【3】「全国集会in仙台」青木正芳弁護士の講演から
ブログも3回目。
そろそろ事件について具体的に書き始めたいところですが…。
今回は3月25日に開催された、
「守大助さんの再審・無罪をかちとる全国集会in仙台」の、
記念講演を紹介したいと思います。
弁護士の青木正芳さん。
冤罪支援に関わる皆さんはもちろん、
たくさんの方々に読んでいただきたい、すばらしい内容です。
それでは、写真の下からお読みください!
※内容は青木弁護士の講演を一言一句忠実に書き起こしたものではなく、編集を加えています。
文責は投稿者の私にあります。
- 推定有罪でなく“推定無罪”を
裁判で有罪が確定するまで、被告人は無罪と推定される。この憲法でも保証されている刑事裁判の原則が、日本では守られていない。容疑者として警察に逮捕され、起訴もされないうちにマスメディアは実名で報道する。
その報道を見た検察官や裁判官には“この人が犯人”という“推定有罪”の予断が芽生える。報道によって “こいつを処罰しろ!”という世論も形成され、それに追従して有罪判決が出されてしまう例も現実にある。
つまり私たち市民も冤罪づくりに加担する恐れがあるわけで、一人ひとりが“推定無罪の原則”を心に留めなければならない。そして報道機関は匿名報道を原則とするべき。個人名を出さなくても、事件の問題点を検証することは十分に可能なはずだ。
- 検察を本来あるべき健全な姿に
私(青木)が司法修習生になったのは1960(昭和35)年。その翌年「松川事件」の被告人全員が無罪判決を勝ち取った。決め手は、検察が隠し持っていた無実を証明する証拠だった。1980年代に再審無罪となった死刑4事件(免田、財田川、松山、島田)についても、再審の段階で検察が隠していた証拠の存在が明らかになった。
検察は客観的事実に基づいて起訴をし、無罪になったら“良かったですね”と言うぐらいの余裕を持つべき。それが本来あるべき姿だが、現実はまったく逆だ。一旦起訴したら、自分たちに不都合な証拠を隠蔽してまで有罪に持ち込もうとする。そんな検察の横暴をいつまで許すのか? 日本の刑事司法の文化水準が厳しく問われている。
- 市民の積極的な参加で司法を変えよう
検察が隠し持っている証拠を開示させ、従来からの証拠と合わせて総合的・多角的に検証し、確定判決の矛盾を明らかにすることが再審につながる。
この“総合的・多角的”という視点が大切。いろいろな立場の人が知恵を出し合い議論を深めることで、新しい発見や突破口が見えてくる。逆に“この論点一発で勝負!”というのはリスクが大きく、避けなければならない。
日弁連時代に視察で訪れたデンマークでは、裁判が終わると裁判長が立ち上がり「大変だったと思いますが、民主主義を守るにはこうして皆さまに役割を担っていただくことが大切なのです」と、陪審員を担った市民に礼を述べていた。退廷する陪審員の表情にも、誇りがみなぎっていた。
ひるがえって日本はどうか。 “検察や裁判所に任せておけばいいじゃない”というのが現状で、それが司法を腐敗させる原因になっていないか。
これからは市民と法曹関係者が手を携えて、日本の司法を健全に変えていきたい。守大助さんの事件についても、協力して良い結果を出せるよう願っている。
〜以上です。
どうでしたか? 大助さんの再審無罪を勝ち取るヒントが盛りだくさんの、
とても示唆に富んだ講演だったと思います。
この全国集会には、北海道から徳島や広島まで、
全国から300人以上の支援者が駆けつけました。
【2】冤罪の支援って?
2回目は“冤罪の支援って、何をするの?”という質問にお答えします。
目的は、裁判で無罪を勝ち取ることです。
守大助さんの場合は2008年に裁判が終了し、有罪・無期懲役の刑が確定しています。
これを覆す唯一の方法が「再審(さいしん)=裁判のやり直し」を実現させること。
三審制(地方裁判所→高等裁判所→最高裁判所)で下された判決について、
“間違っているから、もう一度やり直して無罪を出せ!”というわけですから、
とてつもなくハードルの高いチャレンジです。
勝ち取るには①当事者、②弁護団、③支援者が、心を一つにして闘うしかありません。
つまり…
①当事者である大助さんが、不撓不屈の精神で自らの潔白を訴え続けること、
②弁護団が法律のプロとして、法と証拠に基づいて裁判所を説得すること、
そして…
③支援者が“大助さんは無実!”と声を大にして、裁判官の良心に訴えること。
私たち「守大助さん東京の会」は、③の立場を少しでも担えるよう、
街頭でビラを配ったり、マイクを持って宣伝したり、
事件を知ってもらうための学習会を開いたり、 再審開始を裁判所に訴える署名を集めたり、
いろいろな草の根活動をしています。
このブログを開設したのも、その一環です。
大助さんは千葉刑務所に収監されており、
自分の声で外に向かって訴えるのが難しい状況にあります。
そんな大助さんに代わって世論を広げるのも、支援者の大切な役割です。
ちなみに全国には、私たちのような守大助さんの支援組織が40以上あります。
これだけ支援が広がっている冤罪事件は、なかなかありません。
“支援なんかしなくても、裁判官と弁護士に任せておけばいいじゃん”と言う方…、
そうじゃないんです。
私たち市民の活動には、大きな重みがあるんです。
元・裁判官の井戸謙一さんは、ある講演でこう語っています。
「多かれ少なかれ裁判官は悩みます。そこで踏み切る、決意するについては、
裁判官に勇気を与える市民運動の力が大きいのです。(中略)
思い切った判断をすれば、外部からの攻撃にもさらされます。(中略)
それでもやろうと決断するためには、この事件が多くの市民から注目されており、
自分の判断が多くの市民から支持してもらえるという実感が必要なのだと思います。
これが背中を押してくれるのです」
大衆に迎合する裁判官がいい、と言ってるわけではありません。
事実と道理にもとづいた公平な裁判所であって欲しいという、
当たり前のことを願っているだけです。
冤罪事件の支援に携わると、
“何でこれで有罪になるの?”というトンでもない事例が山ほどあります。
大助さんの事件をメインに、
そのあたりのことも徐々に書いていきたいと思います。
少しでも関心を持っていただけたら、嬉しいです。
【1】はじめまして〜ブログ開設しました!〜
一人の男性が、刑務所から無実を訴えています。
名前は守大助(もりだいすけ)さん。
大助さんは、宮城県仙台市にあった「北陵クリニック」の准看護士でした。
そこで患者さんの点滴に相次いで筋弛緩剤を混入し、
殺害を企てたとして逮捕されました。
事件の発生は2001年1月。
もう16年前ですが、
新聞やテレビで“恐怖の点滴殺人事件”とセンセーショナルに報道されたので、
“ああ、あの事件ね!”と、ご記憶の方も多いかもしれません。
大助さんは一貫して「僕はやっていない!」と無実を主張しています。
しかし2008年に裁判で無期懲役が確定し、千葉刑務所に収監されています。
29歳の逮捕時からずっと自由を奪われたまま、
この4月に塀の中で46歳を迎えようとしています。
この事件、トンでもない冤罪(デッチ上げの濡れ衣)だったこと、ご存知でしたか?
一刻も早く再審(裁判のやり直し)を実現して、
大助さんを塀の外に出そうという運動も、全国規模で盛り上がっています。
2014年12月には、東京でも支援組織が立ち上がりました。
名前は…
「仙台北陵クリニック・筋弛緩剤えん罪事件・無実の守大助さんを守る東京の会」。
“長いっ!”という方(実際に長いですよね)は、
「守大助さん東京の会」もしくは「東京の会」と呼んでいただいて結構です。
私はここで、事務局長を務めていますが、
事件のこと、大助さんのこと、冤罪は他人事じゃないこと…、
いろいろと知っていただきたくて、このブログを立ち上げました。
これから少しずつ記事をアップしていきますので、
どうぞ、よろしくお願いいたします。