが、ぜひ1冊購入してください。

発行は逮捕された2001年。あまりにもムゴい取り調べの様子に、最後まで読むのはツライ…でもリアルな出来事を知っていただくためにも、多くの方に読んでいただきたいです。

 

本の中から、取り調べ時に受けたという暴言をいくつか抜粋して紹介します。

「ふざけるな!何が『やってません!黙秘します!!』だ。なめてるのか!」

「私が殺しましたという調書にサインしろ。やすらかに死刑を受けろ」

「警察というものは、ウソをついたり、駆け引きしたり、ずるいことは本当にしない。お前のお父さんの仕事なんだぞ!!」

「お前は人間以下のクズだ!!お前はここ(取調室)にいて守られているからいいが、家族、ユキ(婚約者・仮名)は大変なんだぞ!!わかってるのか!!」

「裁判でお前がやってないと言ってもこちらの方が正しいんだ。お前は有罪なんだ!」

「指紋とっただろ!マスキュラックス(筋弛緩剤)からすべて、出ているんだからな。こちらは証拠がたくさんあるから弁護士なんてビックリするぞ!もうウソつくな。人間以下。死ね」

「お前もふざけてるなら、父親もふざけてる。よく仕事に行ってるな。恥さらし親子だ」

「お前が(筋弛緩剤を)入れた所、みんな見ているんだ!」

「お前は本当に宮城県警と闘うのだな。弁護人の金だれが払ってるんだ!ふざけるな!」

 

警察だけでなく、大助さんを起訴した検察の取り調べもヒドいものでした。

「もうゲームはやめろ。オレ(検事)を信じろ。国家なんだ。お前を更生させてやる」

「殺人者」「人殺し」(2月10日、検事に1910回こう言われた)

 「死刑なんだ!急に足場がなくなるんだ!オレ(検事)と裁判官が絶対死刑にしてやる」

 

以上、ごく一部を紹介しました。

刑事が言った、大助さんが筋弛緩剤を入れたのを見たという目撃証言はありません。

大助さんの指紋が付いた筋弛緩剤の容器も、裁判には提出されていません。

繰り返し書いてきましたが、県警が急変患者のカルテを押収したのは、逮捕から10日も後でした。基本的な裏付け捜査も行わず、証拠もない中、ひたすら言葉の暴力で自白させようとしていた様子が伺い知れます。

宮城県警仙台地検も、もはや大助さんが無実かどうかなど、関係なかったのでしょう。逮捕・起訴した自分たちのメンツを守るために、とにかく犯人にデッチ上げる必要があったのでしょう。

“恐怖の点滴殺人魔” とマスメディアがセンセーショナルに煽っている裏で、警察・検察はこのような蛮行を重ねていたのです。

もっともヒドい取り調べを行った清水という刑事は法廷で “違法な取り調べはやっていない。守大助が自分から自白した” “涙を流して自分から正座して反省文を書いた”などとシラバックレタそうです。

 

  この後、大助さんは拘置所に移され、4年6ヵ月にわたって接見禁止に置かれます。弁護士以外、家族にも友人にも会えない状態です。

日本の刑事司法は国連からも “中世レベル” と批判されましたが、これが現実です。

そんな絶望的な状況の中、大助さんを支えたのは弁護団でした。土日以外はほぼ1日も欠かさず、阿部弁護団長はじめ弁護士の誰かが、必ずはげましに来てくれたそうです。

“あの激励がなかったら、今日まで闘えていなかったかもしれない”と、昨年面会した時に大助さんは語っていました。

 

大阪の支援者が描いた一枚。大助さんは患者さんの人気も高く、愛されていたといいます。こんなほのぼのしたひとときを、再び大助さんに!

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【85】守大助さんの父・勝男さんの訴え

守大助さんのお父さん・守勝男さんは、大助さんが逮捕された2001年1月当時、宮城県警の警部補で交通捜査を担当していました。つまり大助さんは、お父さんの勤め先に捕まったのです(交通部と捜査部、所属部署は異なりますが)。勝男さんは息子の無実を信じ、定年まで5年残っていた勤めを全うしました。

当初は確固たる証拠を基に逮捕が行われたと思っていた、という勝男さん。しかし自分なりに関係者を訪ね歩いて情報を集めるにつれて、疑問を抱くようになったと言います。

“一体何を根拠に息子を逮捕したのか?” と捜査幹部を問いつめたところ、“新聞を見ていただければわかるでしょう。最終的には裁判所が判断することです”。と、真摯に捜査に取り組んでいるとは思えない答えが帰ってきたそうです。

 このブログでも度々書いてきましたが、実際に宮城県警の捜査は “真摯” とは程遠いものでした。少し長くなりますが、今一度経過を振り返ってみます。

発端は大助さんが勤務する北陵クリニックで、

患者さんの急変(急に具合が悪くなること)が急増したことでした。1999年までは年間10件程度だったのが、2000年には19件発生しています。

大助さんが准看護士として、クリニックで働きはじめたのは99年の2月。家庭を持つ女性が多かった看護チームの中で、独身で時間の融通が効き、患者さんの評判も良く、医師にも信頼されていた大助さんは夜勤も積極的に引き受け、必然的に点滴などに従事する機会が多くなりました。

事件発生当時マスメディアは、“急変の現場には、必ずと言ってよいほど守大助がいた”などと報じましたが、背景となる事実を無視し、印象だけに頼った悪質な報道としか言いようがありません。

急変が増えた原因もハッキリしています。当時クリニックはウリにしていたFESという先端医療が暗礁に乗り上げ、(FESについては機会があったら改めて書きます)14億円近い負債を抱えていました。リストラによって、薬剤師や救急措置ができる医師も退職していました。

クリニックは赤字を少しでも緩和するため、19床あったベッドを常に満杯にしようと、なりふり構わず患者さんを受け入れ始めます。老人ホームからの終末期の患者さんも多かったといいます。

マトモな医療行為ができない状況で具合の悪い患者さんを受け入れれば、急変が多発するのはアタリマエです。急変の原因も病気や抗生物質の副作用によるものと、担当医師がカルテに明記しています。筋弛緩剤など、まったく関係していないのです。

大助さんが筋弛緩剤を投与した “とされている” 患者さんの1人(45歳の男性)を担当した医師は、テレビ番組のインタビューで、このように答えています。

「急変の原因はミノマイシン抗生物質の一種)の副作用だと、いくら説明しても、警察・検察は“いや、筋弛緩剤だ” の一点張りで、自分の意見を全く聞き入れようとしなかった」

真っ先に尊重すべき専門医の言葉を無視してまで、“守大助=筋弛緩剤の犯人” という結論ありきで捜査していた様子が伺い知れます。

ただし1人だけ、急変の原因がハッキリしない患者さんがいました。2000年10月に緊急入院した、当時小学校6年生のA子さんです。

A子さんは学校で突然気分が悪くなり、腹痛と嘔吐がひどくなったためクリニックを受診。大助さんが立ち会って点滴を始めた5分後ぐらいから、モノが二重に見える、呂律が回らないといった症状が現れ、30分後には意識レベルが低下し心肺停止に。急性脳症により、18年を経た現在も意識が戻らない状態が続いています。

 

現在は急性脳症の正体が「ミトコンドリア病メラス」という難病であることが、ほぼ明らかになっています(国の難病にも指定されています)

しかし2001年当時はこの病気に関する情報がほとんどなく、クリニックでも後に搬送された仙台市立病院でも、原因を突き止められませんでした。

“原因不明の急変があった”。

北陵クリニックのオーナー・半田康延・東北大学教授は、同僚の舟山眞人・法医学教授に相談します。この数年前「大阪愛犬家連続殺人事件」という、筋弛緩剤を使った事件がマスメディアを賑わせました。

 “北陵クリニックでも、筋弛緩剤を使った犯行が行われてるとしたら…”勝手に想像した舟山教授は、宮城県警に報告します。

 “それは大変だ! 点滴に立ち会っていた守大助という准看護師がアヤシイ!奴が犯人に違いない!”と、色めき立った県警は2001年1月6日、大助さんを逮捕。患者さんのカルテを押収したのは、それから10日も後でした。 

舟山教授は決して悪くありません。

警察に情報提供するのは法医学教授として当然です。やはり悪いのは宮城県警。本来ならばまずカルテを取り寄せ、医師に聞き取りを行って、本当に筋弛緩剤による犯罪なのか裏を取る所から始めるのが基本中の基本でしょう。そんな基本的な裏付け捜査さえ行わず逮捕に至った県警の、明らかな “捜査過誤” です。

さらに県警は逮捕をマスコミに大々的に発表。

A子さん以外の急変も次々に大助さんによる犯行と決め付け、連続点滴事件をデッチ上げます。

マスメディアも問題アリです。プロの記者なら、冷静に調べれば県警の発表がアヤシイことはわかるはず…。

にもかかわらず、朝日新聞を筆頭とするマスメディアは県警のリークを鵜呑みにし、センセーショナルな報道合戦が始まります。

ここまで来たら、もう後戻りできません。

自分たちのメンツを守るためにも、守大助=犯人という既成事実をデッチ上げて突っ走るしかありません。

「北陵クリニック事件」というのは、暴走警察と無能なマスメディアが合作で作り上げた、幻の事件だったのです。続いて、守大助さんが受けた取り調べについて書いてみます。

〈次回へ続く〉

10月29日の支援者会議で訴える守勝男さん。右はお母さんの祐子さん。

ヘタな写真で恐縮です。

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